綺麗に見せるのは簡単だけど
⚠気の向くままに書いたので結構駄文です。
(思いついたまま)
見せ方
どの部分を見せるのか
どうしたら面白く見えるのか
かっこよく見えるのか
と考えることが多い一ヶ月だった。学会や研究会に出るためのプレゼンを作るのも、会社のホームページをつくるのも両方そういう意味では同じかもしれない。ちゃんと載せて話せるのは結局氷山の一角になる。
このnoteもほかのSNSも、普段やっている泥臭い日常はたぶんあんまり出てない。多分私は努力してるところを人に見せたくないと思うタイプではある(気がする)。キラキラ見せるのはそれなりに上手いのかもしれない。まあ、そんな映ないところ見せてもしょうがないと思っているところはある。
楽しそうにやってるところを見せるのはとても自分軸になるから、きっといいんだと思う。人と比べてもいいことないわけだけれども、やっと本当に比べなくなった気がする。
辛く努力するか楽しく努力するか
出来れば楽しく面白いと思えることを自然にやって結果が出たらいいなーと思う。例えば、勉強を勉強と思わずにやったり、何かをするのに構えてやるのは疲れちゃう。
ほんとに自分がやりたいのか?
と思ってしまう。自然と出来るのが理想ではある。
辛く努力して何かを得た経験も人生においては大事だしそれを全くしてなさそうな人は人間的に面白くないなと感じてしまうかもしれない。でも、常に辛そうな感じが出ちゃってる人や何となくネガティブなオーラが出ちゃってる人は、見てて辛いものがある。成功も失敗もただの結果であって日常ではない。普段どうしているかが1番大事だと思う。
日常を丁寧に過ごそう。みたいな流れがあるが少しでもひとつひとつを丁寧にしてみると人当たりも良くなると思う。丁寧にするためには心の余裕も必要なわけで、どうやってゆとりを作るかは長い人生というマラソンで結構効いてくると思う。(要は自分の機嫌を自分で取るのは大事ってこと。)
定期的に親から言われた言葉の話をするけれども
目の前の人は自分の鏡
やったことは巡り巡って帰ってくる
は、本当だと感じている。いつ帰ってくるかはわからないけど、とりあえず種まき運動的にしとくのがいいと思う。たぶんいっぱい動き続けると本当に類は友を呼ぶまで行くんだと思う。(そりゃそう)
客観視する
最近の私は割と人にどう見られてるかというか、客観視してどんな感じかを考えるようになった。でも、最初からそうできてたわけじゃないし完璧ではない。周りの人からよく言われるから、もしかしたら同世代からしたら出来てるのかもしれない。
日々色んなことが起きるけれども、
まあ、寝たら忘れるしな。
とは思ってしまう。
狭い世界で生きていると楽しくないと私が思っちゃうのは色んな価値観の人がいる場所が好きだからだと思う。周りの人が頑張っているベクトルが違うと比べなくなるのもある。
最後に
定期的に外に出ると自分の中の固定概念を壊せるからいい。
めっちゃ悩んでることとか大抵ちょっと離れたらどうでもいいことになったりするから距離感は大事だと思う。
行動し続けたらなりたい自分にきっとなれるよ〜
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