
Layers of Fear2023版 第一章考察
あの不可解な謎を解く時がやってきた🖼
本作品はゲーム実況者らんぶる氏が2019年にホラゲ実況をした2016年版Layers of Fearの完全版である。グラフィックが格段に美しくなっており、それ故グロテスクさも増している。旧版の1と2を併せた設定になっており、話筋は同じであるが、公式の引用や物語の始まり方から違っていたので、まずそこから見ていこうと思う。
本稿はもちろんネタバレを含んでいるので、未プレイの方はご留意願いたい。また私(月本)の書き方がどうしても怖くなってしまう点に置いても、怪談やホラゲを敬愛するが故であるいうことをどうかご容赦頂きたい。
そして、このサイコホラーではなく【サイコロジカルホラー】たる所以を朧げな考察ではあるが、読了後感想を頂けると幸いです。
【物語を語っていたのは誰か?】
2016年にLayers of Fear1がリリースされ、即座に人気を博し、ネット上では既にとても完成度の高い考察がなされている。当然ながら被るところがあると思われる。私の見解はできるだけ見出しを変えたりしてわかり易くした(つもり)。

2023年版のゲームはこのような冒頭画面から始まる。

らんぶる氏も実況プレイ内でご指摘頂いているように、2023年版のLayers of Fearはプレイヤーがこのホラーゲームのシナリオを書いた作家になりきるよう設定されている。それは「選択」によってエンディングが3つに分かれるこのゲームに、更なる臨場感を持たせるための演出であろうと思われる。(氏が第2章で主人公は誰かと戸惑ったのはこの為である)
「この物語を決めるのは貴方だよ」という一人称視点を強調していて、後にこの設定が重要な意味を持つことになる。
終わらない物語など存在してはいけない。どれだけ不気味で、歪んだものであっても、あのキャンバスに最後の仕上げを。あの舞台でカーテンコールを。あの本の最終章を。このサイコロジカルホラーゲームを通して、己の恐怖と再び向き合う準備ができているか?
2016年版のLayers of Fearにはそういった設定はない。
【画家の話】
こうしてプレイヤーはある画家の一家の話を執筆していく形でゲームを進めていく。

依頼者からの催促電話の後、タイプライターに向き合う。直後、妙な物音とネズミの気配に導かれ、漸く件の絵画の前に対峙することになる。

開始から14:22まで2023年版の冒頭に付け加えられた箇所なのだ。前作とスタートがだいぶ違うので、別の話に差し替えられたか、記憶がないと思っても仕方がない。
「お前の心の内はわかっている
喪失 孤独 絶望
当然の報いだろう?
それでもまだ道はある…全てを取り戻す道が
心の底から渇望していたただ一つのもの
終わらせねば」
「感情を込めて描かれた肖像画は全て画家自身の肖像画であり、モデルのものではない」Oscar Wilde「ドリアングレイの肖像より
上記二つの引用も大変重要であるためここに記しておく。


①新進気鋭の画家は音楽家の美しい女性と恋仲になり、とあるパーティに出席する。既に彼女は第一子となる女の子を妊娠している。妻となる女性は、性格の歪みを批評家に指摘されつつも美貌と才能を認められ、大人気ミュージシャンとして成功し、夫婦ともに順風満帆である。
②二人の間に女の子が誕生し、妻は産後うつを発症する。この辺りから夫婦仲に亀裂が入るようになる。夫(画家)の仕事は順調だが、妻は娘と夫を疎ましく思い、夫に頼まれてもピアノを弾きたくない。妻の奇行について、夫は友人に手紙で相談をする文面から、妻は昔で言うところの育児ノイローゼ、産後うつに罹患していると考えられる。
娘に宛てた手紙から妊娠しにくい身体である事が見て取れるが、何故妊娠できたかは不明のままである。尚、彼女は奇跡だと称している。
③出先で火災発生。妻は全身に大火傷を負い、車椅子生活を余儀なくされる。火事以前の美貌は見るも無残な姿になってしまい、そんな妻に夫は激しく動揺しスランプに陥ってしまう。
④画家は絵が上手くかけないストレスからかアルコールに手を出すようになり、妻と娘に暴言や暴力を振るうようになる。屋敷の至る所に酒瓶があるのはその為である。作中「メモでの会話を止めよう」など夫婦間の会話はメモで行われるほど冷えきっている。そんな夫を妻は憎み始める。漸くペンが持てるようになると夫を呪う日記を書いている🖊車椅子が怒ったようにどついて来るシーンがあるのは夫に激怒する妻を表現している。
アルコール依存症となった夫はネズミの駆除業者と揉めている記述がある。実際この屋敷にはネズミはおらず、夫はネズミの幻覚に苛まれていたと考えられる。
⑤妻が風呂場で自殺する。第一発見者は夫。酷く動揺したらしいことが伺える。ここで、彼が以前描いた「黒衣の女」は妻の手によって焼かれている。妻は自分の美貌を失ってようやく気づいたのだ。夫は私ではなく、私の美貌を愛していたのだと。以前の自身の美貌を描いた絵を燃やすことで、夫にSOSを送っていたのかもしれない。また、以前のような絵の仕事は来なくなり、絵本の挿絵もまともに描けないほどその地位は転落している。
⑥娘との離別。家庭裁判所の決定により、アルコール依存症に罹患した父親は養育が困難と判断。娘は養護施設に引き取られる。
⑦娘奪還。あろう事か画家は娘を養護施設から誘拐、逮捕される。
⑧刑期を終えて、自宅に帰った所からがオープニング。そう、ゲームの冒頭は画家の栄光と転落の末、刑務所から我が家に帰宅したところからなのだ。
画家は再び絵を完成させる為に屋敷内を徘徊する。そして何を選択して絵の仕上げをするかでエンドが別れる仕様になっている。
【画家の最期】
冒頭の画家の独白にあるように、彼は地位と妻と娘を失った。
①絵を完成させるエンド(地位を重視)
このエンドは彼が脳内で画家としての地位を取り戻し、美術館に飾れるような絵画をまた描けるようになった妄想エンドである。
②描いても描いても無間地獄エンド(妻(女性美)を重視)
タイトル通り、描いても描いても焼け爛れた妻の絵になってしまい、失敗作のキャンバスを永遠に貯め続けるエンドである。(妻の体を使って絵を描いたのは妄想かと。何故なら、失敗作が多すぎる為画材となる遺体が足りない)
彼は妻の美貌だけを愛しており、彼女は火事の後そのことを悔やんで自殺している。どうしてこんなことになったのか?彼にはわからないでしょう。
我が推しらんぶるさんはこのエンドでしたね。
「感情を込めて描かれた肖像画は全て画家自身の肖像画であり、モデルのものではない」Oscar Wilde「ドリアングレイの肖像より
③妻と子どもの絵を完成させ…?エンド(家庭を重視)
妻と子の肖像画を完成させるが「そんなことをしてももう遅い」と、絵を失敗作のキャンバスの山へ放り投げ、そこに火を放って自殺するエンド。このエンドは絶命する前に自分の過ちに気づき、改心している。
【月本の考察①】
彼の過ちは「妻の美貌だけを愛した」ことだと多くの考察で語られています。でもそれはこの夫婦に限ったことではないはずです。彼女の中身を愛するチャンスはありました。どこでしょう?
私は彼女が娘を出産した時であると考えます。身体が母へと変わって行く過程で、妊娠しづらいにも関わらず子どもを慈しみ、感謝し、あの手紙を書いた妻。対して、仕事の電話が鳴り止まないくらい人気の画家である夫の母ないしは子への想いを綴ったメモはありませんでした。あれだけのメモの数の中でそういうメモが無い事に強烈な不自然さを感じました。
彼ら夫婦に起こったことは今で言う「産後クライシス」そのものです。
一心不乱にならない子育てなどありません。彼(画家)も妻と一緒になって「親」になっていれば。それこそが妻の美貌だけでなく、娘も、妻の中身をも愛するということだったのに。
実況中私のツイートを見た方は、覚えていらっしゃるでしょうか。
「Layers of Fearの今んとこの感想だけど、「ガワの美貌」だけで人を愛したり、「自らの容姿」だけを頼りに自我を確立させたり、あまつさえそれを売り物に等してると飛んでもない悲劇を産むんですね
本当に怖いものは怖い姿をしていない。
人間は中身なのよね。」
外見の美しさを前にして、中身を愛するのはとても難しいことかと思います。画家はその壁を乗り越えられませんでした。
出産がなくても、若さ故の美しさというものは永遠ではありませんよね。自分で獲得したと言うよりかは、両親からのギフトと言うべきか。美醜による亀裂は夫婦に内在していた亀裂だったようです。
【月本の考察2】
この3つのエンドについて、初見なら無意識に選択すると思います。というのも、「えっ?ここ選択するの?」と視聴してるこっちも驚く程に選択肢に正誤がないからです。(車椅子を押すか押さないか等)
自由選択の末、辿り着いたエンドがプレイヤーの潜在的に大事にしているものなのではないでしょうか。
いわゆるゲーム物語を通してホラーを解いている体で、心理テストをしていることになる。そのための一人称視点なのではないか。
だから制作側は「サイコホラー」ではなく「サイコロジカルホラー」としたのではないでしょうか。
プレイヤーの人格がホラゲによって赤裸々になる仕様なら、これは怖いと思いました。
真相はわかりません。
【終わりに】
最もらしくここまで書いてきたが、いずれも推測の域をでない考察である。彼らに起こった悲劇がどこにでも起こる事態であることは、時事問題をよく知る皆様はご承知だと思う。心理テストの仕様についても、素人の域を出ない推察であることを強調したい。
願わくば彼らの娘だけは幸せな人生を送ったと信じたい。
ここまで読んでくださった方々に御礼申し上げます。
いつもゲーム実況動画をして下さり、素材提供を快諾して下さるらんぶるさんにも厚く御礼申し上げます。
細かいところは割愛しましたが、どうしても長くなってしまい恐縮です。
ようやく解くことが出来て嬉しいです。
第二章も考察を深め、筆力を蓄えて書いていきたいです。
月本結衣🌙*゚