トランスジェンダー差別について

同性愛者に対してはだいたいのリベラルな人の対応はまだ安心できる。しかしこれが、トランスジェンダーに対してはどうか。Twitter上ではトランスジェンダー、特にトランス女性に対するヘイト発言は、一定の支持者を得ているようである。
特に文芸界隈に生きている人間に対して、作家としてそれなりの発言力をもつS野さんのトランスジェンダー差別小説が、講談社から出版されなかったことに対する、K原さんの発言の影響力は大きいと思う。曰く、トランスジェンダーの人権を擁護する一派「TRA」の「陰謀」により、言論出版の自由に対する侵害が行われているかのような、陰謀論が、「TRA」などという存在しない組織によってなされているというのである。そしてTwitter上でなされている「TRA」の「TERF」に対する差別反対のカウンターが「キャンセルカルチャー」であって、少なくとも「TRA」と「TERF」の主張は「議論」するべきと述べ立てるのである。「TRA」の主張というのは、いままでのトランスジェンダーに対する医学的見地、フェミニズムなどの積み重ねによって、少なくともアカデミックな分野では研究され尽くして、トランスジェンダーの性自認(gender identity)は一度確定するとその人の生涯を通じて確信的なものであるので、生まれた時に割り当てられた性別と異なった場合は性別をトランスして生きることにははっきりした意味付けがなされていて、トランスできないことには精神的苦痛を伴うことがいろいろな人の体験談からも証明されている。
そういう、医学的、社会学的な研究が一切無視されて、「TERF」たちは、0からの議論をしかけてくる。S野氏によるとトランスを認めると、女性の権利が侵害される「女消し」になるというのである。
このため、わたしはこの流れに非常な恐怖を覚えて、文芸関係の複数の友人(女性)にこのことを投げかけてみたが、ちゃんと理解してくれた人は皆無だった。わたしが「おかしくなった」と言われた。また書評家としては尊敬しているT崎さんはK原さんを擁護して『「TRA」はもっと説明するべき』との立場で「市井の女性」の恐怖感を肯定する。別の友人はT崎さんの「中立」な立場を真似て、説明が必要だと、わたしを説得にかかられたので、もう議論は無駄と思い、やめようと言ったらそれきり返事が来ない。友人づきあいもできないということか。また、それどこかS野氏のファンである、関係者の一人ははっきりと「TERF」に親和的である。
文芸関係者がこんな具合なので、もはやわたしは同人誌に参加することは避けたい。トランスジェンダーの人権を守るための言論が「正しい」ことではなく、相対化されてしまった現在では、仲間を探すことさえ困難になった。開かれた読書会などにもうっかり参加できない。(ヘイト言説に晒されるのは耐えられない)
でも、そんな中、トランスの仲間(だと勝手に思っている)の存在は大きかった。そして、小説家として敬愛する、藤野可織さんがしっかり理解してくれて、わたしはおかしくないと言ってもらえたことは暗闇の中で一筋の光を見るようだった。
わたしはいままで、小説の題材としてトランスジェンダーを扱ったことは一度だけあるが、それしか書けないのかと思われるのが嫌で避けてきた。しかし、いまはっきりわかったことは、これからわたしにはトランスジェンダーの立場から書くことが必要だということ、トランスジェンダーの人権のために言論を尽くすことが必要だということである。わたしたちの年代はもういい、そんな人権が認められる可能性は極めて低いが、これから、学校に行ったり、就職したりする、若い仲間のためには闘いを続けなくてはならないということ、それに残った余生を傾けて微力ながらつくそう。

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