世界革命後の世界を生きる 〜第21回外山合宿を終えて〜
3/18-28で開催された第21回教養強化合宿に参加した。教養強化合宿(通称 外山合宿)では左翼運動史を中心に実質8日間の詰め込み講義が行われる。今回ここで書こうとしているのはこの合宿を通じて考えたことであり、合宿の詳細は他にも色々な人が書いているのでそれを見てほしい。
また、合宿内容を振り返りつつ書いていくのでネタバレが不可避になってしまう。参加を検討している方はその点に注意して欲しい。(多少ネタバレになったからといって参加する価値が損なわれるようなヤワな合宿ではないのだが)
合宿で扱う文献について
合宿では最初に外山さんの用意した『マルクス主義入門』を読んだ後、立花隆の『中核vs革マル』(上)、笠井潔の『ユートピアの冒険』、絓秀実の『1968年』と本を読みながら途中途中で外山さんの幅広い解説が挟まる。
日本の新左翼の特殊性
1956年にフルシチョフのスターリン批判によって世界中に新左翼が登場した。直後、日本では60年安保闘争が盛り上がりを見せた。これを機に日本には多くの大規模な新左翼セクトが乱立することになる。60年前後は先進国では文化運動が盛り上がりを見せ、途上国では革命や戦争が盛り上がりを見せた。日本はこの先進国と途上国で起きた現象が両方見られる特殊な環境であった。欧米の学生運動が1968年に向けて徐々に高まっていくのに対して、日本の学生運動は1960年第前半には一度退潮に向かっていた。ここに日本の新左翼運動のもつ特殊性がある。また、1968年にはノンセクトラジカル中心の全共闘がピークを迎える。欧米でも1968年には学生運動がピークを迎えた。その後、欧米でも日本でも70年代に向かって新左翼によるテロやゲリラが横行した。しかし、日本でのみ、テロやゲリラと並行して新左翼セクト同士での凄惨な内ゲバが起きた。この象徴がまさに「中核vs革マル」と「連合赤軍あさま山荘事件」だと言える。
世界革命とポストモダン、没政治
笠井も絓も1968年を「世界革命の年」と位置付けている。(この元ネタはウォーラーステインと思われる) そして、この1968年の革命、特にフランス5月革命にポストモダン思想のルーツがあると指摘する。しかし、そのポストモダン思想は日本に輸入された途端新人類世代によって全共闘世代を批判するための道具へ変貌した。すなわち、ポストモダン思想が1968年の革命の中から登場してきたという側面が日本では見落とされて受け入れられた。また、新左翼セクトの内ゲバやテロ、ゲリラが激化する中で、若者の没政治化が進行していった。評論家の宇野常寛は「世界を変えるのではなく、自分の意識を変えることで世界の見方を変える」方向へ若者の意識が変化したことを指摘している。(『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』、P30 朝日新聞社 2018) すなわち、日本では政治の季節の反動から若者が学生運動などの政治的なものから離れていったと言える。そして、学生運動に端を発するポストモダン思想から政治的な文脈が捨象され、政治的に熱狂した全共闘世代批判に利用されたと言える。日本では、ポストモダン思想が本来あるべき文脈の中で正しく位置付けられなかった。
1945年と1968年、2つのレジームを生きる我々
1989年に冷戦が終結し、東欧諸国で革命が起きた。1991年にはソ連が崩壊した。これによって社会主義の夢は潰えた。また、絓は華青闘告発によって新左翼、特に中核派は革命を達成できなくなったことを指摘した。社会主義という対抗するイデオロギーを失った資本主義は新自由主義を導入した。これまでの社会保障を削減し、政府の再分配機能を縮小させ不平等は日毎拡大している。そして我々は資本主義以外の社会経済システムを想像する力すら奪われている。フィッシャーは我々の持つこうした無力感を「資本主義リアリズム」と名付け、ジェイムソンは「資本主義の終わりより世界の終わりを想像する方が容易い」と言った。不平等の拡大や社会保障はマルクスの言葉を借りるなら上部構造すなわち政治が解決すべき問題である。しかし、現代の日本社会では政治をどこか遠いところの出来事として捉えられている。最近では選挙が行われるたびに「選挙に行こう」というキャンペーンが展開される。しかし、デモなどの直接行動には冷ややかな目線が多い。これは、学生運動が失敗し、没政治化が進行した結果、すなわち「1968年レジーム」のもたらしたものだろう。今では浮いてしまった政治を日常に取り戻す取り組みが必要なのではないかと考えている。そのために必要なのは選挙に行くことではなく、政治運動をやることだと思う。政治運動はダサいという風潮が今の日本社会に蔓延していることは否めないし、それで何かが変わるという確証はない。しかし、政治運動に「シラけつつノリ、ノリつつシラける」ことが革命の夢が潰えた現代社会では重要なのではないだろうか。そして、1968年を再び捉え直し、その中でポストモダン思想を正しく位置付けるべきだとも思う。そうすることによって「政治の季節」から我々が何を真に学び取るべかなのかが明確になると考えている。
また、我々は「戦後」というもう1つの大きなレジームを生きている。ここで言う「戦後レジーム」は戦後の日本社会がごまかしながらここまで存続させてきた戦後民主主義や天皇制のことを指す。戦後の日本社会は軍部や一部の戦犯に戦争責任をなすりつけ、国民の戦争責任や明治憲法下での主権者としての天皇の戦争責任をなあなあですませてきた節があったのではないかと思う。また、政党政治もアメリカの意向に沿う範囲で左右がプロレスをしているに過ぎない。詳しくは合宿でやるので割愛するが、戦後の日本国民がしっかりと向き合ってこなかった「敗戦」という事実や国民が負っている戦争責任や戦後日本経済の復興や社会保障を支えてきた戦前に構築された「総力戦体制」が今の日本の繁栄や経済的地位をもたらしていることを真摯に受け止めるべきである。
外山合宿に行け
ここまで長々と書いてきたことは外山合宿に参加して、純化されたものである。外山合宿は単純に左翼運動史を学ぶ場ではなく、今我々の生きる時代がどういう時代なのかを知るための場であると思う。自身の政治思想の左右に関係なく、参加することで得られるものは多いと思う。ここではだいぶ省いたものも多く、合宿参加者にしか共有できない文脈がやはり存在するので、ぜひとも興味が少しでもあるなら参加することをオススメする。