久しぶりに
「西洋かぶれの日本文化」
私の卒論のテーマです。欧化政策や戦後のアメリカによる、、みたいなことではなくて軽い意味での解釈。またはアート的な推察。
なぜ車の名前はたいがい横文字なのか、なぜ「NEWYORK CITY」みたいなTシャツを着てても恥ずかしくなくてむしろおしゃれなのか。でも「東京都」みたいなTシャツはなぜ恥ずかしいのか。
意味をもたせることがNGなのだと考えました。
記号化させることがアート的なのではないか。
外国人がたまによく分からない漢字のタトゥーをいれるのと同じで、その漢字の意味などどうでもよくて
記号的にかっこいいと感じているのではないか。
バンド名を日本語にする人も増えたが、できるだけ
意味を持たせないようなもの、何なのか考えさせるものが多い。
すぐに理解できてしまうものはアート的ではなくて
、アートとは人に考えさせることなのではないか。
ピカソの絵は色々と想像をふくらませられる。
一方写実画は技術がすごいなあとは思うが意味はすぐにわかる。どうやったらこんなに精巧に描けるのだろうかとは思うが。
ギターでいうと、右ききのギターはピックをもつ方が右手で押さえる方が左手。つまり右手のリズムの方が大事だから利き手をストロークする側にもってきている。ギターというのは本来、どちらかと言えば右手で弾くリズムが大事なのではないか。そうでなければ逆の構造になっているはずだ。速弾きは意味がわかる。凄さがわかりやすい。右手のgroove感は言葉では説明しにくい。もしくはその人独特のもの。体が勝手に反応するという感じ=アート的である。もちろんどっちも大事だが。
音楽は?わかりやすいものより、よく分からない前衛的なものの方がアート的ではある。
また、西洋のものがかっこいいとされている。お金持ちがたいがい外車に乗るように。
実際西洋の音楽の方がかっこいいだけか。
やはり音楽も車も起源が西洋なのだから当然か。
あの邦楽のたまに歌詞に英語を織り交ぜるのはなんなんだろうか。
西洋テイストを入れるとかっこいい、でもかっこいいだけでは売れない。アーティスティックなだけではビジネスにはならない。
アートとは考えさせること。しかしビジネスとなるとわかりやすい方が良い。両方兼ね備えているのが理想、とは結論付けたくない。
だから私は売れないミュージシャンなのだということだけがわかった。
しかし私は1人ではなかった。だからバンドをやっているのか。補填しあっているのかもしれない。1人では何もできない、みんなに支えられて生きている、という結論。
ありがとうございました。