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人生の過酷を味わい尽くしたおばーの笑顔とユーモアと

戦争体験談の取材が終わったという85歳のおばーに会いたくて、
おばーに電話したら、いつでも遊びにおいでとのこと。

予定していたことが無くなり時間の空いた私は、
早速、今日でもいいよとのことで、ゆいレールに乗って
おばーに会いに行きました。

おばーは、私が来るのを楽しみしていてくれたみたいで、
部屋を訪ねると、私用にランチを作って 待っててくれました。

電話で聞いたおばーの話によると、
取材は、2人の地元高校生と地元紙の記者が来て、いろいろ聞き取り
現在、捕虜になった場所の特定と、おばーの家系図まで
調べてくれていて、裏付けが取れたら 新聞か何かに載るかもとのこと。

一応、順調に言っているようで、おばーの望み(戦争体験談を誰かに書いて欲しい)を叶えるお手伝いが、できそうで、嬉しく思いました。

おばーの家に着き、
再会できた嬉しさで、挨拶を済ませ、おばー家の中に入り、
椅子に座った途端、おばーが、最初にお話したのは、戦争の話ではなく、
それは、とても、ショッキングな話でした。

テーブルの端の器に立てられていた団扇に貼ってあった女性
の写真を指さし、おばーが「娘だよ。5年前に飛び降りて死んださ~」
おばー・・・・
一瞬、言葉を失い胸が詰まりそうでした。

戦争体験という悲劇だけでなく、最愛の人まで奪われなくちゃいけない
おばーの人生に、深い哀しみと憤りを感じました。
それは、自殺の理由でした。

娘さんは、30代後半で脳溢血で倒れ、それ以来、車椅子生活。
お元気だったころの写真を拝見すると、美人でスラっとした体格
とてもオモテになったそうです。

車椅子生活を余儀なくされ施設で過ごし、夕方自宅に帰ってくる生活。
泣いて帰ってくることも多くなり、
おばーは、「笑って帰ってくるんじゃなくて
泣いて帰って来るなら、もう 行かなくていいよ」そう言ってたそうです。

自殺の原因は、施設内でのスタッフによるエスカレートしたイジメだそうです。医療のプロが、回復のお手伝いどころか死に追いやるなんて・・・
許せない。

おばーは、言います「戦っても娘は帰って来ないさ~」

口惜しさと怒りが収まらない私でしたが、既に5年が経過し、現実を受け入れているおばーに、ただ、涙だけが溢れ、何も言えませんでした。
人生は、過酷。
おばーは、本当に心底強い。

戦争体験談をお聞きするだけと思っていましたが、
結婚後、ペルーに渡った話。
ご主人の度重なる浮気。
沖縄の戻ってからのエピソード。
バーの食事係に採用されたエピソードには、
思わず、おばーとハイタッチ。

波乱万丈なおばーの人生。
最後は、やはり戦争のお話で終わりましたが、
お話の内容が、まるで残酷な戦争映画の一コマの画像が浮かび、
3日経っても、収まらない。収まらないどころか、じわじわと・・・


今度は、私が、おばー戦争体験談、おばーの人生談を誰かに話したい。
誰かに書いて欲しい心境なのです。


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