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全てをひとつに

ワタシは感覚はいいと思うし
ワタシは知らないけど知ってるみたいなのもある

でも完全なる愚者として
ひたすらに自身の経験から気づきを得てる

昔は
ワタシが知らないことを話す人は
すごい人としてすぐ信じてたと思う

でも
なんか変だぞ?ってのが見えたり

それでも必死について行こうとして
もーいやだ!となったりを繰り返して

二度と雇われたくない‼️
と思ったのだけど

それは同時に
もう誰にも従事しないって決意でもあったのかもしれない

信じるべきは自分だよ

今振り返るとあの経験は
そんな道のはじまりだったと思える


ワタシがエネルギーを知った時
真理について話してくれる人がいた

その人はいつも
「ワタシの言うことも疑うように」
と言っていた

エネルギーという目に見えないモノ
確かに誰でも触れるし体感がある

でもどこまでが本当か
何が事実で真実かなんてのは

やっぱりわからないことも多く

だからワタシは聞く耳半分で
自分の経験から学んでいると思う

そして誰かを信じると
違うことを話す誰かは

ダメなモノ
嘘つき、悪

みたいにもなったりする

誰かがそう言ったから

そうやって鵜呑みにして
何かがあったらその誰かのせいでは

自分ってモノがないよね

誰かがどう言おうと何しようと
信じるか信じないかの選択は

自分の中にある

自分はわからないから
自分は信じられないから
自分は間違えるから

あらゆる自己否定を並べて

自分をなきモノとして
誰かを信じて

結果が望まないモノとなったら
誰かや何かのせいでは

自分ははじまっていかないよね


あなたはどうなの?
あなたはどうしたい?

自分がどうであるかはとても大切

ただ困惑して
ただ答えを求めて
目に見えないモノと繋がると

お前は何がしたい?

というこたえが返ってくることがある

目に見えるモノでも
目に見えないモノでも

誰かが自分の代わりに生きるのでなく

自分の人生を生きるのは
どうであっても自分だから

自分で立つ

どうであっても
なにがあっても

自分を中心に置く

そうやって生きることを
失わずにいたい

何かがあったからダメ
ここが違うからダメ

というモノの見方でなく

全てが意味のある出来事として捉えて

問題と思う何かが起きた時こそ
大きな気づきを得るチャンスとして

しっかりと
自分と向き合っていきたい

気づくべきことは外側にあるのでなく
内側にある

問題と思える何かは実は問題でなく

それに気づくための出来事でしかなかったりする

そこで大きな気づきを得られたら

最悪だと思ったようなコトも

あれがあったから今がある

みたいに感謝に変わったりする

全ては表裏一体で

いいことだけ
悪いことだけ

というのはなく

いいと思ってたことは悪いに
悪いと思ってたことはいいに

簡単にひっくり返ったりする

それはある点を境にひっくり返るみたいなそんなバランスでしかなかったりする

正義を貫いていたつもりが
気がついたら悪そのものみたいな

だからいいも悪いもない

どちらも同じ

そんなのだったりする

それならば
いいとか悪いとかで分けることなく

全てをそのままに
包んでしまったらどうだろう

自分の全てを許せたら
自分以外の全ても許せると

そうやって自分と向き合っていくのは
どうだろう

自分のそのままを愛せるようになったら

きっとあらゆることも

そんなこともあるよね

なんて思える自分になっていたりして

それはきっと

優劣や差別でモノゴトを見ない

全てはひとつという

愛で視る世界の感覚と

ひとつになってるんじゃないかな

バカは馬と鹿の違いがわからない
なんて言うけど

全てをひとつにみる

愛そのものってことかもしれないよね

バカの視点は

愛の視点

目指すべきは
戻るべきは

バカの世界かもしれないよね

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