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数学が得意な人と苦手な人の差は何か

数学を勉強するメリットでよく挙げられるのは、以下の点だ。

・問題解決能力を鍛えられる
・論理的思考力を鍛えられる
・発想力を鍛えられる
・処理能力を鍛えられる

などなど。

私は、数学を勉強しないといけない理由は個人の利益にではなく国家への貢献にあると捉えているため、

実際のところ数学を学ぶことでこうした能力がどれほど身につくかは、副次的なものだと考えている。
それに、もしそういった能力を身につけさせることが学校教育の目的であるならば、人には向き・不向きがある以上、一種の虐待のように思えてしまう。
その人が苦手とする能力を無理矢理身につけさせるよりは、もっとその人が活躍できるフィールドを探してあげるほうが良いはずだからだ。

しかし、数学が得意な人と苦手な人を比較し考察することそれ自体には、一定の意味があると考える。

例えば、数学が得意な人と苦手な人の間で、冒頭に挙げた
問題解決能力、論理的思考力、発想力や処理能力に有意な相関関係があるかどうかを確かめることは、数学が学ぶメリットが本当にそれらの能力を身につけられることなのかを検証するという意味を持つ。

それに、数学が苦手なことは恥ずかしいことでも欠点でもない。
もちろん、得意なことの恩恵はとても大きく、できるに越したことはないのだが。

前置きが長くなってしまったが、結論から言って、
数学が得意な人と苦手な人の差は、抽象的思考力の差にあると感じる。

1.数学ができなくても、冒頭に挙げた能力がないとは限らない

残念ながら、京大生でも、文系の人は、数学が苦手な人が多いように感じる。
もちろん、たまたま自分が出会った文系京大生に数学が苦手な人が多かっただけの可能性は十分にあるため一般論ではないし、数学が得意な文系京大生も知っている。
しかし、彼ら彼女らが問題解決能力・論理的思考力・発想力・処理能力に乏しいとは思えない。むしろ、一般の理系大学生よりも優れている人も少なくないかもしれない。
実際、コンサルに進む人も多い。
私には、本格的な相関関係を調べる力と気力はないのでこれ以上は踏み込まないが、これらの能力は数学でなくても十分身につけられるように思う。

2.抽象的思考力について

しかし、抽象的思考力、これに関しては数学が得意な人と苦手な人との間で明らかに差を感じる。
例えば、ひろゆき氏。
彼は、頭の回転は速いように感じる。
詭弁や極論に走りがちだが、息を吸うようにそういった論理展開をできるのはすごいと思う。
ただ、抽象的思考力は高くないところが見られる。
例えば、
「位置エネルギーは存在しない」
であったり、
「虚数は実在しない」
といった発言をしている。
もっとも、抽象的思考が苦手といっても、おそらく氏が特別出来ないというわけではなく、世間一般の人が同じ程度の理解力だろう。思考停止で学校の内容を受け入れている人も一定数いるであろう中、はっきりと意見を表明しただけ良いのかもしれない。

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また、維新の党の藤巻健太氏は、三角比と三角関数を混同した状態で三角関数を必須ではなくすべきという持論を展開した。

三角比と三角関数を混同するなんて、いったい、何を勉強していたのだろうか・・・?
慶應経済出身らしいが、文系用の数学の問題を解けたことでできると勘違いしていたのだろうか。
付け焼き刃で公式は覚えられたかもしれないが、何一つ本質的な理解はできなかったらしい。

もちろん、私は両名の学生時代の数学の成績を知らないが、もし数学が出来たならならば、絶対にしないであろう発言をして、自身の数学に対する理解度を露呈させているように思う。
数学の学習は、学年が上がるにつれて抽象度が増していくので、数学が得意なことは一定の抽象的な思考力があることを保証する。
当然といえば当然なのだ。

3. 抽象的思考ができないことの弊害

そして、抽象的思考ができないことには、きちんと弊害がある。

政府公式の試算なのか一個人の試算なのかを知らずに「内閣府の」と発言していしまうリテラシー面の問題はさておき、
抽象的思考力がないとこのような思想を平気で間に受けてしまうのだと残念に感じる。
高収入の人はたくさん納税しているからより社会貢献していて、低い人は全然納税していないから社会のお荷物になっているという論理展開なのだが、「お金」とか「価値」といった抽象的な概念に対する理解がなさが伺える。
例えば水が500ml100円で買えてしまうのは別に水の価値が低いからではない。調達コストが安く、誰でも入手できるように流通が整っているからであって、値段がものの本質的な価値だとしたら水なんて1億円でもいいくらいだ。
そもそも、別に収入の多寡は社会への貢献度と等価ではないことは、世の中にあるなくてはならない仕事を考えればすぐに分かることだ。
抽象的思考力がないと、物事の本質がつかめずにおかしな発想に流されてしまう。
そのせいで差別的な発言をしてしまうというのあれば、これは弊害という他ない。
この人も、慶應の経済学部らしいのだが、いったい経済学部で何を学んでいたのだろうか。金銭的な価値が何を意味するか等、むしろ専門の範囲だと思うのだが・・・

世間では、論理的思考力や頭の回転の速さが持て囃されているような気がするが、抽象的思考力も同じくらい大事なように思う。

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