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右手にブーツ左手にグローブ【サイドスタンド5】


 ボクちゃんが映像の中のひとりを指さし、
「もうひとり社長と同じ肉厚の人がいるでしょ?豪快にガハガハ笑ってる人。あれがヒロさんね。社長の昔っからのバイク仲間で……結婚して、子供も産まれて、わざわざ赤ちゃん見せびらかしに来て。ホント、幸せそうだったなぁ」

ヒロさんという人に何かあったのだろうか。

「この人たち、それぞれ武勇伝があってね。何回聞いても凄いんだよ。サトさんは、就職試験に遅れそうな先輩、バイクに乗せて、スピード違反で警察に追われて停学なったとか。詳しく教えてくれないから、いつかじっくり聞くつもり」
「本当ですか?」
「そうみたいよ。ヒロさんはね、元々は農家の次男坊でね。ポツンポツンとしか家のない、周りが田んぼに囲まれた一軒家で、遠いから400CCで、高校に通ってたの。学校近くの友達の家に置かせてもらって登校してたって。もう、ここでかなりの問題児だけどね。ある日、いつものように、夕暮れ時に家に向かってたら、目の前に狸が出てきて、避けようとして、道路脇の畦の土嚢に乗り上げて、田んぼの真ん中までふっ飛んだんだって。骨は1本、折れたらしいけど、田植え後だったから、張った水に顔突っ込んで気絶してたから危なかったらしい。そしたらさ、目撃者もいないのに4、5件の家から、救急や警察やヒロさんちに電話がいったんだって。それで助かったらしいよ」
「よかったけど、なんで?」
「一本道をいつも爆音上げながら、スピード出して走ってるから、あそこのバカ息子学校行ったとか、帰って来たとか、離れた家の人も皆んな知ってたんだって。田んぼ道に入ってから、加速するじゃん、ギアチェンジしてって6速の高いファーンって音がした後、ドッカーン!って。『あ、やったわ。あそこのバカ息子』って。みんなが連絡したみたい」

 不謹慎だが、何度もボクちゃんが「ボボボボ2速ブバァーン3速、バァーン、フォァン、フォアーーーーーーントップ!ドッカーン!!」とやるものだから空飛ぶヒロさんを思って笑ってしまった。

「何回、思い出してもおかしくて!狸を避けたヒロさんも、近所の人たちも!」と目を拭う。

……あ、やっぱり……映像の7人が楽しそうなだけに、切なくなってくる。彼を思い出しながら毎年ツーリングをしているんだ……




「では、これに表紙をつけて提出してください」
「え?あ、わかりました」
「最終章の考察から結果までの持っていき方が、小説を読んでいるようでしたよ。経済学なのにね」
「まずいですか」
「そんなことは無いです。丁寧な日本語で大変良いと思いますよ」

 想像もしていなかった言葉を貰い、戸惑う。

「就職は決まってましたよね」
「はい」
「それは、よかったです。希望の職種ですか?」
「あ、あんまり……建築資材会社の事務です。知り合いの紹介なので」
「そうですか」
 助教が論文発表会の資料をくれた。

「講義、つまらなそうでしたね」
「いえ、そんなことはないです。すみませんでした」
「もう、二度と来ない学生時代なので、勿体ないなぁといつも思ってました」
「え?なんかすみません」
「大丈夫です。これからの人生も長いのでね。元は取ってください」
 几帳面そうな眼鏡の下の目が笑った。助教とこんなに会話をした記憶が無い。
 こんな会話だけで、帰りの暗い構内が違って見える。

 予定より早く論文にOKをもらった。あとは卒業直前の発表の用意だけだ。もう何回来なければならないのかと思いうんざりしていたのに、いきなり、大学に来る日は数日となる。拍子抜けした。
 さて、これから卒業までどのように過ごそう。


 勝手に貯金を崩して、免許をとりに行っていることに気が引けて、居酒屋のアルバイトを始めた。自由な時間に自車校にせっせと通う。家族には伝えていない。なんとなく罪悪感がある。こんな話を社長にすると、「自車校退学する気なんてないでしょ?免許取って伝えたかったら伝えりゃあいいじゃない」とあっさり言われ、それもそうだと、納得した。

 自車校に通っていても、自信のないところは、ここに来て教えてもらっている。教習生は男性がほとんどで、声を掛けづらい。アルバイト前の時間潰しにここに寄る日もある。この店から格安で買った、50ccの原付バイクが今の足だ。

 今日は、運転の指導もそこそこにして、ボクちゃんが初めて購入した携帯電話の操作方法を教えられるが、まだ私は持っていない。
「ボクちゃん、おもちゃで遊んでないで、引取り行ってよぉ」と今日は緑のツナギの社長が事務所から顔を出した。
「はいはい、いってきます。社長も携帯早く買いなさいよ」と青いツナギの茶髪パーマのボクちゃんが小走りでトラックに向かう。

「仕事は真面目ですよね」
「見た目、ちょっとアレだけど、良いとこの坊っちゃんだから、端々に滲み出るのよ。言葉とかさ、所作とか。見てて面白いでしょ?」
「確かに」
「中坊の時から、ここに入り浸ってて、親も連れ戻しに何度も来て、あたしも、『どうぞ連れ帰って』って持ち帰ってもらうんだけど、また来るのよ。親も諦めたよね」
「え?学校は?」
「高校に入ったのに辞めたのよ。今はオートバイをいじりたいからって」「何歳?」
「ボクちゃん19ちゃい」
「ええ?若く見えたけど、やっぱり若いんですね。整備士になる気なんですか?」
「やりたいことなんて変わるから、分かんないって言ったの。今時の子にしてもちょっと違うような感じよね」
「自由?なんですかね?」
「やりたいことに貪欲なのよ」
「我儘じゃないですか?」
「そこがね気に入ってるの。だって、自分の人生じゃん。我儘でいいのよ。あたしもさ、楽しく生きたいし。あたしがこんなんだから、変なのしか店に集まらないのかもね。あんたもだし」
「え?私が?一緒にしないでください!」
「あら、言うようになったわね。うふふ……でもね、ボクちゃん、人を見る目はあるの」
「じゃあ、私は変じゃないでしょ」
「あんた、自分からここに寄ってきたでしょ!」
 しばらく社長と大笑いした。社長は凝り固まっている私の概念を崩してくれる。

 ここで、常連さんとも何度か顔を合わせる機会が増えた。仕事の大変さを嘆きながらも、オートバイの話となると、一瞬にしてぱっと明るい顔で饒舌に語り出す。
 羨ましい。素直に思える。こんな笑顔に私もなれるだろうか。


サイドスタンド 4

サイドスタンド 6


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