ばあちゃんの話を書きたくなりました。
私には大好きな大好きなばあちゃんがいます。
母方のばあちゃんです。
両親は忙しい人でしたし、同居していた父方の祖母はあまり自分以外を好きな人ではなかったため、私はよく母の実家に預けられていました。
20年程前に80歳であちらの世界に帰ってしまいましたが、今でもばあちゃんとの思い出は鮮明です。
しかし今回書きたいのは、ばあちゃんとの思い出ではありません。ばあちゃん自身のことです。
普段は忘れているばあちゃんのことを、何故だかふと思い出す瞬間があります。
何の前触れもなくばあちゃんを感じるのです。
そういう時に浮かぶばあちゃんの表情は、私の記憶の中のばあちゃんのままで暖かいです。
その大好きなばあちゃんの顔には、右半分に赤紫色のあざがありました。そして口元はみつ口です。
そのばあちゃんの顔を特別に思ったことなどありません。ただただ私に無償の愛を注いでくれる、たった1人の甘えさせてくれる存在でした。
いつも笑っていたばあちゃんですが、その顔の特徴のせいで想像を絶する苦労をしてきたようです。
ばあちゃんが自分を語ることはなかったのですが、大人になってから娘である私の母からたまに聞いていました。
令和の時代でさえ、外見への偏見が無いとは言えません。それが大正・昭和です。
まだ乙女だった頃のばあちゃんが、顔の右半分のあざとみつ口のせいでどんな苦労をして生きてきたのか。
このエピソードが物語っていると思います。
初孫の出産に立ち会えず、やっと連絡が取れたばあちゃんの第一声は「顔にあざは無いか?」だったそうです。
出産後の母の心配でもなく、私の五体満足でも性別でもなく、まず顔のあざを心配するって。どれだけそのあざに苦しめられてきたのでしょう。
母が「無いよ。綺麗な顔で生まれたよ」と言うと「良かった……良かった……」と繰り返したそうです。
初めてその話を母から聞いた時は涙が出ました。
でも私はばあちゃんから、自分の顔を卑下するような言葉を聞いたことがありません。愚痴も苦労話もです。
私に優しいのは言うまでもありませんが、周りの人への愛もある人でした。
近所の人が回覧板を持って来れば「まぁ〜、よく来てくんなった。上がってお茶飲んで行ってくんない」と、大歓迎します。
お嫁さん(私にとっての叔母。美容師さん)が庭の草取りしていると「大事な商売道具の手で草取りさせたらバチがあたる。嫁に来てくれただけで感謝なんだすけ」と、労ります。
でも、自分も大事にする人でした。
コタツで座椅子を陣取り、大好きなプロレスを見ながら「それ行け!そらやれ!」と楽しそうです。
孫の目から見ても、とても可愛い人でした。自分にも周りにも平等。だから皆にも好かれていたんだと思います。
最期は自宅で親族に見守られて眠るように逝きました。穏やかで愛に満ちた生き様が全て最期に現れていたように思います。
お葬式の時はその場に居た全員「いいばあちゃんだった」とつぶやいていました。来る人来る人全員です。
「俺はばあちゃんにこんな事してもらった」
「私なんかいつも褒めてもらってた」
「俺だってこんな事言ってもらった」
そういう会話が自慢大会のように聞こえていました。
生まれながらに背負った、逃れようのない立場や外見や境遇をどんな思いで生きてきたのか。
今ばあちゃんがいてくれたら、と思う時があります。
ばあちゃんが歩んできた人生を大河ドラマさながらに見てみたいな。
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