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ずーっと昔に音大に入りそこねた私が、シブヤ音楽大学に入学しました!
シブ音に入学したお知らせ
たまたま出会った朝日新聞の記事で、新垣隆さんが創立されたシブヤ音楽大学のことを知り、早速入学してみました。
入学費は無料、月額980円で、一流の教授陣からオンライン授業が受けられるシステムです。(今のところまだ授業料は払っていませんが、いずれ有料になっても続けようと思います。)
新垣さん曰く「音楽とは、楽しむもの。どんな人でも、楽しめるものであるべきなんです。一人でも多くの人が、音楽の歓びを分かち合うことができれば、シブヤ音楽大学をやる意義がある。」
富裕層に傾倒していた日本のクラシック音楽界の歪みと今後のクラシック音楽の行く末を案じて、前代未聞の行動に出た「発想の新鮮さ」と「誠実な想い」に共感を覚えました。
音大に入りそびれた昔のはなし
実は私、音楽大学に入りそびれて看護師になった人間です。
小さな頃の夢は、小学校の音楽の先生になることでした。
小学6年生の時に自分の夢を叶えるために、ピアノを習いたいと親に頼みこんでレッスンを受け始めました。会社員の父の安月給をやりくりして、家族4人が4畳半と6畳の二間の市営住宅に住んでいて、習い事の月謝を払うのは今思えば大変だったと思います。それまで通っていたソロバンをやめるのを条件に、ピアノを習うことを許してもらいました。しかし、子供心にも家にはピアノを買う余裕はないということはわかっていたので、ピアノが欲しいとは一度も言ったことはありません。「こんなボロ屋にピアノを置いたら床が抜けるゾ。」と言った父の言葉が私の微かな希望にとどめを刺した一言でした。今思えば、それは娘に余計な希望を持たせないようにする、父のねじれた優しさだったのかも知れません。
とりあえずピアノのレッスンを受けることを許してもらった私は、家にあったオルガンで運指の練習をしながら、学校の音楽室にあったピアノを時々借りて練習していました。でも、ピアノを習っている仲間達と話すときは、ピアノを習っている人は家にピアノがあって当たり前みたいな話になっていたので、自分の家にピアノがないことは誰にも言えませんでした。子供心にも、みんなは「お金持ちの子供達」で私とは違う人達なんだと思っていました。
大好きなピアノは、私の心の拠り所でもあり、誰にも言えない劣等感の温床でもありました。
それでもピアノのレッスンは高校3年まで続け、音大を目指していた私は、本格的な声楽とピアノのレッスンに通い、毎朝、朝早く起きて誰もいない高校の音楽室のピアノを借りたり、私のピアノの先生のピアノを借りたりしながら練習に励みました。
多分どこかで無理をしていたのでしょう。色々なことが重なり、音大に入学する夢をあきらめることになったのですが、そうは言っても高校を卒業してすぐに社会に出る心の準備もできておらず、たまたま目についた看護学校の入学要項を見つけて、国立の看護学校であれば授業料も学生寮もタダで、看護師になる勉強ができると知り、とりあえずは独り立ちする手段として看護師になることを決意し、急遽志望を看護学校に転換しました。今思えば、何かに導かれていたのだと思います。そのまま音大に入学していたら、きっと田舎に帰って小学校の音楽の先生になって、結婚して平穏な人生を送っていたことでしょう。代わりに選んだ看護師の道は、思いがけず英語の勉強をしてアメリカに飛び出す機会と繋がり、ひとりの人間として「本当の自分」と出会える学びの機会を与えてくれました。波乱万丈の人生ですが、今は、この道を選んで本当によかったと心から思います。
ピアノとのねじれた関係
話は飛びますが、20代前半、アメリカに来て6か月程経った頃、ホームシックで落ち込んでいた私を見かねて、当時の相棒が自分が大事にしていたクラッシクカーを売って、私にピアノをプレゼントしてくれました。
生まれて初めて自分のピアノを持った瞬間は、嬉しさと申し訳なさが入り混じった複雑な心境でした。誰かの犠牲の上に成り立つピアノとの付き合いは、子供の時両親が家計を切り詰めてピアノのレッスンを受けさせてくれた事と、相棒が自分の大切にしていたものを売ってピアノを買ってくれた経験と重なりました。
素直に喜べない氣持ちは、子供の頃封印してきた「ピアノも買えない貧乏人の子」という「色あせた劣等感」が、どこかでくすぶり続けていたのだと思います。
自由にピアノと対話する喜び
私とピアノのねじれた関係が改善したきっかけは、今までのクラッシク音楽の勉強で当たり前に思っていた、楽譜に忠実に音を再現する方法を離れて、コード進行を学んで、自分なりにアレンジして弾く方向に転換したときでした。右手のメロディーとコードさえわかれば、ほとんどどんな曲でもすぐに弾けてしまうこの方法は、本当に心地よくピアノと対話できます。そして、目から鱗が落ちるように、色あせた思い込みやピアノに対する劣等感がスルスルと自分のフィールドから滑り落ちていきました。
今は、思いついた時に、友達の家にある古いピアノや自分の部屋に置いてある電子ピアノを氣ママに楽しく弾いています。
そんな過去の私の生い立ちと今の私の心境にピッタリな「シブ音」との出会いは、とても嬉しい出会いです。
noteでもシブ音が話題に!
noteでも新垣さんの活動の記事が掲載されていました。是非ご一読ください。
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