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百獣の王を110の王だと勘違いしていた話

百獣の王、すなわちライオン。

10歳から12歳までをケニアで過ごしたため、サファリにでかける機会は幾度かあり、野生のライオンは2度ほど見たことがある。ドキュメンタリーなどでは探すところは省かれているのでぴんと来ない方もいるかもしれないが、野生のライオンはなかなか出会うことも難しい。何しろサバンナは広大で、ライオンはその中で生きている。移動だってするのだから、見やすいポイントはあっても、会えるかは運次第だ。

私の一度目の幸運は、サバンナのど真ん中で砂利道を車で走っていると、他のサファリをしている車が数台止まっていることで、認識できた。一頭の雄ライオンが、ちょうど車道近くの木陰で休んでいたのだ。そのライオンの鼻にはひっかき傷のような跡が複数あり、そこにハエが飛び回っていて、なかなか生々しいものだなと思った。呼吸が今にも聞こえてきそうだったが、複数の車からの無遠慮な視線にも、彼は素知らぬ顔で背の低い木の影で休んでいた。

さすが百獣の王だねぇ。

母がつぶやいた。ライオンしかいないから、「ひゃくじゅうのおう」とはライオンのことだろう。響きだけはここで耳に残った。

二度目にライオンを見たのはナイトサファリをしていた時だった。暗闇の中、インパラを囲んだ雌ライオンの群れに遭遇した。暗いので一度目の雄ライオンのように細部までは見れなかったが、インパラを狩る瞬間を肌で感じた。インパラは覚悟を決めて草むらから飛び出したが、それはもう、自殺というか、圧力に耐えられなくなったから飛び出したかのようだった。私はインパラの方に感情移入をしてしまったが、やはり両親が何度も「ひゃくじゅうのおう」と口にするのを耳にした。

ひゃくじゅうのおう…そこで私の脳は変換を初めて試みた。脳内のシフトキーを押すと、110の王、と出た。ここサバンナには100ではきかない種類の動物がいるだろうし、なるほど、100の王、では物足りない表現かもしれない。そういえば警察は110と公衆電話でも押すと繋がると、この間日本に一時帰国した時に教えてもらったな。ライオンは100と10の王で、110番するとダッシュで来てくれる警察にも例えられるのか。なるほど。

「さすが、ひゃくじゅうの王だねぇ」と、私は言った。発音は問題ないし、それがライオンを指す言葉であるという認識も正しい。両親との会話にズレは生じなかった。こうして自分の最近得た知識に勝手に紐付け、私は二度目のライオンとの遭遇で、そう勘違いをそのままインプットしてしまったのだった。

日本に本帰国したのは小学6年生の夏だった。久しぶりの日本での生活に慣れるのには時間がかかったが、それまでなかった毎日の同い年との日本語の会話の中で、色々学ぶことも多かった。

110番をひゃくとおばんと言うのだと知ったのも、誰かクラスメイトがそう言っていたのを聞いたのだと思う。そしてその流れから、私は「ひゃくじゅうのおう」が「百獣の王」だったことを知る。

ライオンとおまわりさんは関係なかったのか。

こんな風な勘違いや同世代とのズレは、その後幾度となく私にショックを与えるのだが、その中ではなかなか面白い部類の勘違いではなかろうか。今となっては微笑ましいが、当時の私はひとり赤面し、俯くのだった。

#幼少期の思い出 #勘違い #帰国子女あるある

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