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【note版集中講義:下】文芸部は眠らせない

     【まえがき】

 おめでとうございます、note神話部、祝・一周年!!
 ……ども、成瀬川るるせです。この記事では『【note版集中講義】文芸部は眠らせない』の、下巻をお届けします。前回の【集中講義:上】では、実存主義的な話を取り扱いました。
 近代文学の成り立ちにある、自然主義文学は、ある種、一神教的な神との対話、つまり告白や懺悔とも言い得るものであった、という解釈も成り立つというお話でした。
 ……そのような内容だった上巻だけ読むと、ここはnote神話部なのに、全然神話と関係なさそうです。それが、今回のお話と接続されます。
 議論を先んじて書いてしまうと、今回は二部にわかれていて、前半は「神話を扱う小説」とはなにかの話、後半は「神話的な小説」とはなにかの話ということになります。
 前半は『文芸部は眠らせない』109話と110話である『固有名(上)(下)』、そして後半が、同作品の115~119話『アブジェクシオン』というエピソードです。
 上巻で取り扱ったのは〈近代文学〉の萌芽からの流れの、自然主義文学を基調とした小説を書くときの「その前提」の話です。下巻で扱うのは、そこから飛んで、〈現代文学〉の前提の話です。前半『固有名』では、大衆文学の、「キャラクターがキャラクターとして自明である文学」、後半『アブジェクシオン』では、「ポストモダン文学を射程に入れた文学」のお話を語っていくことになります。
 一瞬、これもnote神話部と関係なさそうです。が、関係があるのです。note神話部には、神話の神々をキャラクターとして扱う小説群があります。これを「神話(のキャラクター)を扱う小説」、つまりキャラクター小説と言い換えることも出来ます。一方で、創作神話や神話的文章や詩歌などの「神話的モチーフの作品」、つまり一種のテクスト論で論じるタイプの作品もあります。神話部の小説はこのふたつに大別することが可能だ、と僕は思っています。そのふたつの流れを論じよう、という試みが下巻のテーマです。
 要するに今回のこの【集中講義:下】は、note神話部を〈メタ視点〉から取り扱ったらどうなるのか、ということです。上巻の「小説を書くとはなにか?」から、下巻の「神話の作品を書くとはどういうことか」へ。そういう流れです。
 これが、僕なりの『note神話部一周年おめでとう』記念の投稿です。もちろん、評論ではなく、小説という体裁を取っているため、リーダビリティはがっつりしたものよりは高いと自分では思っています。……ていうか、これ、連載の再録なんですけどね。
 では、遅ればせながら、僕もnote神話部一周年おめでとう、をここに捧げます。
 それではお読みください、『文芸部は眠らせない』note出張版です!!


(注:1万文字以上ありますので、読む際にはご注意ください)

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第109話 固有名(上)

 夏休みの部活動の最初の活動は、部室の大掃除だった。

 掃除の途中、棚にあった、埃をかぶった昔の部誌や部活の合同誌というタイプの同人誌があったので、そのページを、おれはめくった。
 今ではこの学校の文芸部出身作家として知られている作家名がずらーっと並んでいて、おれは目次を見るだけでびっくりする。

「目が泳いでいるぜ、青島」
 一緒に掃除していた月天がおれに声をかける。
 月天は雑巾で棚の埃を拭いている。

「んなぁ、月天。我が母校であるここは、作家育成でもやってたのかと勘違いするほどプロになった先輩たちが多い。話には聞いていたけど、それが誰なのかは知らなかった。目次に書いてある名前見て本当に驚いた。知ってる作家ばかりだ」

 月天が、あー、でも、と顎に手を当てて考えてからおれに応える。

「萌木部長に訊いたんだけどよー。コネクションはもうないそうなんよ。この学校の栄華のときは去ってるから、だってさ」

「なるほどねぇ」
 おれは月天の言葉に頷く。
 よくわからんが、そんなもんだろうな、とは思っていた。

 おれは掃除を本格的に中断し、机の上に昔の部誌を置いて、斜め読みし出した。
「上手い……」

「あ? 上手い? そりゃプロになったほどだからもとから腕に自信があるんだろうよ」
 と、月天。
「まあ、そうなんだけどさ。文体がひとりひとり、個性を強烈に放っている」
 と、おれ。
「青島の描くキャラクターでも、太刀打ち出来ないか」

「買いかぶるなよ、月天。おれはまだ修行中だぜ? でも、まあ、登場人物の個性に特化してる作品は、ないな。SFの牙城だったって聞いたんだけどなぁ。その意味では、おれも負けてないと、自分では思うぜ?」

「キャラクターじゃなく、文体論で語るようなタイプの小説ってことか。そりゃまたブンガクしてるな、先輩さんたちはよぉ」

「この部誌自体が、文芸寄りの作品縛りで書かれてるんじゃねーかな」

埃を拭く雑巾をバケツに放り込んで、月天はおれが開いている部誌を背中越しに見る。

「なるほどな。キャラ論とテクスト論。どちらで語りたくなるかというと、こりゃ後者だな」

「〈ストーリーに要請されてキャラが完成する〉タイプの作品と、〈キャラが自律的に動く〉タイプの作品がある。これらはストーリーに要請されて出来ているけどさ、なんかそういうことじゃねーんだよな。ずいぶん昔の部誌だし、この頃は〈キャラ立ち〉を気にしなかったんじゃねーか、っておれは思うんだ。だから、人間的とは言える。けど、それにしたってキャラの個性が希薄だな」

「言っていいのかぁ、青島ぁ。プロ作家サマサマに対して、そして先輩に対して礼儀がなってねーんじゃねーか?」


 おれは肩越しに部誌を見ている月天の方へ顔を向ける。
 月天の顔が鼻先にあって、今にも顔と顔が触れてしまいそうだ。

「独白ではなく、対話や複数人の会話になったとき、人物の固有性、つまり『固有名』が重要になる。それはミハイル・バフチンの主張だ。これがクリステヴァによってソ連からフランスに輸入されると、それはクリステヴァの主張する〈間テクスト性〉の作用によって、『テクスト論』にすり替わってしまう」

「テクスト論になるとどうだってんだ?」

「〈声が複数〉というバフチンの概念が〈テクストの豊かさ〉という〈違うもの〉にテクスト内で還元されて人物……言い換えれば『固有名』、が消えてしまうんだ」

「つまり先輩たちはテクスト論者だったんじゃないか、という予想を青島はした、と見ていいか?」

「文体、テクストのみの作用で〈魅せてしまう〉小説ってのがあって、それは純文学の十八番だ。それを狙ってやっていただろうし、キャラ全盛の時代ではなかったからな」

「ほう。ちょっと話の続きを聞いてやろうじゃないか」

 会話がそこまで進むと、月天はおれの背後から離れて、パイプ椅子を軋ませながら座った。

〈110話につづく〉

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第110話 固有名(下)

 月天がパイプ椅子に座る。腕を組んで、ふんぞりかえって、
「青島。話の続き、聞かせろよ。面白くなってきやがったぜ」
 なんて言うものだから、おれも口元がほころぶ。

「バフチンは〈声は人格である〉って言った」
 と、おれ。

「それが『固有名』の問題だ、って言うわけだな」
 と、返すは月天。

 おれは頷いた。

「そうなんだよ。バフチンが提唱するポリフォニーの祝祭空間に於いては、人格同士、声同士には〈ズレ〉がある。なぜなら人格はひとそれぞれだからだ。噛み合わない故の〈複数性〉だ。これはディアローグの醍醐味と言える。ある種のキャラクター論だ。だがさぁ、それがクリステヴァを経由すると、途端にそれが〈テクスト論〉になってしまう」

「疑義を挟みたいってか?」

「クリステヴァは、ロラン・バルトの発想を突き詰めた批評家と言われている。記号学批判としての記号学。構成された内部の意味作用を解きほぐすだけじゃなくてさ、過程を経て意味が生成するのを〈解明〉する『意味生成の記号学』を目指したんだな。そこで出てきたのが、あまりにも有名な『間テクスト性』だ」


 月天は、背伸びしながらあくびを一つして、それから目を手の指でこすった。
「ポスト構造主義の用語だと思うんだが、間テクスト性。そういやよくわかってねーな、おれは」

「『間テクスト性』ってのは、あるテクストをほかのテクストとの関連で見つけ出すことを言う。具体的にゃあ先行テクストから借用したり変形したりすることや読者があるテクストを読み解く際に別のテクストを参照する、それを指すんだよな」

「要するに引用可能性の話か?」

「遠からず、そうだな。おれはテクスト論になる危険性もあると思うんだよな。だってさ、固有名を持った人格を持って〈生きている〉のが、バフチンのポリフォニーの土台になってるわけだろ。それを崩しちゃってるように思えるね。登場人物は、作者とテクストの間の声ってのがあるんだかないんだかわからない、という宙吊り状態にある。ないと言やないし、あると言や、ある。〈いるんだ!〉と信じるひとには、〈いる〉んだよ。幽霊がいるかいないかみたいな話だが、まあ、小説の登場人物とは、そういう存在だ」

「だいぶ文学に沿った話だな。キャラ小説やエンタメだったら、あるってことは〈前提〉じゃねーか?」

「そうだな。月天の言う通りだ。純文学は文体論、テクスト論でいける。エンタメやラノベや、それに類するものはキャラクター論になりやすい。それはそういう性質なんだなから、仕方がない。キャラクターってのは、ある種の小説にとっては『役割《ロール》』だからだ。成長する必要性は、特にない。だが、文学は教養小説をはじめ、人物が〈生きている人間のように〉ってのが、基本だ。……基本でしかないが」

「ふーん」

 月天は目をもう一度こすると、
「眠い」
 と言った。

「眠いか?」

「どうも一年生のおれと青島がこの掃除という戦争の先兵となって戦うのが、おれは納得いかねぇ。補習を受けてる山田先輩を拉致ろうぜ」

「二年生の教室に行くのか。やめとけって」

「んじゃ、紅茶でも飲んでぐだっていようぜ」

「それは賛成」


 こうして、夏休みの部活が始まっていくのだったが、相変わらずなおれたちだった。
 願わくば、喧嘩をせずに夏休みを過ごしていきたいところだが。
 なるようにしかならないもんなんだよな、こういうのって。
 おれたちやこの文芸部が平和でありますように。
 ……なんて、祈ることしか出来ないけれどもさ。

〈了〉

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第115話 アブジェクシオン【第一話】

 部室の床をモップがけするおれと月天。
「夏休みだなー、ついに」
 おれが言うと月天は、
「青島はそればかりだな。高校の初めての夏休みってのに期待しすぎだと思うぜ?」
 と、肩をすくめた。

「おれは、同人ゲームのプロジェクトチームにはいたけど、部活ってのはまた格別だ。夢だったんだよな、部活動の夏ってのと、文学の夏を過ごすのが」

「青島の言うことはおれもわかるけどよー。おれも一人だったからな、ずっと」

「月天は不良グループには……入らないで暴れるタイプだもんな。よっ! 一匹狼さん!」

「一匹狼、笑えるな。そんなたいそうなものじゃねーよ。釘バット振り回してんだ、友達なんてできねーだろうよ」

「そりゃちげーねぇな」

 机などを部室の後方に移動させたその床を、モップがけする。
「プール清掃よりゃマシだな」
 と、月天。

「プール清掃も、漫画やアニメでお馴染みだな。そういや月天」

「ん? なんだ、青島?」

「アメリカあたりでは、自動車を泡立たせたスポンジで洗車してる女性、ってのがポルノグラビア扱いされている件について、意見を聞きたい」

「いや、洗車はエロいだろ」

「肯定派か」

「もちろんだ」

「母性を感じるのか。バブみって奴」

「それは違うな! でも、どうせ青島のことだから、母性の話がしたくて、その〈枕〉としてこの話を振ったんだろ?」

「その通り」

 月天がモップを動かす手と足を止める。
「で、なんの話だ、今回は」


「クリステヴァと、そのテクスト論についてだ」

「前に否定してなかったか、青島」

「テクスト論を語るというのは文学についても語っている、ということ。文学も詩と同様に、クリステヴァは『詩的言語』と呼んでいる。詩的言語とは、〈ロシア・フォルマリズム〉の用語から習ってクリステヴァが使っている言葉だ。文学は詩的言語だ、というわけなんだな」

「前の話だと、その詩的言語のテクスト論が、キャラクター論と齟齬を来す、ってことだったよな」

「そうなんだ。じゃあ、そのクリステヴァはどんな文学がつくられるのを望むのか。……それが今回の話だ」

「なるほど」

「キーワードは〈母性の潜勢力〉だ」


「母性の潜勢力……か。バブみからそこに繋がるってのもすごい溶接の仕方だな。〈文学DJ〉かよ。文学という皿《レコード》を回して曲間を溶接《シームレスに》する。まさにトラックメイカーやDJだ」
 月天はそう言うと、モップを置いて、
「お湯沸いてる、珈琲飲もうぜ。うまい棒も持ってきてある。休憩だ、休憩」
 と、背伸びをした。

「そういや、先輩たちは各々課外学習受けてるな。山田先輩は補習か。まー、それが終わる前にモップがけ終わらそうぜ。でも、エクリチュールに関しても、今、語っておきたいんだよな」

 おれと月天はポットのお湯でインスタント珈琲をつくり、部室後方からパイプ椅子だけを持ってきて、座った。

「お手柔らかに頼むぜ」
 と、月天が言うのでおれは、頷く。
「話はソシュール言語学から始まる」
 おれはマグカップを両手で包むように持ち、まず、そう前置きしてから、話を始めた……。


〈116話へ、続く〉
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第116話 アブジェクシオン【第二話】

 おれは月天に言う。
「クリステヴァはどんな文学がつくられるのを望むのか。……それが今回の話だ」

 月天とおれはモップがけを中断し、インスタント珈琲を飲みながらパイプ椅子に座る。
 モップがけを終わらすまで、時間はたっぷりあるのだ。

「話はソシュール言語学から始まる」
「おう。青島。どんと来いや」

 月天のその反応に、思わず吹き出してしまう。
「そう構える内容でもないぜ?」

「じゃあ、ゆっくりと聴くとするか……」

「ああ、それが良いぜ」
 と、前置きしてから、おれは話を始めた。

「ソシュール『言語学講義』以降の言語学の試みとはなんだったのか。それは要するに、『語る主体』について語ったものだ、っていう前提があったと、クリステヴァは結論づけた」

「語る主体?」

「そう、『語る主体』。それは〈意味を意味しうる〉語りをする主体のことだ」

「ちっと、わっかんねぇなぁ」

「自ら扱う言語が体系化・構造化・論理化出来る語りをする主体のことを指す。と、言ってもわかりにくいと思う」

「そうだな」

「つまりは、普通に喋ってる奴の言語ってことだ。それを、ソシュールは自分の言語学の俎上にあげていたわけだ。逆にそれは〈体系化・構造化・論理化〉出来ないものすべてを〈排除〉する試みにほかならない、と考えたんだな」

「ほぅ。排除か」

「ああ。その、ソシュール言語学から〈排除された〉、その〈外部〉を探求したんだな」

「排除されていたその〈外部〉ってのは? 〈体系化・構造化・論理化〉出来ないものってことだよな」

「そうなんだよな」

「具体的には?」

「クリステヴァは二種類あげている。1.幼児の言語活動。2.精神病者の崩壊寸前の言語活動、の二種類だ。他方で、意識的、かつ実験的に既成の言語活動を乗り越える〈文学〉の言語活動もまた、〈詩的言語〉と呼んでいて、それもまた〈外部〉だ、とした」

「なるほどな」

「クリステヴァは前述の二種類とプラスワンに、言語構造の異質な〈外部〉に通じる〈回路〉を見いだしたんだ。この〈回路〉こそが、クリステヴァの用語で〈意味生成性〉と呼ばれるものなんだ。そして、その『意味生成性の言語学』を、クリステヴァは構築していく」

「ソシュール言語学の試みの外部に自身の言語学へと繋がる回路を見いだして、そこに自分の言語学……『意味生成性の言語学』を構築したってわけか」

「そういうことさ」

「飛んだ魔術回路だぜ」

「言葉の魔術……の系譜。と、言っても確かに良いかもな。その魔術回路の話に、話は移っていく」
 おれは一瞬目を瞑り、それから目を開けた。
 月天は珈琲を飲みながら、興味深そうにおれの目を見ていたのだった。


〈117話へ、続く〉

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第117話 アブジェクシオン【第三話】

「まず、ジャック・ラカンの〈ファルス去勢〉について概略を説明しなくちゃならない」

「ん? なんでだ?」
 おれの言葉に、はてなマークが浮かぶ月天。

「クリステヴァは〈前エディプス期〉においての話をするからだ。赤子が〈父の名〉の力で母を乗り越える、その只中の話をするのがこれから話そうとするクリステヴァの論だ。その前に、〈ファルス去勢〉のおさらいをすることになる」

「ファルス……おちんちんだな!」

「そう、心のおちんちん」

「去勢……つまりはおちんちんを切除して使い物にならなくする、ということだな」


「そういうことだ。赤ちゃんは生まれると、乳房から母乳を飲む。母は自分のものであるという全能感が、そのとき赤ちゃんにはあるんだ。だが、そこに〈人生で最初の他人〉が現れる。それが〈父〉だ。母は父のものであり、その子供である赤ちゃんのものではない。それを知ることになり、赤ちゃんからは全能感は消える。ある種の〈欠落〉が生まれるんだ。これを、〈ファルス去勢〉と呼ぶ」

「そうすると赤子はどうなるんだ?」

「ここではファルスが全能感の象徴なんだが、この去勢によって、人間は自らの不完全性を認め、不完全であるところの主体を確立することになる」

「主体ってのは不完全なもので、それを受け入れるってことか。つまりは、社会的な人間になる一歩を踏み出すってこと、……か」

「その通り。ここに、エディプスの三角形が形成される。で、今回はその前と、去勢が行われようとするその只中の話なんだな」

「クリステヴァサマの登場だな」

「ああ」

「心のおちんちんが去勢される前の話から、どう繋がるか楽しみだぜ」

「ああ、そうだなぁ。去勢前の自我が確立してない、ナルシス的とも言える主体は、最初に克服しなきゃならない〈母〉を〈おぞましいもの〉として棄却《ききゃく》する。この〈おぞましいもの〉を〈アブジェクト〉と呼び、これを棄却行為《アブジェクシオン》と呼ぶんだ」

「アブジェクシオン…………」


「アブジェクシオンによってその赤ちゃんの存在は母性から離脱して、母子の融合状態から、父性的機能との同一化に至る。これにより、その赤ちゃんは記号象徴態《ル・サンボリック》な秩序に組み込まれる」

「記号象徴態《ル・サンボリック》?」

「〈語る主体〉の、記号、意味、意味作用を定め、同時に言語外的な対象の思考作用も行う様態を、クリステヴァは記号象徴態と呼んだ。この記号象徴態と、もうひとつ。記号象徴態と同時にそれから独立して、記号象徴態を産出しつつそれに対する破壊や過剰として働く様態を原記号態《ル・セミオティック》と呼んだ。クリステヴァはこのふたつの様態からなる言語活動を〈意味生成性〉と呼んでいるんだな」

「なるほどな。そこの部分が『意味生成性の記号論』だ、って前に言ったわけだな」

「そうだぜ」

「で、その〈意味生成性〉という〈回路〉から、今度は『意味生成性の言語学』を見ていくわけだな」

「ああ。言語の魔術回路を、な」


〈118話へ、続く〉

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第118話 アブジェクシオン【第四話】

「去勢前の自我が確立してない主体が、最初に克服しなきゃならない〈母〉を〈おぞましいもの〉として棄却《ききゃく》する、か。父の登場で去勢されるわけだが、母を〈おぞましいもの〉と捉えるんだな……」
 月天は、ため息を吐く。

 そういえばおれは、目の前のこの不良高校生の家族の話を、一度たりとも聞いたことはない。
 月天は、なにか思うところがあるのかもしれない。


 だが、おれは話を続けた。

「そう、その〈アブジェクト〉を、棄却する。それをアブジェクシオンと呼ぶんだよな。アブジェクシオンによって棄却されるものっていうのは、『おぞましくも魅惑的なもの』だとされるんだな。〈両義性〉を持つもの、ってことだ」


「ふぅん。どんなものだ」

「腐敗物や汚染物、ぬめねめした死体や、経血なんかだ」

「ああ。ミステリ小説には欠かせないものだな。女子は意外と好むから、どうしてだろうなぁ、とは思ってたがよ、〈両義的〉なものなんだな。嫌いでも好きでもなく、その両方、なんだな。いや、嫌だけど惹かれるって奴か」

「これらは自分と他人の境界を侵犯し、自己のアイデンティティを脅かすもの、なんだな」

「ああ。R.D.レインの『引き裂かれた自己』の引き裂かれていくそのときも、自他の境界が侵犯されることで引き起こされるんだったな。前に青島が言ってたのを思い出したぜ」

 そんな話、したかどうかおれは思いだせなかったが、おそらくはしたんだろう。
 おれはさらに話を続ける。

「そう。両義性。もう一度おさらいすることになるが、両義的な言葉とはなにか。それは鏡像段階を経て成立する〈言葉を話す以前〉の状態、または精神病や境界例の患者が語る言葉なんかだ」

「これから、それを見て行くんだな。ソシュール言語学から〈排除された〉、その〈外部〉である、アブジェクシオンのことを」

「そう。この両義的な情動作用の発生源こそが、〈母性の潜勢力〉だ、とクリステヴァは言う」

「ここで〈母性〉が出てくるんだな。そして母性は潜勢力を持つ、と。その母性の潜勢力を探ることが、クリステヴァが考える〈文学〉の方向性を知ることの理解に繋がる、ってわけだな」

「意識的、かつ実験的に既成の言語活動を乗り越える〈文学〉の言語活動もまた、〈詩的言語〉と呼んでいて、それもまた〈外部〉だ、として、その言語構造の異質な〈外部〉に通じる〈回路〉をクリステヴァは見いだした。この〈回路〉こそが、〈意味生成性〉だってことは前に言った通りなんだが、それをちょっと詳しく見ていこう」

「おうよ!」

「本来ならば棄却されてしまうその〈外部への回路〉を見る。なんとも罪深い話ではあるよな。だが、文学をつくるってのは、そういうことなのかもしれないぜ?」


〈119話へ、続く〉

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第119話 アブジェクシオン【第五話】

 クリステヴァはどんな文学がつくられるのを望むのか。……それが今回の話だ。


 ソシュール言語学から〈排除された〉、その〈外部〉。
 具体的には、クリステヴァは二種類あげている。
1.幼児の言語活動。
2.精神病者の崩壊寸前の言語活動、の二種類。
 他方で、意識的、かつ実験的に既成の言語活動を乗り越える〈文学〉の言語活動もまた、〈詩的言語〉として、〈外部〉。


 この〈外部〉に通じる〈回路〉を、クリステヴァは〈意味生成性〉と呼ぶ。
 その意味生成性の回路を、クリステヴァは構築していく。


〈前エディプス期〉、赤子は〈父の名〉の力で母を乗り越える。
 これをファルス去勢と呼ぶ。
 ファルスは全能感の象徴だが、このファルス去勢により、人間は自らの不完全性を認め、不完全であるところの主体を確立する。
 つまりは、社会的な人間になる一歩を踏み出すってことなのである。
 これは、去勢前の自我が確立してない主体が、最初に克服しなきゃならない〈母〉を〈おぞましいもの〉として棄却することでもある。
 おぞましいもの、言い換えると、アブジェクト。
 アブジェクトを、棄却する。それをアブジェクシオンと呼ぶ。
 アブジェクシオンによって棄却されるものは、『おぞましくも魅惑的なもの』だ。

 これらおぞましいものは自分と他人の境界を侵犯し、自己のアイデンティティを脅かすものである。
 この、両義的な『おぞましくも魅惑的なもの』と感じる情動作用の発生源こそが、〈母性の潜勢力〉だ、とクリステヴァは言う。


 ……これが前回までのアウトラインだ、とおれは月天に言った。


「〈外部への回路〉の両義的な〈母性の潜勢力〉が、〈意味生成的〉な〈文学〉へ続く道、か。……青島、続けてくれ」

「社会的になるってのは普通、通過儀礼のことを指すけどさ、つまりは社会的共同体に回収されていく存在だよな。だが、幼児の言語活動や精神病者の崩壊寸前の言語活動と、それを意識的にやる〈詩的言語〉という、ソシュール言語学の〈外部〉の話は、だからそれ以前だったり社会から隔離されていたり、理解されなかったたりと、共同体内部の論理とはずいぶん違うことを言っていくことになる」

「前エディプス期だっけ? その、情動作用の発生源になる母性の潜勢力が発動するのは」

「アブジェクト、つまり〈おぞましいもの〉は、外部ではなくて、自己の内部に潜む点に注意だ。それを踏まえた上で、母性の潜勢力のメカニズムが働くのは個人でなく、社会集団でも、なんだな」

「社会集団の中の、個人個人、の内部でのことなんだな」

「そう。だからこそ宗教は抑圧されて無意識になった〈おぞましいもの〉のメタファーとしての『コード化』だと、クリステヴァは考えるんだ」

「〈おぞましいもの〉のメタファーとしての『コード化』が、宗教である、か。つまりは……〈おぞましいもの〉をどう〈飼い慣らすか〉だな、おれの言葉で表現するならば」


「宗教儀礼とは自己のアイデンティティを母性の潜勢力の中に永久に吸収してしまう恐怖を〈祓う〉ものなんだ」

「おぞましいものを、祓う、……か」

「クリステヴァによれば。多神教では〈汚れ〉は〈穢れ〉へと聖化され、浄めと分離の儀式で排除の対象とする」

「なんか微妙にズレてる気がしないでもないが……まあ、それはそれで。んでよ、一神教では?」

「一神教では棄却行為《アブジェクシオン》の内面化、精神化である〈罪〉の観念というかたちをとる、とする」

「宗教儀礼か。それこそ、共同体に入るために面々と受け継がれてきた奴だな」

「現代は宗教儀礼という慣習の実践が効力を失っている。自明だな。効力を失ったことで、父性機能は低下した。だからアブジェクトの回帰、フロイト言うところの〈死の欲動〉の回避が避けがたくなっている」

「で、それがどう〈文学〉と繋がるんだ?」


「〈文学〉は、前エディプス的律動と虚構的意味を作品の作用によって読者に与えることで、逆に欲動の解除作用を試みることが出来る、とする」


「要するにアブジェクトを扱かったり、そのおぞましいものをアブジェクシオンをすることなんかを作品で行うことによって、死の欲動の回避に効果がある〈文学〉が創造できて、そのエクリチュールこそが〈詩的言語〉なんだな」


「そういうことだぜ、月天。一瞬、奇っ怪な文体や内容の小説があったとしても、そのエクリチュールの作用が宗教と同じく、ときにおぞましいものを浄化させるのと同じ作用を持つことがある。それを、クリステヴァは文学に望んでいるのだろう。……っつってもよ、クリステヴァが念頭に置いてるのって、あきらかに〈ポストモダン文学〉だよな」

「ああ。おれもなんかそんな気がしてた……」

「だから、テクスト論だ、って言われるのかもしれねーぜ。否定出来ないよな、それは」


「んじゃ、掃除すっか。モップがけの続き」

「だな」

 おれと月天は、パイプ椅子から立ち上がり、シンクに珈琲を飲んで空になったマグカップを置いてから、再びモップがけを始めたのであった。

〈了〉

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『文芸部は眠らせない』は連載中で、

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