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不足は体験しなくなるの?



みなさんこんにちは!
遊びに来ていただき、ありがとうございます。

今日は、過去に
「みるくさんも不足を体験するのですか?」
という質問をいただいたことをきっかけに


この界隈、いわゆる引き寄せ、
自身の見えない力が働くこの世界のことを知ると


「不足は体験しなくなるのか?」


そんなことについて書いてみたいと
思います。



興味のある方がいらっしゃいましたら
読んでみて下さい。



結論から言うと


みるくは、不足を体験します。



みるくは、嫌な事を体験します。



〜完〜






いや、嘘でも
「全然ないですね〜ははは〜」って言ってくれ。


意味ないじゃん、欲しいもの引き寄せられてないじゃん。



と思うでしょうか。


私も、引き寄せを使いこなせたら
漠然とですが不足は体験しない人生を手に入れることができるのかな思っていました。


ですが
今の私は「不足」や「嫌なこと」について
以前の私と捉え方が大きく違う部分があります。


確かに、不足は減ったように思えますが




その理由は


「不足」を悪だとはしていない。
「不足」は「失敗」ではない。
「不足」は自分の認識次第で決定している。
「不足」と「充足」は同時に存在している。


そのように認識している違いからです。



こんなことに触れながら
私が最近経験したことをもとに
書いてみようと思います。



私は最近
悪質(と思える)なクレーマーと出会い、
それは私自身、また会社全体を揺るがす事態となりました。


内容は長くなるので省くのですが
結果から言うと社長や上司、保険会社、弁護士などが介入し解決をしてくれる運びとなりました。


2、3日の出来事でしたが
そこに行く着くまでには
傷つくようなこと、不安になるような言葉も受け、穏やかには過ごせませんでした。



私はこの時、自分ばかりが
苦しい、不安、悲しい、悔しい、怒り、焦り、不満、それらを感じていると思い込んでいました。


悪質なクレーマーとの出会いは
不足である。
嫌なこと以外の何でもない、ですよね。


私はクレーマーに不当な金銭の要求、行動の制限、恐喝のような行為を受けたことにより


私は価値がない、失敗をした、やってもいないことをなすりつけられた、優しさや低姿勢な対応につけ込まれ損をした、これまでの信頼を失うのではないか、私は会社に迷惑をかけた、損害を負わせたのではないか、他のスタッフはどう思っているのかわからない、私はこれからどうなるかわからない、嫌な人に出会った、嫌な目に遭った、私は否定された、攻撃された


だから
苦しい、不安、悲しい、悔しい、怒り、焦り、不満、それらを感じている。



この文章に違和感はないと思います。



ですが、本当は
悪質なクレーマーとの出会いが
そうさせたのではありません。



本当の不足とは?



私は価値がない、失敗をした、やってもいないことをなすりつけられた、優しさや低姿勢な対応につけ込まれ損をした、これまでの信頼を失うのではないか、私は会社に迷惑をかけた、損害を負わせたのではないか、他のスタッフはどう思っているのかわからない、私はこれからどうなるかわからない、嫌な人に出会った自分も嫌な目に遭った自分も許せない、私は否定された、攻撃された


この認識の方です。



これが「不足」の正体であり

その「不足」を掴んで
自分に与えていたということ。


その不足を感じている瞬間こそが
不足を今、自分に体験させているということ。



そこに気がついてから、
私は舵取りに戻ります。



舵取りとは?



それでも
いい気分でいるよう努力して
嫌なことを忘れるよう努力して
クレーマーに感謝を感じて
クレーマーをいい人に設定して
それから、それから、、、、
学んだことをここで実践しないと…!!


ではありませんでした。



私がした舵取りとは
不足に向くベクトルを0とした時
真逆の100を目指すことではなく



私はこんな体験をしたから
こんな気持ちになって当然だ。


これは反応。
私は自由に反応していいし、
何を思っても感じても考えてもいい。


私は今、悲しみたくて悲しんでいる。

私は今、イライラしたくてイライラしてる。

私は今、感謝なんてできなくていい。

私は今、絶望したっていいししたくてしている。

私は今、人のせいにしたくなったっていい。

私ばかりが苦しいと、思いたくて思ってる。

これでいい。

そのままでいい。


とすること。



私は今、これを自分で選択している。
気が済むまでしている。
これを自分にさせてあげることは
今の自分に何も制限をかけない最高の選択だ。


これを
意識の先頭に立っているのは自分だということ、その立ち位置を再確認する意味でやっていました。



私は今、これを自分で選択している。
気が済むまでしている。
これを自分にさせてあげることは
今の自分に何も制限をかけないという
最高の選択だ。


これは強がりでも現実逃避でもなく


先ほどの不安な心の状態に   


余計な力を持たせない



ことにも繋がっていると思います。


こんな心の状態ではいけない、
現実が悪化してしまう。

良くないことを考えると良くないことを
引き寄せる。 

ネガティブはダメ、自己否定はダメ、人に感謝できなければダメ、充足を探さなければダメ、、、


という不安に力を持たせない状態。


私は現実や誰かに
こうさせられている


現実や誰かに
こんなふうに思わされている


現実や誰かに
こんな目に遭わされている


のではなく


私はこう感じたくて感じている。


だから関係ない、なんだっていい、このままでいい。
これを自分に与えてあげること。


これがこの時の自分にとっての
舵取りでした。



そして
このようにしてできた心の隙間に
見えなかった充足が流れ込んできます。



この渦中にも私の周りには
全力で私を守ろうとしてくれている社長や上司


すぐにかけつけて第一に私を心配してくれた
会ったこともない保険会社の方


任せてください、すぐ終わります〜
と頼もしい弁護士さん。


私の好きな食べ物を買ってきてくれた先輩


「この先いいことしか起こらない」
と私のデスクに貼ってあった同僚からの付箋


仏のように穏やかな後輩が
許せないと怒り狂う姿


深堀りせず、ただ美味しいもの食べに行こうと言ってくれるパートナー


いつもと変わらなずバカ騒ぎしてくれる友達


旅行に誘ってくれる友達


なんだかんだ寝て食べて健康な自分。


これらに気が付きます。


これは


こんな不足や嫌なことがあったからこそ
こんなに嬉しい体験ができた。
周りのありがたみに気がつけた。
自分は幸せだと実感できた。
それと引き換えに色んなことが叶った。


とも思えるかもしれません。


もちろん体感としてそう感じることは素晴らしいことです。


嫌なことがあっても倍嬉しいことがあるよ!
だからそこ人の優しさに触れられたんだ!
と不足をマイナスなこととしてだけで捉えないこと、だからよかったと思えることは人生にとってとても素晴らしいことです。


ただ、ここからは少しだけ
体感ではなく、思考のお話しをさせてください。


私としては体感、そう感じたとしても
整理しておきたいことがあります。


それは
不足を体験したからこそ喜びを体験できた
としておくことは


不足を体験しなければ
喜びは得られない、体験できない、気がつけない



を孕んでいるように思えるのです。


いわゆる、何かと何かを無意識に関連付けしてしまうこと。


本来不足は体験したっていいし、そこに存在していたっていいんです。

私達がそれをどう扱うか、であり
それが願望が叶うことや幸せになることとは
いっさいの関係がないから。


不足があろうとも、私達の願望や幸せなどそれらを阻止する理由にはなり得ないからです。


ただ
不足を体験すればするほどいい体験が
待ってる

苦労すれば得るものが大きい
だから苦労しなければならない

我慢すればそれだけの対価がある
だから我慢が必要

嫌なことでもやれ!逃げるな!
それくらいしないと成功しない

私は苦労しないと認められない


など。



大げさと思うかもしれませんが
このようにひっくり返ってしまうことがあるからです。


本来、満足を体験することになんの条件もいりません。


いいことばかりでもいいし、スムーズでいいし、問題にぶつからなくてもいいし、信じられないくらい全部のことがうまくいっていいからです。



話がそれましたが
何が言いたいかというと、


私が不足を体験している時にも
同時に充足は存在していたということ。


私が不足を体験している時にも
同時に充足は与えられ続けていたということ。


私が不足の方を見ている時にも
充足は見えていないだけで在ったということ。


先ほどあげた私にとっての充足とは
全て、あの渦中にいる時の出来事です。


私が自分1人苦しい悲しい悔しい辛い
と思っている時、


周りも同じくらい心を痛めていた
私を思ってくれていた
守ろうとしてくれた
支えてくれていた
安全な場所で落ち込ませてくれていた
見守ってくれていた
元気を取り戻すのを待っててくれた
クレーマーだって何かを守るためにただ必死だったのかもしれない
私を攻撃することが目的だったわけではないのかもしれない


これは

同時に存在していた。

ということが言いたいんです。


だけど私は不足に夢中になるばかりで
これらのことを認識できなかった。



認識できない=起こっていないのと同じ


自分がそこに向けなければ
ある充足も今すぐに受け取れる充足も
ないと同じ。無効。


私達は苦しいとき、
不足と充足、二つ同時に存在するうちの
いかに、不足の方を見ているのか。


そして、いかに
望まないそれを決定し


ない、思い通りじゃない、これじゃない、辛い
これはいらない、違う、叶ってない、逆のことが起きた、失敗だ、不幸だ、うまくいってない、、、


と不足の方を見つめ、観察しながら
不足を語っているのか。


そんなことに気がつく出来事でした。


そしてそんなことに気がつくと同時に
問題や不足は消えていくことができるんです。


なぜなら
気がついたらもう
不足の方を見ていないからです。


不足を見ていない、認識しない
=起こっていないのと同じ


だから。


見えなかったこと、だからないと思ってたこと
それらが見えてきたり体験できたり。


このお話しも
もしかするとまだ続きがあるかもしれませんよね。


悪質なクレーマーは私の前から消えましたが


悪質なクレーマーだと思っていた人と何かのきっかけで分かり合えたり


別人のように現れたりして
もしかするとこの先気の合う友達にだってなることもあり得ると思います。


他のことだって、全部都合の良いように変化していってもいいということ。


その人に変わってもらおう、現実変えよう
苦しさや問題を解決しよう



それらに力を注いだわけではなく
自分の心に余裕を作ること、1ミリ軽くなることに努める。


時には
この世界は私にしか力がないんだ、
無条件でうまくいっていいんだ、
だから私がどんな状態だっていいんだという傲慢さを持って。


そこから
色んなことが流れ込んでくるという形で
「ある」が見えてきたり

問題や不足が
あっという間に解決をしたりするんだなぁというお話しでした。


きっとこれは特別な話ではなく
皆さんがいつも体験していることと変わらないと思います。


ただ、苦しい気持ちを1ミリ軽くする
苦しい時間を1秒でも短くしてあげる
そんな考え方を自分に選んであげる。



引き寄せとかこの界隈の知識って
成功を目的として
制限を増やしてルールを増やすことではなく


自分が生きやすくなること、楽になること、
負担を減らしてあげること、それが目的です。



その目的を果たし続けていくことで
結局、体験したいこと全部体験してしまう


そんなことを整理する機会ともなりました。


読んでくれた方にとって
何かヒントになることがあれば嬉しいです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。



みるく🥛

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