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久々に写真のUPを再開していこうかと。
正月インフルから回復し、さて描くかと鉛筆持った直後にルミコプラズマ・・・じゃないマイコてきなやつにやられ、再び制作ができず強制寝正月。今日よーやく平熱になり、そういえばとカメラに溜まっていた去年春からの写真を見ていた。いままでは撮ったらすぐ調整して選んで~とやっていたのですが(撮った勢い重視)去年はとにかく仕事に押されそのままになっていた・・・。
ぱっぱか見ていたら、意外とその時の行動や状況が蘇るもので(あ、このあとぎっくり腰になったんだよな、とかw)それはそれとして
写真を見ていると意図や記憶を超えた感覚がどっと押し寄せてくる。意図しないものが写り込んでしまうのも写真の特性だと私の師は言っていたけれど、「記憶から漏れた細部と未来で遭遇する」とか、「自分のバイアスで作られた『通常の記憶』の枠をぼやーんと外される感覚の広がり」とか、なんというかいままで体験したことのない刺激があった。
しかしそれは「記憶から漏れた全体像とようやく遭遇した」のとは違う。なにかもっとあいまいで開かれた撮った場のイメージを超えたなにかまで押し寄せて来る感覚だ。
ずっと写真への興味が尽きない。写真がわたしの主戦場ではなく、普段絵を描くことが主体だからこそ興味惹かれる要素も大きいのだろうと思う。自分の写真に関しては、日々目に留まったものを瞬間的につかんでいる感じか。なので、私にとっての写真は絵で言えばクロッキーが近いかもしれない。でも「写真」にしかない特有の刺激がある。写真がなんらかの刺激をこちらに向けて来るということが確実に「在る」と気づかされた。なんだ、これが自分なりの写真じゃないか。こりゃやっぱ撮らないとなと。強制寝正月に気分も腐り気味だったが、なんとか再スタートできたかもw
写真は現在続行中の素描部分、昨年五月の状態。今はこの状態をとどめていない。こんな感じで、しばらくは過去データからUPしていく予定。
https://www.instagram.com/hosoki_rumiko_photo/
20240509 #日々の目
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