努力の先を知った日


はじめに

突然だが、3月は好きだろうか。僕は1年の中でダントツに嫌いな月だ。

僕は教育サービス業に従事している。この業界において、2~3月といえば合否発表の時期なのだが、これがまあなかなかに苦痛なのだ。当然全員合格させることが僕らの使命であって、そうならなければならないとは思うのだが、現実はそう上手くはいかない。勝負があれば、必ず敗者が出てくる。大学受験となれば、むしろ敗者の方が圧倒的に多い。しかもそれは、往々にして努力をいとわず、誰よりも熱心に勉強をした人だったりする。これは本気で業務に当たれば当たるほど相当に堪える。

こういうわけで毎年この時期になると、僕は自問自答する。努力とは何か。物事に挑戦することの意味は何なのか。

努力と成功

努力すれば成功する。これは理想だが、果たしてこの命題は真なのであろうか。

僕はそうではないと思う。

僕は高校時代、東北大会出場を目指し、部活に打ち込んでいた。母校は県大会で第5シード程度のレベルで、シード通りに勝ちあがり、それに加えてもう1~2つ勝てば夢が叶う位置にいた。「歴代で一番強い」と顧問をして言わしめた僕らにとって、その夢はあと少しで手の届く目の前にあった。輝く、それでいて近くに感じられる目標が共有された僕らは、来る日も来る日も練習に明け暮れた。

結果は初戦(シードだったので記録上は2回戦)負けだった。足元をすくわれた形だった。僕らの青春は、あっけなく散った。なんとなく、夢は叶うものだと思っていた当時の自分にとって、これは大きなショックだった。

高校3年生の時、クラスにある女子がいた。その子は高校3年間ずっと成績優秀で、常に校内で上位の成績だった。受験期は毎日学校に残って勉強をしていた。校内の誰もがその子は有名大学に受かると思っていた。

その子はセンター試験に失敗し、第一志望でない大学に出願し、そしてそれも不合格だった。

大学1年生の時、あるアイドルグループを推していた。有名事務所ではあるが、比較的メジャーデビューして日の浅い、ライブのキャパは3桁前半といったグループだったが、僕は本気でこのグループが天下を取る、少なくとも武道館公演くらいはすぐやっちゃうと信じていた。いや、今でもそのポテンシャルがあったと思っている。グループの方向性も割と明確で、デビューしたレーベルも芯のある、それでいて面白く彼女たちに合った楽曲を毎度作ってくれていた。ライブ会場も徐々にではあるが大きくなっていて、ライブのたびに彼女たちは輝きを増していた。

グループ過去最大キャパのライブが開催されてすぐ、不動の絶対的センターの卒業が発表された。そこから第2章的なフェーズに入ったのだが、結局1年経たないうちに、半ばなし崩し的に解散することになった。

プロテニス選手の錦織圭は、言うまでもなく日本テニス史上最も活躍したテニス選手である。世界ランクこそ最高4位である(4位は凄すぎるというのは前提として)が、当時の4位はただの4位という順位以上の価値がある。その当時、ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチ、アンディ・マレーという、テニス史上最も強い選手が4人(通称ビッグ4)が全盛期(か、普通の選手なら全盛期と呼んで文句ない状態)であった。スタン・ワウリンカを筆頭に、この勢力を部分的に崩すような勢力がその下にも多数控えていた。この群雄割拠の時代に世界ランク4位を記録するというのは、所謂「人外レベル」に一歩踏み込んでいることを意味し、時代が違えばグランドスラムを何度も取っていただろうし、間違いなく世界ランク1位になっていただろう。

ビッグ4が衰え、かつてのような強さが見られなくなったここ数年、ようやく錦織の時代が来るかと思えば、もうその頃の錦織の身体はボロボロになっていた。過密日程とハイインテンシティ化の進んだ現代テニス界で、テニス史上最強の4人に抗った代償であろう。

錦織は、テニス史上に本来なら名を遺すレベルの才能を持ち、フィジカルの弱点を補う努力をし、テニス史上最も強い選手に勝てるまでに力をつけたにも関わらず、生まれた時代が悪すぎたというただそれだけで、世界ランク1位やグランドスラムはおろか、マスターズすら獲得できずに全盛期を過ぎてしまった。

プロサッカー界にはバロンドールという最優秀選手賞のようなものがある。よく知られているように、サッカー史上最も優れた選手であるクリスティアーノ・ロナウドとリオネル・メッシは同じ時代に活躍した(現在も活躍している)のだが、2008年にロナウドがバロンドールを獲得して以降、これまでほとんどの年においてロナウドとメッシが獲得してきた。この2人と同じ時代に生まれてしまったがためにバロンドールを獲得できなかった選手が何人もいる。イニエスタやネイマールですら獲得していない。

電話を発明したことで有名なのはグラハム・ベルである。厳密には発明したというよりは最初にアメリカで電話に関する特許を取ったのだが、この時代ベル以外にも何人もの発明家が電話の発明のための研究をしていた。イライシャ・グレイもその一人だが、ベルよりも特許の出願がたった2時間遅れただけで、せっかく研究が実を結んだにもかかわらず、特許を取ることができなかった。ベルのことを知っていてもグレイのことを知らない人は少なくないだろう。

努力が報われないことは、普通にある。むしろそんなことばかりである。仮に努力が報われるべき能力や奮闘があったとしても、である。

これに対して「努力は必ずしも報われるとは限らないが、成功した人は必ず努力している」という反論がよくなされる。果たして本当にそうだろうか。

確かに努力に裏付けされた成功は多いだろう。有名企業を起こした社長の話を聞くと、スタートアップ時は大抵今にも倒れてしまいそうな働き方をしているし、前述のクリスティアーノ・ロナウドは食事管理をはじめ日々の身体づくりに一切の妥協がないプロ意識を持っていて、練習もストイックにやる。

しかし、別に大した努力もせずに成功した事例も少なくない。

僕は高校受験は全く頑張った記憶がない。そもそも中学時代ほとんど宿題などの勉強をやっていない。志望校もなんとなくで決めていた。それでも高校には合格したし、たまたまその高校に入ったがために恩師と出会い、人生が変わったので、結果論ではあるがその高校に入学したことは僕の人生のうちの「成功」パートの一つとなった。

付箋は、付箋を発明しようと思って発明されたものではない。強力な糊を開発するための実験で失敗して出来上がった弱い糊を転用したものである。当然強力な糊を開発するための努力はあったろうし、弱い糊を紙につけておけば、自在に貼ったり剥がしたりできて便利だろうという発想力は見事である。しかし、この発明は「付箋を発明する」という目的で流した汗や涙によるものではない。

したがって、努力をすることは、成功するための必要条件でもなければ十分条件でもないのだと思う。努力したところで成功するとは限らないし、成功した人は皆努力しているかといえば、必ずしもそうではない。

努力についてよく考えれば考えるほど、努力の意味が不明瞭になってくる。

挑戦

挑戦だって同じだ。挑戦は、それをしなければ大抵現状維持だが、それをすると成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。失敗は挑戦するから起こる。

会社において、上司は部下の失敗を責めるのは悪手である、というのは比較的浸透してきた考え方のように思う。上司が失敗を責めると部下は隠蔽をするようになるか、あるいは何にも挑戦しなくなってしまうから、というロジックである。裏を返せば、失敗をしないためには挑戦をしなければいいということである。

挑戦というのも、(たとえばそれが会社などの組織全体で見たら合理的であっても、個人というミクロな視点に立つと)決して合理的な行動とは言えない場合が少なからずある。そんな中、わざわざ挑戦をする意味は何なのだろうか。

人間讃歌は「勇気」の讃歌

これらの問いに関して、現時点で僕の考える答えがある。それは「挑戦や努力それ自身が人生のすばらしさそのものだから」である。

『ジョジョの奇妙な冒険』に次のような一節がある。

ノミっているよなあ……
ちっぽけな虫ケラのノミじゃよ!
あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて、戦いを挑んでくるなあ!
巨大な敵に立ち向かうノミ……
これは「勇気」と呼べるだろうかねェ
ノミどものは「勇気」とは呼べんなあ

それではジョジョ!「勇気」とはいったい何か!?

「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!
「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!
呼吸をみだすのは「恐怖」!
だが「恐怖」を支配した時!
呼吸は規則正しくみだれないッ!
波紋法の呼吸は「勇気」の産物!!

人間讃歌は「勇気」の讃歌ッ!!
人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!

いくら強くてもこいつら屍生人は「勇気」を知らん!
ノミと同類よォーッ!!

『ジョジョの奇妙な冒険』

人間のすばらしさは勇気のすばらしさ。これは真理だと思う。

怖さを知り、それを受け入れ、そうして踏み出した勇気。それこそが人間のすばらしさであるというのは、すべてのことに通ずる真理ではないか。

挑戦をすることの意味も、ここにあると思う。

挑戦をすることは、自らの選択で失敗するリスクを負うことと同義である。これは誰にとっても怖いことだ。今後の人生に関わる挑戦ならなおさらだろう。それが人生で初めての大きな決断ならば、毎夜その怖さにうなされるかもしれない。

そのリスクを受け入れた上でする挑戦は、勇気に他ならない。そしてそういった恐怖を背負っているから、勇気があるからこそ、挑戦そのものが美しいのであり、ひいてはその挑戦をしたことで人生が輝くのだと思う。

現代文の一分野に「文学的文章」というものがある。簡単に言えば物語や小説である。文学的文章の問題を解くとき、登場人物の心情の変化を把握するのが重要だよ、というように僕は指導している。なぜならそれが文学的文章の本質だからである。

歴史の教科書と歴史小説の違いは何か考えた時に、前者は淡々と事実が書かれている一方で後者は歴史上の人物の心情の移り変わりも書かれることが挙げられるだろう。思うに、ここに「文学的文章とは何なのか」が詰まっている。文学的文章は、登場人物の心情が変化していくからこそ面白いのであり、それが本質なのだと思う。

人生もそうだろう。もし僕らの人生が面白いものであるならば、それは僕らが笑ったり泣いたりすることに起因するのではないか。移り変わる場面場面において、僕らの感情は様々変わっていく、それこそが人生の面白さ、すばらしさではないだろうか。

僕の人生を振り返った時、印象深く、心に残っていることがいくつかある。そういうものはもれなく、楽しい瞬間もあれば、苦しく悲しい瞬間もある。この起伏があるからこそ、それらが印象深いのだと思う。逆にこの起伏が無ければ、きっと心に残っていないだろう。

挑戦とは、そこから始まる喜怒哀楽の起点となる。勇気をもって踏み出したその先には、泣いたり笑ったり人生の面白さが広がる。だからこそ、僕は挑戦というものそれ自身が美しく、人生のすばらしさであると思っているし、それが挑戦することの意味だと信じている。

努力の先を知った日

ハロー!プロジェクトのオタクの中では、「つんく曲は1番よりも2番の歌詞の方が深くメッセージ性のあるものが多い」という法則が提唱されている。

例えばモーニング娘。『雨の降らない星では愛せないだろう?』では

雨の降らない
星では愛し合えないだろう?
僕たちは未来まで
たすきを渡す使命
陸のない
星にはならないように
僕たちは大声で
歌うのさ

『雨の降らない星では愛せないだろう?』

という1番の歌詞に対し、

悲しみのない
星ではやさしくなれないだろう?
僕たちは誰彼も
憎む必要はない
夢のない
星にはならないように
僕たちは大声で
歌うのさ

『雨の降らない星では愛せないだろう?』

という2番の歌詞の方が、根底にあるメッセージは同じでも、確かにより直接的でより強いフレーズが並んでいる。

これは、1番の方がテレビサイズ等でより一般の目に触れることに起因していると思われる。したがって、他のアーティストでもその傾向が見られることもある。

≒JOY『大空、ビュンと』についても、僕は2番の歌詞が深くて好きだ。

努力の先を知った日
それでも成功が
約束されたわけじゃないのに
努力の先を知ったら
疲れよりも先に
清々しくて 夢が輝く
いつか笑ってる 信じてるんだ

『大空、ビュンと』

成功するための必要条件でも十分条件でもないのに、僕らはなぜ努力をするのだろうか。僕の考える答えは、この曲の2番の歌詞にすべて書かれている。

高校ぐらいまでは、僕は努力すれば必ず成功する、成功しないのは努力が足りないからだと思っていた。

しかし、その後多くの経験を通して、私はそうではないことを知った。努力の先には、それがどんなにハードな努力であったとしても、それが報われない未来が来ることもあることを。

努力の先を知った日
それでも成功が
約束されたわけじゃないのに

『大空、ビュンと』

成功が約束されたわけじゃない。一見努力なんてするだけ無駄に見えるが、それでもなぜ努力をするのだろうか。

努力の先を知ったら
疲れよりも先に
清々しくて 夢が輝く
いつか笑ってる 信じてるんだ

『大空、ビュンと』

人生の成功とは、ある日決めた目標を達成することではなく、究極的には後から振り返った時に良い人生だったと感じられることだと思う。

努力は、当然成功を夢見て奮闘するのだが、それ以上に後から振り返った時にその努力をした日々に意味があったと感じるために努力をするのではないだろうか。努力の日々は、短期的にはそれが報われなかったとしても、長期的には未来を美しいものに導くのではないか。

だから、いつか未来で笑っていることを想像すると、努力は疲れるということ以上に清々しいものだと感じるのではないだろうか。

今になり思い出す
曲がりくねった道
あの日 選んだ道を後悔してない
涙、悔しさ
かっこ悪さも全部
エネルギーになって
未来を変えて行く

『大空、ビュンと』

喜怒哀楽、紆余曲折があっても、勇気ある挑戦によりあの日選んだ道を後悔していない。そう思うための原動力は、間違いなく努力の日々なのだと思う。

涙、悔しさ
かっこ悪さも全部
エネルギーになって
未来を変えて行く

『大空、ビュンと』

確かに、努力が必ずしも報われるとは限らない。しかし、その過程の涙、悔しさ、かっこ悪さは全部未来を変えるエネルギーとなる。

未来を、人生を輝かせるのは、努力の結果としての成功ではなく、努力の日々それ自体なのだと思う。ゆえに、努力は人生のすばらしさそのものであると思う。これこそが、努力の意味なのではないか。

すべての人生は尊くドラマである

僕らは高校時代、あれだけ部活に熱中していたのに、東北大会出場はおろか、初戦すら勝つことができなかった。これは変わらない事実である。

しかし、部員誰もが、あの日々を無駄なものだったと思っていない。今でもお盆や年末年始には(全員ではないが)会って飲みに行く関係が続いているし、そこでは皆があの日々を輝いていた日々として語り合う。あの日々は、間違いなく僕らの関係を強固にしたし、あの日々が僕らそれぞれのパーソナリティを作ったと思う。間違いなく、あの日々は僕らの人生を美しくした。

錦織圭は、生まれた時代が悪かったために、本来得られるべきタイトルや名誉を得られなかった。

しかし、この時代に錦織がトッププロをやっていたからこそ生まれたドラマがある。当時クレーコート最強だったナダルを圧倒したものの負傷により棄権してしまった2014年のマドリードマスターズ決勝。ラオニッチ、ワウリンカ、ジョコビッチの最強格選手を立て続けに倒して決勝進出した2014年の全米オープン。これは、歴史に残る最強選手が何人もいたあの時代に、錦織がそれに挑んだからこそ、その結果以上に感動できるものがある。

そして、この時代に錦織がトッププロだったからこそ、錦織はあそこまで強くなれたのだと思う。マイケル・チャンがコーチになってから錦織はもう一段階強くなったが、チャンがコーチになってからの大きな変化として、できるだけ前でラリーをし、返球テンポを上げ、できるだけコートの中に入ってチャンスがあればボレーに出るようになったことがある。これは群雄割拠の当時のテニス界でもトップレベルに速いテンポ感であり、これによって相手が強くても錦織が主導権を握ってラリーを展開することができた。この戦術の源流にはフェデラーの戦術があると思う。フェデラーは試合のスピード感が特に速い選手だが、彼はしっかりとした体勢で返球できるときにはライジング気味に返球し、ラリーの主導権を握り、前に出て決める、というスタイルが主だった。当時の錦織のスタイルは、このフェデラーのスタイルに大きな影響を受けていると思っている。

とにかく、当時の錦織の輝きは、テニス史上最も強い選手が何人もいる時代に、その選手たちに錦織が挑んでいたからこそ生まれていると思う。

人生というドラマは、成功によってではなく、成功を目指して挑戦し、力を注いできた努力の日々によって、美しく輝くのだと思う。だからこそ、僕らは挑戦するし、努力をするのだと思う。

僕は今のところ、しばらくはこの業界を離れるつもりはない。

確かに、多くの人の人生を預かる責任の重さはあるし、どんなに全精力を注いでも成功に導けることもあれば導けないこともあるし、それによって1年のうち1割前後の日々は憂鬱な気分になる。もっとプレッシャーの少ない仕事もあるだろう。

しかしそれ以上に、それぞれの人の持つそれぞれの人生というドラマに関われること、共に笑ったり泣いたりすること、人生のすばらしさである挑戦と努力の瞬間に立ち会えることの喜びが、僕はたまらなく好きだ。挑戦と努力の先に待ち受けている人生の美しさを、挑戦と努力をサポートすることによって、生徒というこれからの未来を作る存在にプロデュースする。このことの喜びは、おそらくこの業界にいるからこそ得られるものだと思うし、このことに僕は矜持を持っている。

だから僕は、この業界に今後しばらくは残るつもりだ。

努力の先を知った日、それでも成功が約束されたわけじゃないのに、それでも僕らが挑戦をし努力をするのは、成功することよりも挑戦や努力それ自身がすばらしく、人生に輝きを与えるものだからだと思う。

近頃僕は『大空、ビュンと』を聴きながら、そんなことを考えた。

さて、こんな文章を思うままに綴っている間に、今年の受験生全員の合否が出そろった。

明日からまた、生徒たちそれぞれの尊い人生というドラマの新たな章が始まる。

その人生の輝きの一部に、僕とともに過ごした努力の日々がありますように。

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