散文的に笑う臨床心理士未満と北海道
大学が嫌いでした。
理由はシンプルに第一志望ではなかったから。
周囲が第一志望の大学に合格していく中で、自分が第一志望のの大学に受からなかったのが悲しかった。
別に大学自体が悪い大学ではないと思うし、行きたくないところを受験したわけじゃないから納得もしてた。
なので正確には「周りが第一志望に合格している中で、第一志望よりも低いところしか受からなかった自分がそこで送る大学生活」が嫌だったんだろうと思う。
いい大学じゃんとか、自分の方が偏差値低い大学じゃんってかけられた言葉は、その頃は特に救いにはならなかった。
主観って大きいんだなとも感じる経験でもあったと思う。
自分がその出来事をどう捉えられているかということが、自分に与える影響は大きいものだなという経験である。
今なら心理学的にももう少し理解できそうだけど、当時はそんなことまでは思ってなかったし、ただ高校の同級生が第一志望でキャンパスライフを満喫してるのが羨ましかった。そして、悔しかった。悔しいということさえも思えないくらいに、周りのことをすごいなあと思ってた。
だから、そんな状態で進学した大学では不満ばっかりに意識が向いてた。
格闘ゲームのストリートファイターに出てくる登場人物のキャミィの設定に「嫌いなもの:不機嫌なとき目につくものすべて」とあるのだけど、あれはマトを得ている。
大学の授業への不満を募らせてて、嫌だなあと思ってたし、高校の友達に愚痴ばっか言ってた記憶がある。
それでも、一丁前に大学では友達を作って、サークル勧誘に行ったり、クラスメイトとご飯を食べたり、大学生活はそれなりにこなしてた気もする。
でも、なんか心ここにあらずみたいな。
そんな中で、浪人生を送ってる同級生の存在がどこかで心地よかったりもしていた。少なくとも自分は大学には現役で受かったみたいなちっぽけな上から意識はあったんだろう。
高校までは割と横並びに進学していくので、一年ずれるというのはこの頃の自分には怖かったんだと思う。だから大学には進学した。
そして、そこで「遅れないで現役大学生でいる自分)でなんとか保とうとしていたこともあるんだろうと思う。ちっちゃいけどね。
「時には誰かと比べたい 私の方が幸せだって」と小室哲哉は書いているけど、まさにそんな感じだったんだのだろうね(Can't Stop Fallin' in Love/ globe)
今思えば浅ましいなあとも思うけど、それでバランス取ってたのかな。
そうはいっても、大学生活を満喫してる友達は着実に前に進んでるし、浪人してる友達も目標に向かって頑張ってるし、どちらからも置いていかれてるような気持ちがだんだんと強くなってた。
そんなモヤモヤをしてた4月の終わり頃に友達と話す中でもう一度受験をすること、でも、大学は辞めないことを決めた。
いわゆる仮面浪人をしようと決めたのだ。
大学の講義は絶対休まないし、受験勉強もしっかりやる、夏休みに予備校に行くための費用はバイトもする。
結局のところは、背水の陣を引けない弱虫な選択でもあったんだろうけど。
朝と夜のバイトをいれて、大学の講義も38単位くらいに留めて両立できるようにスケジュールを組んだり、上京して浪人生活してた友達に予備校の内容をシェアしてもらったりしてた。
そんなこんなで、大学の成績はフル単でとったし、4年間で成績は1年の時が1番良かった。
そう、4年間で。
結局、また受験に落ちたんですよね。
仮面浪人して、フル単でバイトもしながら合格なんてサクセスストーリーが物語だとよくありそうだけど、自分に待ってたのは前年よりも悪いセンター試験の結果。ダメダメである。
サクセスストーリーで大逆転ってこういう時あるんじゃないの?って結構本気に思ってた気がする。
そんなわけで仮面浪人して臨んだ大学受験はまた「失敗」
そんなこんなで2年生になってしまった。
その頃は、編入試験を受けることを考えたりもしてたけど、大学名が自分に何かをしてくれるわけでもないし、それならその時なりの楽しみを見つけた方が有意義なのかなと思うようにもなっていった。
別に大学が好きになったわけでもないけど、新しいバイトが楽しかったり、バンドやったり、好きなライブに行き始めたり、手話を始めたり、自分の中のオレンジデイズが始まったかな。
オレンジデイズの妻夫木くんは、心理学部生で手話を勉強してる四年生だったので、僕は妻夫木聡だったといっても過言ではないはずである(多分過言
大学を好きになったわけじゃないけど、それだけがすべてじゃないと思うようになってきたのかな。
この頃は1ミリも大学院進学は考えてなかったし、臨床心理士のこともよく分かってなかったと思う。
なんとなく3年生になって時が来て就活を始めるみたいな、そんなに意識の高くない学生だったと思う。
だから、ここ数年で関わる学部生の人たちが心理職を学部生から目指してる話を聞いたり、現役の心理職の人たちも学部生の頃から心理職の道をしっかり見据えてたのは、自分にはなかった発想なので「すごいなぁ」と心から思う。
就活も決まった後に、大学院進学を目指し始めたのはもう少し先の4年生の5月頃の話。
前置きが長くなったけど(前置きなのか?
そんな時期を支えてくれたのが北海道だった。
高校の仲良かった友達や後輩が何人か北大に進学してたので、お金貯めて休みの度に北海道に行ってたんですよね。
日常から離れて気心の知れた友達と遊んだり、観光したり、カラオケ行ったり、北大の講義に潜り込んでちゃっかり質問までしてみたり、やさぐれで飲んだくれてたり。酪農大にいったた友達の案内で食べたソフトクリームは絶品でした。
そういう非日常があったから、不満もありつつ日常をなんとかやってられたんじゃないかな。
不満はあるけど、なんとか毎日を過ごせることの大事さは今になるとよくわかる。でも、あの頃はとにかく不満を持て余してた気がします。
そんな中で食べたのが「てつや」のラーメン。当時背脂っていうものを知って、ラーメン屋を目指してたバイト先の人が「てつや」とか東小金井の「にんにくや」とかを教えてくれたんです。
だから、今でも「てつや」の味は自分には特別で、頑張ってたあの頃を優しく思い出して、今の自分をエンパワーしてくれる気がする。だから、北海道にきたら食べに行きたくなるんですよね。
そんなこんなで、大学時代をトータルで見ると楽しいこともたくさんあったし、決して辛いことばかりじゃない。
でも、第一志望に受からなかったコンプレックスがゼロになったわけじゃないし、悔しさもあるけど、それが抱えていられるものになってくれてるのは、こうやって支えてくれる人がいたり、日々があったからでもあるんだと思う。
今思うとありがたいし、当たり前でもないものである。歳を重ねるといろんなことへの感謝が増える。強さを追求してたネテロが感謝の正拳突きに辿り着いたのもそうした遥か延長にあるのかな。
辛いことなのは変わらないけど、その辛いことを辛いものなまま抱えていられるものとしていられることが、そんなに簡単でもないことも、今この仕事をしてるとわかる気がする。
大学卒業の3月に卒業旅行は北海道だと直感で思った。
その時に北海道で雪が降ってたのね。その時にケツメイシのさくらを聴いてたらすごいマッチしたんですよね。
なので、ケツメイシのさくらを聴くとなんとなく雪景色が頭に浮かぶという学習をしたわけです。
そんなわけで学部時代を支えてくれた北海道はとても特別な存在なんです。
だから、その後に学会発表で札幌に来た時や、仕事として北海道に来た時とかは、とても感慨深いものがありました。
院進学なんて考えてもなかったかも知れないけど札幌で学会発表してるよとか、札幌に出張できてるよとか、大学はそのままだよ、、とかあの頃の自分に言ってあげたい気持ちもある。
そして、未来は満更でもないよ、とも。
やっぱり第一志望の大学には行きたかったけど、行けたなかった方の人生もそんなに悪いことばかりじゃないよとね。
そう思うことが今できてることが、パラレルの時間軸の中であの頃の自分をサポートしてあげられてたりもするのかもしれない。
ドラクエ5で主人公が過去に遡って幼少期の自分と会話するみたいな。
さて、今回はホログラフィートークという研修で来札しました。
ホログラフィートークは、クライエント本人が感情や身体症状の意味を読み取り、解決し、自らを癒すプロセスをセラピストが援助する心理療法です。手法的には、軽催眠下のトランスワークや、自我状態療法の一種に位置づけられます(サイトより)
過去の傷ついた自分と今の自分が協力しあって、傷を負った自分と向き合い、自分が自分を支えて救っていくような側面がある技法だと思うので、北海道で学びたいと思ったのもあるんですよね(美味しいもの食べにきたかったのもあるのだけど)
まして、3月の後半のこの時期の開催というのは何か意味があるのかもしれない、そんな気持ちで申し込んだかどうかはわからないけど、期せず季節は卒業シーズン。卒業旅行っぽい学生もちらほら見かけた気がする。
学生の未来に幸あれ。
そして、このオンライン禍の中でのつながりが偶然的に繋がる出逢い(再会?)もあったり、新しいつながりに支えられたこともあり、今でも札幌は自分を支えてくれたんだなあと思ったわけです。
あの頃の未来が今で、
その地続きに今があって、
この先の未来も今と地続きだと思ったときに、
これからの札幌との関わりも楽しみだなと思えることも、今の自分の落ち着きなのかもしれない
「まだ見たことない未来で
勇敢に戦う俺がいる
きっとそうだろ
どうなの?
未来の俺らの状況は」
ケツメイシの手紙〜未来もよく聴いてました。
あの頃の自分に未来はそんなに悪くないよと言ったら、少しはホッとしてくれるとよいなと思う。
そして、この先の未来もそうであってくれたらいいなあとも思う。
あの頃、札幌駅から新千歳空港に着くまでの快速エアポートの中でよく日記を書いてたんですよね。
そんな感じでボチボチと書き始めたら、羽田に着いたわけでした。
ただいま、今の毎日。