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世界は平和になるはずがないのだけど

 
これは社会学も経済学も政治も歴史も専門ではないただのひとりの凡人の問わず語り。

人間は知性と理性という皮を被ったふりをした「ヒト」という動物である以上世界は平和になるはずがないと思っている。
動物は生存競争をするものであり、増え過ぎればその争いは過激化する。
人類が増えすぎている以上争いは避けられない。
高校の生物の授業を受けながらそんなことをぼんやり考えていた。

そして「歴史は繰り返す」。
これは大学で気まぐれに経済学だったかの授業を受けた時のこと。経済の興亡、戦争の周期は同じような波を繰り返し、その波に大きな変化が起きなければちょうど私たちが生きている間に次の波にぶち当たる。
「これは死ぬまでにどこかで戦争に巻き込まれるかもなぁ」と昼下がりの穏やかな陽が差し込む長閑なキャンパスでどこか人ごとのように考えた。

事態が他人事ではなくなり出したのは3年前のこと。いきなりウクライナで戦争が始まった。(それまでも世界各地で戦争はあったけれどどこか遠い出来事のように感じていた)
これは何かまずいことが始まってしまったという不安感。でもまだ遠い国。とりあえず万が一のためにパスポートを更新しておこう。
薄情だが、当時不妊治療中だった私は精神の安定のためにあまりニュースを見なくなった。

そうこうしている間に命を授かり、目の前の命を必死に育てているうちに、ウクライナの戦争が始まってから3年が経ち自体は収束するどころかガザでも侵攻が発生し、さらには世界的に戦争が起きそうな嫌な予感もし始めている。
娘は無事に1歳になった。

そもそも人類が100年も平和な時代を保てることは珍しいわけで、終戦から80年経つ今を生きる私たちは死ぬまでに動乱の時代に巻き込まれる可能性は高い。ましてや子どもたちの世代まで平和でいられると楽観視することはできない。

1925年生まれの亡き祖母からは、生前私が幼かったこともあり戦争の話をそこまで詳しく聞いたことはない。でも、近くで空襲に遭いながらも一般人は日々学校に行き、就職して働き、家事をこなし、とあくまで日常が回っていたらしい。

世の中の何かがおかしい。嫌な予感はする。でもひとりの一般市民にできることなんて自分の選挙権を無駄にしないことと、ヘイトや戦争を煽る発信に賛同しないことくらいで。

こんな時代に子どもを産んでしまってよかったのだろうか。この子が生きていく世界は幸せであってくれるのか。そんなことを1歳になったばかりの娘を抱きしめながら考えてしまう日がある。

でも、どの時代の人間も、自分の生まれる時代も場所も家庭も選べなくて。私もそうして生まれて育って今があるわけで。
私に与えられるのは、手の届く範囲の精一杯の愛情と、もう少し大きくなったら生きていくための知識を身につけるサポートくらいで。

「こんな時代に生まれる方が可哀想だから私は子どもを持たない。」という声も最近はよく耳にする。
確かにそれも一つの選択肢として間違っていないと思うし、現代にはその選択をする自由がある。

しかし最初に戻って人間を「ヒト」と捉えるなら、種を繋いでいくというのは血を繋いでいくというのは、ごく自然で最大の生存目的でもあって。それは現代社会を生きる「人間」としても間違っているとは思わない。

場所も時代も 選べないけど
僕たちは ここに生まれ落ちた
父ちゃんと 母ちゃんが いたから
僕たちは ここに生を受けた

静かの海のパライソ 誰も教えてくれない

それでも、好きなミュージカル作品の中で聞いたこの歌詞が。戦争に巻き込まれて亡くなった幼い兄弟の歌が、親になってから心に刺さって重い。

きっと世界中の多くの人が、特に子を持つ親の多くが今、同じような不安を抱えて、でも自分にできることはちっぽけだし、目の前の小さな命を日々無事に生かすことに精一杯で生きているのではないかな。

勝てば官軍というように何が正しいかなんて世界の歴史の中では残酷に変えられてしまうけれど。
でもどうか、腕の中の愛おしい命が、健やかに穏やかに育って生きて、生き抜いて死んでいける世の中であってくれますように。

とりあえず不安を吐き出して、明日からも目一杯娘を愛して抱きしめよう。

人類が平和であり続けるのは多分とても難しいけれど、それでもできる限り世界が平和で、できるだけ多くの人があったかいご飯を食べてあったかい布団で眠れる世の中でありますように。


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