唱歌の架け橋(第5回)

高野辰之や岡野貞一による『春の小川』や『朧月夜』などの文部省唱歌は1910年代初めに作られたが、この時期よりも前の1900年代に、すでにいくつかの唱歌や童謡は作られていた。

中でも、滝廉太郎の作曲によって生まれた曲は、有名なクラシックであるヴィヴァルディの『四季』を想起させる。

ピンときた方は、もうお分かりだろう。

そう、この歌のタイトルは『花』である。

それでも思い浮かばない場合、作詞者の武島羽衣(たけしま・はごろも)が着想を得たとされている『源氏物語』第24帖の「胡蝶」の巻に載っている和歌を見てみよう。

そこには、次のような和歌がある。

春の日の    うららにさして    ゆく舟は
棹(さお)のしづくも    花ぞ散りける

いかがだろうか。

今の東京芸術大学である旧東京音楽学校の教授だった武島羽衣と、講師の滝廉太郎が一緒になって、作った歌が下記のとおりである。

春のうららの    隅田川(すみだがわ)
のぼりくだりの    船人(ふなびと)が 
櫂(かい)のしずくも    花と散る
ながめを何に    たとうべき

以上である。

昨日の『ふじの山』と同じように、七五調のリズムになっている。

1〜3行目は、7音が3・4に分かれており、最後の行が4・3に分かれている。

『源氏物語』の「胡蝶」の巻の和歌と比較してみると、「春」「うらら」「舟(船)」「棹のしづく(=櫂のしずく)」「花ぞ散り(=花と散る)」という言葉が、同じような情景で使われている。

明治時代に生きた2人は、当時から見て900年前の紫式部の作品を参考にし、滝廉太郎は、200年前のバロック音楽の時代に生きたヴィヴァルディの『四季』にも影響を受け、組曲「四季」を作ったのである。

その「四季」のうちの春にあたる部分が『花』という歌である。

1番の歌詞の最後の「ながめを何にたとうべき」が、平安時代の和歌の良さを取り入れた表現であるが、船人がこぐときに櫂からしたたって飛び散るしぶきが、まるで桜の花びらが散る様子に似ていることを感動的に歌い上げているのである。

子どもには、このフレーズは難しいと思うが、大人になったら、源氏物語の和歌と歌詞を比較できるし、滝廉太郎の『花』とヴィヴァルディの「春」の比較もできる楽しさがある。

ぜひゆっくりと味わっていただけるとうれしい。

今週は、このように締めくくって、次回は5月27日である。



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