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京大の4年生になった私が、高校生の自分に学歴について伝えたいこと
こんにちは。久しぶりの投稿です。
私は4回生で、キャリア形成について考えることが多くなりました。
その上で、もし高校生のときにこういった視点を持っていたらなあと思ったことをまとめてみます。
今回は学歴についてです。
私は、京大の上位(情報学科)に現役で合格し、東大にはギリ合格できない?くらいの学力で、いろんな理由から東大→京大と志望変更した経歴があるということを念頭に記事を読んでいただければと思います。実際、偏差値50の高校生とはかなり乖離した価値観を持っていました。
なので、いわゆる東京一工を志望する受験生の参考にはなるかもしれません。
とはいえ、この記事の対象は、全日本人に向けたもので、一種の問題提起的な側面を持ちます。
同じ東京一工の学生、OBは共感できるかもしれません。
前置きはこれくらいにして、、、
要点はずばり、
大学の偏差値の差と社会からの評価の差はかなり違う
ということを伝えたい。
(補足)いわゆる東工大、東京工業大学は現在では東京科学大と名称を変更していますが、この記事では東工大と呼ぶことにします。
東京一工とは、東大、京大、一橋、東工大の大学グループのことです。
1.問題の要点
偏差値の差と社会の評価の差が違うなんて、
何を当たり前のことを言ってるんだ
と感じる方も多いかもしれません。
実際、完全に同じだと思っている高校生は少ないと思います。
ただ、高校生が、健全な学歴観を形成することは、様々な要因から極めて困難であるケースが多いです。
今回の記事で取り上げたい問題は、高校生が、偏差値の差の肌感はつかめても、社会からの評価の差がいまいち掴めないことです。
その結果、大学の偏差値の差を過剰に評価してしまうことが起きがちで、それゆえに、
大学の偏差値の差と社会からの評価の差はかなり違う
ということを強調したいのです。
(補足)そもそも、学力上位層の高校生にとって、自分を評価する尺度のうち、偏差値が占めるウェイトは大きく(勉強が出来ることが自己肯定感を形成するアイデンティティだったりします)、偏差値に囚われてしまうことは程度の差はあれ不可避です。そして、学力上位層ほど、勉強が出来ることや勉強を頑張ることへのリスペクトが上がるので、一概に悪いこととは言えないのです。
なぜ、この問題提起を行うかというと、それが、勉強を頑張ってきた学生に、ただならぬ弊害をもたらすからです。
次節では、その弊害とそれが生じる原因について述べます。
2. 学力上位層が陥りがちな有害な思考とその原因
その弊害とは、
「東大以外の大学に進学することに価値を感じられない」
という感覚に陥ってしまうことです。
(医学部志望は別)
それで、実際に東大に合格できればまだ良いのですが、そうでない場合は、悲惨です。
岸田元首相が、開成高校という超進学校から2浪して3回東大受験をしたが全部落ちて、早稲田大学に進学したことは有名な話だと思います。
私の高校の先生も、県内で一番偏差値の高い私立から東大を2回受験するも、結局地元の国立大に進学することになり、学歴コンプレックスを拗らせてしまっていました。(高校教師が学歴コンプレックスはダメだろ)
東大でないにしても、第一志望の大学に過剰に固執し、学歴コンプレックスを拗らせたり、選択の幅を狭めてしまうことがもたらすマイナスは計り知れません。
そして、そのような感覚に陥ってしまう高校生が珍しくはないのです。
先ほどあげた例の他にも、例えば、
私の高校の友達は、東大受験に失敗したのですが、その時に
「あれほど親や学校に受験をサポートしてもらったのに、進学先が私文なの申し訳なさすぎる」
と呟いていました。
その私文というのは、早稲田大学のことで、世間的にはいい大学です。
ただ、本人にとって早稲田大学は進学するのが親に申し訳ない大学ということです。
なぜ、このようなことが起こってしまうのでしょうか。
原因は、東大と、それ以外の大学との間の難易度差が、あまりにも大きすぎることにあります。
簡単にいってしまえば、東大>>>その他の大学すぎて、その他の大学がたとえ早稲田でも、レベルの低い大学に感じられ、結果として、東大以外の進学が嫌になってしまうのです。
次節では、東大と、それ以外の大学との難易度の差がどれくらいあるのかを解説します。
3. 東大とそれ以外の大学の差
例えば、東大と京大はそれぞれNO.1、NO.2の大学と考えられがちですが、その入試難易度の差はとても大きいです。
一つの根拠として、河合塾がボーダー偏差値(合格可能性が50%になる偏差値)を2.5刻みに算出していますが、これを参照してみると、
東大理一・理二:67.5
京大理系(医学部以外):62.5~67.5
となっています。
京大の上位学部はともかく、下位の学部に至っては偏差値がおよそ5.0も違います。
私が、京大の工学部の情報学科所属で、ボーダー偏差値67.5の入試を突破しましたが、ボーダー偏差値62.5の学科の最低点を+100点over(1000点満点中)での合格だったので、京大の上位と下位では合格難易度の学力差はかなりあると感じていました。
京大ですらこうですから、先ほど言った
東大>>>その他の大学
の意味がなんとなくわかったのではないでしょうか。
文系に至っては、さらに差が顕著だと思います。
なぜなら、社会科目の必要数が違うからです。
東大だけ、唯一社会を2科目勉強しなければなりません。
京大や一橋は1科目でいいし、阪大以下にいたっては、数学or社会1科目を選ぶので十分です。
数値上の偏差値の差以上の難易度差、負担差があるはずです。
と、このように圧倒的に東大とそれ以外の大学で難易度の差が生じた結果、
東大合格付近以上の学力になると、
「東大以外レベルが低い」
というのが自然な感覚になってきます。
その結果、社会で高い評価を受ける早慶でさえも、レベルの低い大学に感じられ、そんなレベルの低い環境に身を置きたくない、となってしまうのです。
それに、東大と早慶の差は他にもあります。
私も、早稲田大学を併願していましたが、以下の理由から、高校の友達同様に早稲田大学に進学するとなったら、恵まれているのは理解しつつも、ショックを受けていたと思います。
・大学内の優秀層のメインが東大に落ちた人たちで、学歴コンプに悩まされそうなこと
・内部や指定校推薦の人達も進学できてしまう大学であること
・早慶の入試問題の質が東大に比べて劣っていること(主観)
私は、情報系の学科に進むことに重きを置いていて、東大は、進振り制度のせいで合格したとしても情報系に進学するのが極めて難しいということや、上記で挙げた早慶のマイナス面が京大になかった等、様々な京大を選択する理由があったので、東大ではなく京大に進学することを、むしろ積極的に望んだのですが、そうでない場合は、東大特攻や学歴コンプレックスで苦しんでいたと思います。
はじめに述べた、
大学の偏差値の差と社会からの評価の差はかなり違う
というのは、多くの人にとっては、当たり前のことを言っているのにすぎないようにうつるかもしれません。
ただ、東大付近の学力をもつ人達は、2節、3節で述べたようにその感覚が歪みがちなのです。
2,3節では、偏差値の問題に文字数を多く割いていましたが、さらっと述べた社会からの評価の差がいまいち掴めないことが、大きな問題で、次節ではその辺りに触れたいと思います。
4. 高校生のときはキャリアに対する解像度が低かった
皆さんは、アクセンチュアって知ってますか?
あるいは、マッキンゼーやキーエンス、五大商社というものを。
私は、高校生の時、それらを全く知りませんでした。
サークルの先輩から、
「内定、BCGに決まった」
と報告を受けても、
「BCGって企業あるんだ。ワクチンしか知らなかった・・・」
という感じでした。
そこから、色々調べて上に挙げた企業を初めて知ったようなものです。
高校の頃は、いい大学を卒業できれば、給料のいい企業に入りやすくなる程度の認識で、そこから先は深く考えていませんでした。
自分は理系で、医学部もどこかしらは行けたので、
「カネで仕事を選ぶなら大企業よりも医者の方が再現性が高くてそっちを選ぶべき」
と思って執着してなかったというのもあります。
(この考えは、私の首を絞めることになるのですが・・・)
それで、その程度の認識だったから、たとえば、
東大卒が早慶卒よりどれくらい就活で有利か
とかそんなのわかりません。
はっきり言って、今でも、そんなに解像度は高くないです。
お前が高校で考えてなさすぎだろ、思うかもしれませんが、
逆に高校で、
「俺は将来三井物産に就職したいんだ。だから早稲田に行くんだ」
っていう人いたらちょっと気持ち悪くないですか?
私の高校の頃に、建築士になりたいとか特定の職業への憧れを持つ人はいたけど、商社やコンサル行きたいって公言してた人はいなかったように思います。
私は、就活は先のことだから、今はとりあえず勉強して少しでもいい大学に行こうという考えの方が楽で、そっちに流れていました。
それでもって、今学歴についてどう思っているかを、いよいよ5,6節で述べたいと思います。
5.学歴は早慶以上から上昇時のコスパが悪くなる
私が思っていることは見出しの通りです。
学力上位の高校生が、東大にこだわりがちな一方で、社会は、学力面に関して、早慶以上のレベルの差はあまり求められていないように思います。
要するに、早慶以上か以下かは見るが、早慶以上の学力があれば理3レベルだろうと早慶ギリギリレベルだろうとあまり気にしないということです。
こう思うのは、かなり主観による感覚も大きいのですが、
・大学での成績(GPA)や何を勉強していたか自体はあまり重要視されないこと
・東大生に比べて、京一工早慶生が学歴それ自体を理由に就活で不利になっているケースをあまり多くなさそうなこと
*京一工早慶生とは、独自の名称ですが、要するに京大、一橋大、東工大、早稲田大、慶應大の学生のことです。
です。
東大生しか応募できない企業というのは、存在するかもしれませんが、それはかなり特殊でそういう企業もあるという話にすぎず、京大でも早慶でも、世のトップ企業に就職することが可能です。
この前、サークルの文系同期4人が、アクセンチュアの内定が決まったという話を聞いたのですが、文系の大学を単なる就職予備校として捉えるのであれば、彼ら彼女らが京大ではなく東大を目指す意味は全くなかったという話になります。なんなら、そのうちの一人は現役で東大受験に失敗し、一浪時に京大経済に入った人ですが、浪人時に志望校を下げたことによるキャリア形成におけるロスは0だったということです。
同様に早慶や一橋、東工大も、東大生に比べて就活が不利になるということはないでしょう。むしろ、コネがあったり実家が太い早慶の大学生は、ただの東大生より有利に就活を行うことができるかもしれません。
学歴単体軸でみると、東大卒と京大卒ではもちろん東大卒の方が評価されるでしょうが、就活が、それ以外の要素(容姿、コミュ力、ガクチカ等)を加味した総合力で決まるのであれば、早慶以上の学力ランクにおける学歴のシフトは、高校生が思っているよりは大した問題ではないということになるでしょう。
では、なぜ社会ではこのような評価がなされているかについて、次節で考察
を行います。
6. 学歴フィルターとはなにか
勉強ができることと仕事ができることの相関ってどれくらいあると思いますか?
私が昔父と叔父に学歴についてきいた時に帰ってきた返答が、
「同じではないが、100人新卒をとるときに、高学歴を取っていった方が優秀な確率が高い。もし優秀じゃない高学歴を引いてしまったとしても、努力できるポテンシャルを見れる」
といったものでした。
学歴フィルターとは、あくまで"フィルター"で、精度が10割である必要はないのです。
もしかすると、学歴が低くても優秀な人材はいるかもしれないが、それを逃すリスクはあっても、全体としてベースが高い人材を集める方が企業としては安定するという考えです。
学歴フィルターがそのような役割を果たすもので、例えば東大生と京一工早慶生の間に、仕事の出来に関して有意な差がないのであれば、この間にフィルターを引く必要はないわけです。
実際、東大生よりも仕事ができる京一工早慶生なんてごまんといることでしょう。
京一工早慶生も、勉強ができないわけではないので、この学歴の差と、仕事の能力との相関は小さくなってくる気がします。
それに加え、個人的には、学歴フィルターは、育ちの良さフィルターとして機能している側面があるように感じました。
難関大に合格すると、それが自分の力だと勘違いしてしまいがちですが、
まず親の世帯年収が低いと大学受験は不利です。
私は、公文をやっていなかったり、参考書を買ってもらえてなかったら、京大は絶対に受かってません。
親が子供の教育に十分お金をかけられる育ちの良さが、成績に寄与するので、高学歴であることと育ちの良さは間違いなく正の相関を持ちます。
それだけではないです。
偏差値のある程度ある中高一貫校に行くと、同じような人達が集まるので、育ちの良い人達が集まった環境が出来上がります。
育ちの良さが、加速するわけです。
私の中高は、偏差値がトップ校並みに高かったわけではないですが、入試時に内申点の占める割合が大きく、真面目な子が多かったです。
問題を起こす生徒がいなかったわけではないですが、不良やヤンキーのような荒れた感じからは程遠いものでした。
京大に入ってからは、それがより顕著になりました。
基本、育ちがいいと感じる人ばかりです。
なんなら、中高私立で浪人して京大に入ったという人も少なくなく、そういった人が育ちが悪いなんてことはまずありません。
企業が、育ちの良い人を取りたがるのは至極当然のことです。むしろ、優秀さと同じくらい、育ちの良さを求めているのではと思うくらいです。
昔、早慶は、内部進学や指定校推薦の人達も高学歴扱いされて不平等だと感じていた時期がありました。でも、企業が育ちの良さを求めているのであれば納得です。育ちの良さだけで言えば、東大生や一般受験の早慶生よりも上でしょう。
三井物産とかは、新卒採用で自分史を書かせるそうです。こんなの、育ちの良さを見ているとしか思えません。
一見、選民思想で不当なような気がしますが、確かに、育ちのいい人と悪い人だったらそりゃいい人と働きたいですよね・・・
あと、育ちが良くなくても難関大に合格する人も稀にいますが、そういった人は普通の人よりかなり優秀なので、企業は当然欲しいし、やっぱり学歴フィルターの合理性は崩れないわけです。
7.総括
大学の偏差値の差と社会からの評価の差はかなり違う
という主張から学歴フィルターまで話を広げてきたわけですが、
私が高校生の頃の自分に伝えたいことをまとめると以下のようになります。
1.東大と京一工早慶との学力差は大きい。
2.しかし、社会におけるそれらの大学間の評価の差はそれほどでもない。
3.大学を就職予備校として考えるのであれば、トップ企業に就職した時点でその差はほとんど帳消しになる。
4.つまり、学歴フィルターは、早慶以上があればそこから上の差はあまり機能しない
5.それは、その学力帯になると学力差による仕事の出来に有意な差が生じにくくなることの他、企業が育ちの良さを求めていることが関係してそうである。
6.そのため、偏差値の差を過剰に評価しないことが大切である。
私の高校は、上昇志向の強い生徒が多かったような気がします。
だからこそ、
目標を高く設定し、それに妥協せずに取り組むことは素晴らしいけれど、失敗した時に学歴コンプレックスにならないようなケアがもっと高校生たちに施されていいような気がします。
早慶に行ける学力がある時点で、社会が求める学力の水準をある程度クリアしているのであれば、必要以上に学力のことで苦しまなくてもいいはずです。
「東大以外ありえない」的な思考は、本人のプライド的な問題ももちろんあるでしょうが、社会が煽っている部分も多分にあると思うので。
もっとも、
「なんだ、早慶でも全然いいじゃん」ってなって上位受験生の競争が鈍化し、国全体の学力が下がるという懸念もなくはないのですが・・・
長くなりましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。