見出し画像

白黒思考が常識を振りかざす人間を作り出すのでは?

もうすぐ桜が咲きそうな感じの季節なんだが、花粉症とコロナのダブルパンチでダウンしてしまった。

コロナの症状も少し落ち着いてきたので、noteでも書こうかなということでPC立ち上げてこの記事書きました。


なんかさぁ、極端に二極化して物事を捉えている人が身の周りに多いなって思った。

これが絶対的に正しい、片方は絶対的に間違っているという思考。

これに違和感を感じた。

さらに、実際にこうやって物事を捉えている人が自分の身の周りにかなりの高確率で遭遇することにも驚いた。


白黒つけてさっさと済ませたい気持ちはわからんでもないが、、

考えるのがめんどくさい、早く結論をつけてすっきりさせたいとかこういう心理も働いているのかなと思った。

でも、物事の多くは白か黒で結論つけられるほど単純ではないということは、少し考えれば誰でもわかることだと思う。


白黒思考ってどこから発生するのかな?


この白黒思考とか、思考停止という言葉で検索かけると”義務教育”という言葉がよく上がってくる印象。

私もこの義務教育にきっかけがあるのかなと推測する。

まぁ、自分が義務教育を受けていたころのことを思い出せばいいだけで、思い当たる節もある。

今現状の教育がどうなっているかはわからないが、以前の教育の仕方とさほど変わらないのではないかと推測する。


変わったとするならば、タブレットやスマホといった電子機器を使うという点だけかなと思う。

教育システム的には変わらないであろう。


たらたら書くと書いている自分もよくわからないので、順を追って書く。


①先生が黒板に立ち、黒板に書いた内容を生徒はひたすらノートに書き写す


先生が黒板に書いた内容は大抵の場合、テストに出るので生徒は一生懸命書き写す。要するに、暗記。

②先生の言うことは絶対的なものなので、それに反した行動を取ることは許されない


自分の意思で行動して正解を導き出しても、先生の指示通りでなければ評価されない、または、厳しい指導や叱責が待ち受けている。

学校での先生というのは教祖のような存在。


③テストと言う名の暗記テスト


授業や教科書を基に作られる為、黒板に書いた内容と教科書を暗記しなければならない。

たった一つの”正しい”とされる答えを導き出さなくてはならない。


④減点方式での採点


100点が最高値であり、ミスるとそこから少しずつ点数が引かれる仕組み。

ここで無意識レベルにまでに「正解するのが当たり前」という思考が植え付けられる。

※ここら辺については私自身もかなり興味があるため、後々はまた別の記事で紹介します。


⑤やりたくないとは言わせない強制的な教育(洗脳)


”やりたくなくても大人になればやらなくてはならないんだよ”とここで叩き込まれる。

または、”やりたくないことをやっている人間もいるんだよ”というパターンもある。

学校の授業での代表例としては体育かなと。


⑥強い言葉で圧力をかけ支配する


発表会や運動会といった学校行事の練習、同じことを何度もやらされたことがあるということは学校に行ったことがある方なら必ずと言っていいほど経験されていると思う。

「声が小さい!」、「もっと揃えて!」、「それでやる気があるのか!」etc…

先生、或いは、とあるグループ内の上層部員などからこういった威圧的な言葉で集団に圧力をかけ支配させ、一切のはみ出しも許されない空気を作り上げる。

周りに合わせていればそれで善しとされるため、何も考えなくても物事は進むのでここで自分で考えるという思考力は殺される。


⑦操り人形の完成


こうやって少しずつ、少しずつ、小さなものが重なっていき、最終的には自分では考えない、上の言うことが絶対的なもので、それ以外のものは全て間違っているという思考を発揮してしまう。

今まで学校で学んできたことが絶対的なものであり、それ以外については間違っていると勝手に思い込んでしまう脳に長い年月を使って改造されていく。

よって、二極化思考を獲得してしまうのではないか。


ほぼほぼ私の推測の話なのと、あと、どっかの記事と被っている可能性もあり。

ひょっとすると、類似した記事が存在するかも。(私の記憶だと)

丸々引用はしていないが、私なりに言葉を少し変えたりして引用している場合があるのでご了承を。


幼いころから巧に刷り込まれるので、なかなか脱するのは難しいと思う。

しかし、0か100かといった浅はかな結論で物事を見るのは気づいているのであればすぐにやめておいたほうがいいのではないだろうか。

正義を振りかざしている人間を見てあなたはどう思うか。

私はああはなりたくない。


常識を押し付けてくる人間を見る度にそう感じる。


その常識の根源って何なんだろうか少し考えて、少し調べれば必要性がどの程度あるのか考えるきっかけにもなるはず。

調べれば調べるほど訳が分からなくなるものもあるけど。

大抵の場合は何かしらきっかけがある。


私が思う常識というのは、単なる偏見の一種であると捉えている。


最後に


この記事を書こうと思ったきっかけは、”常識”とかでググると「社会人なんだから~当たり前」みたいなニュアンスの記事が多すぎてムカついたからです。

大抵が某転職サイトなんだけど。

まぁ、それだけじゃないんだが。

あと、職場で実際にこういう風に常識を振りかざして攻撃してくる人間と接したことがあり、私も常識を振りかざされたことがあるから、何かこういう思考になる原因がないか考えて調べてみて自分なりに書いてみようかなと思って書いてみました。

ここに書いた内容はあくまでも私の推論です。

考えるきっかけになっていただけるだけで結構です。

詳しく知りたい場合は、自分で調べてみてください。

今回は以上です。


いいなと思ったら応援しよう!