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共生社会の実現に向けて、僕ができること

 みなさん、こんにちは!
 第177号(2024年9月18日)、上條淳さんからバトンを受け取りました、"ルミすけ"こと伊藤耀介です。前回の投稿から1年と少しが経過しました。今回もよろしくお付き合いください。

 今年の5月から、地元の身体障害者協会が主催する「手話奉仕員養成講座」で手話を習い始めました。週に1回(最終週は2回)、期間は来年1月まで。入門編と基礎編に分かれて、計45コマ(1コマ2時間)を受講します。早いもので受講から4ヶ月が経過して、共に学ぶ20数名の仲間たちとも自主的に練習会を開くなど、楽しく充実した学習生活を送っています。

 さて、今回はなぜ僕が当該講座にエントリーしたのか、今後のキャリアのことも考えての決断ということをお話ししたいと思います。理由は大きく2つ。まずは「共生社会の実現」のために僕自身ができることを考えた時に、社会教育施設で働く自分にとって多様性ある県民と接する上で、コミュニケーションツールとしての手話に魅力と必要性を感じたからです。僕の勤務先の目標でもある「共生社会の実現」は、現代社会の重要なテーマですし、僕自身も障害の有無にかかわらず、すべての人が物理的、心理的、社会的幸福を享受できる社会になってほしいと願っています。そのために小さなことかもしれないけれど、少しでも役に立てるよう、そのための学び(生涯学習)をしたいと考えました。

 そして、二つ目の理由として、この場でカミングアウトさせてもらうと、僕自身が昨今よく言われる「大人の発達障害」であることが挙げられます。ADHDやASDという精神障害を抱えて生きていく中で、もちろん「自己理解」を進めるのが僕自身に求められている課題ですが、それと同時に「様々な障害についての理解を深める」ことは、自分自身にとっても、「共生社会の実現」にとっても必要不可欠だと考えたからです。

 これまで、ろう者の講師から手話を学んできて、徐々にコミュニケーションがとれるようになってきたことを非常にうれしく思っています。日常会話のレベルに至るまではまだまだですが、50音の指文字をすべて覚えたことで、言葉を相手に伝えたり、逆に伝えてもらったりすることができるようになりました。僕自身もそうですが、誰もなりたくて障害者になった訳ではないし、誰しも人生の途中で障害者になる可能性があります(当県の場合、身体・知的・精神障害者は全県民のおよそ12人に1人の割合。)。いざ自分が発達障害だと診断を受けた時の驚きはありましたが、それも含めて自分なのだと思い、家庭や職場以外の様々なサードプレイスに所属することで、自分の可能性を広げたいと考えています。今の立場だから、できること、感じ取れること、想像できることがあるはずです。

 「合理的配慮」という言葉が法改正に伴い、よりクローズアップされている昨今ですが、もちろん障害の程度によるものの、僕自身は健常者が障害者に寄り添う一方ではなく、可能な限りお互い歩み寄ることが何より大切だと考えています(重度の方など、それが難しい場合も十分ありますが)。それぞれが当事者意識を持ちつつ、相手の目線に立って物事を考えることで、互いを理解したり、尊重できたりするものだと感じています。自分が誰かをそっと後押しできる存在でありたいとも思っています。また、今秋、放送大学に入学したので、順調にいけば来春には特別支援学校教諭二種免許状を取得できる見込みです。今後教育現場に戻った時には、様々な知識や自分の経験を踏まえ、支援を要する生徒にも寄り添える教員でありたいです。

 最後に。皆さんとコラボするには、まだ自分にできることは限られていますが、今は僕が僕なりに「共生社会の実現」に向けてチャレンジしていることを応援していただけたらうれしいです(笑)そして、学び続けた先に、きっと皆さんとの明るい未来、僕の次のキャリアが待っていると信じています。これからも皆さんと共に学び気づき、そしてつながりを大切に、一日一日を大事に過ごしていきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします!

 次回は、井上裕司さんにバトンをお渡しします。

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