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フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン

夏休みのある日
ペルセウス座流星群を観よう
電話中にそうなった

彼女は安曇野の実家
ぼくは横浜のアパート

待ち合わせ場所は
北東の空が見渡せる場所だ
時間は午前0時

彼女に自分の想いは伝えない
ぼくの友達も同じだからだ
彼女はというと……
ぼくの友達に特別な気持ちはないらしい
ぼくのことはどうだろう?

約束の日の夜
ぼくは近くの港へ向かった
空には雲がなく月が輝いている
蒸し暑かったので浜風が心地よい
だんだんと潮の香が濃くなってくる

小さな外灯の脇にベンチがある
薄明りで汚れてないか確認して座った
時間は午後11時55分
彼女へ電話した

彼女は庭に椅子を出して
すでに夜空を見上げているらしい

安曇野の夜空
たくさんの星が光の強さで自己主張している
横浜の夜空
小さな漁港とはいえ圧倒的に星の数は少ない
たぶん

ぼくらは北東の空に狙いを定めた
剣を持った勇者の星座 ペルセウス座
どうしてもその形につなぐことができない

星を観ながら話した
大学のジャズ研究会について
ぼくはピアノ、彼女はベース

自分勝手なメンバーの話になった
お互い気になってしょうがない

ぼくと彼女の共通点は
若干センシティブなこと
それに真面目過ぎること
似ている2人の相性はどうなのか

次のライブの話になる
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」
この曲を演奏したいと彼女に話をした
その時だった
彼女と同時に「あっ」と声が出た
夜空の右から左へ流れ星が通過した

小さい頃から
流れ星に願いを掛けたかった
いつもとっさにできない
今日は構えていたのに

座ったまま
また話をした
夜空を眺めてはいたが
あれから流れ星は見えず
下弦の月の光がやたらに目に飛び込んでくる

安曇野にもこの空は続いている
そう思うだけで
少し体がそわそわする

いつの間にかカップルが近づいてくる
ぼくは立ち上がって歩き出した
海沿いの遊歩道
風は正面から吹いている

数年後
ぼくたちはお互い就職した
ぼくは横浜、彼女は安曇野に


2年くらい会わなかった
電話も数回だけだった
お互い余裕がなかったから
色々と

突然
気が付くとぼくは月の上に腰かけていた
荒涼としたクレーターだらけの大地だ
樹も海も風もない

ぼくはスニーカーにジーンズ
ボーダーのシャツ
いつものとおり

目 の前に地球が見える
確かに青かった
その向こう
宇宙を観れば無数の輝きだ
ペルセウス座は分からないけど
どんな星座でも描けそうだ

ぼくはどうしたのだろう?
最後の記憶は
堅い物にぶつかって
全身にものすごい衝撃が走った
その瞬間に意識が消えた

でもどうして月に来たのか?
そう言えば
ペルセウス座流星群の夜
あの流れ星を観た時
彼女と話していたのは
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」だ

まさか?
願いが叶った?
最初で最後ということか
笑うしかない

ぼくは彼女を想い
そして地球を観た
みるみるズームアップされていく

白い雲を突っ切り
海の中に浮かぶ日本
見覚えのある相模湾
その横に伊豆半島
その上に山脈がつながる

やがて
月に照らされた安曇野が現れ
導かれるように彼女を見つけた

君だ
君が見える
駐車場で女性と話している
会社のようだ
仕事の話だと分かる
困ったことがあったらしい

君はいつも優しい
他人に気を使い過ぎる
もっと自分を大切にしなくては
大学の頃もそうだった

なぜか
この切なさが
自分の仕事を思い出させる
なんのためにあんなに我慢したのだろう
思い切って全部投げ出せばよかった
もっと大事なものがあったはず
今更だけど

こんなに離れていても悲しくなる
一つの青い球体の上で
人より優位に立つことばかり考えるのか
どこまでも不毛な争いを続ける気なのか
社会を壊してしまったら
自分も生きては行けないのに
人は何千年も進化していない
そういうことか

彗星にでも願いを掛けようか
誠実で器用な人が大切にされる
そんな社会になってほしい

せめて
生きづらい世界にいる君に寄り添っていたい

ぼくは知っている
沈んでいても
怒っていても
泣いていても
どんな時も君は素敵だということを


それにしても
ぼくが月に来てからどれくらい経ったのか

最近の君は
庭に出て夜空を見上げることが増えた
何を思っているのだろう
その世界にぼくがいないことを知っているのだろうか?
いつもぼくは自信がない

月の光を観てくれればそこにぼくがいる
月の光に照らされた地球に君がいる
ぼくらは向き合うことができる

たくさんの色の光に乗せて
ピアノの音を贈りたい
君の癒しになるように

たまには
光に耳を澄ましながら
ベースでデュオしてくれないかな

ぼくの人生でかけがえのないもの
それは君に出会えたこと
ありふれているけど
近すぎて気付けなかった
こんなに遠く離れてやっと分かるなんて

月の光が見えない時でも傍にいるから
それしかできないけど


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