精神保健福祉におけるピアサポート考(序)
はじめまして。精神保健福祉士(PSW)のRukaと申します。
みなさまは「ピアサポート」なるものをご存知でしょうか。
簡単に言うと当事者同士の支え合い、「ピアサポーター」と呼ばれる当事者が現在入院されている方や地域で暮らしている方のサポートを行うものです。
ピアサポート活動はセルフヘルプグループが源流になっており、精神科医療のセルフヘルプグループのはじまりは1960年代だとされています。
古くは精神疾患以外の疾病・障害に関するものがはじまりで、1948年に誕生した「日本患者同盟」や1951年の「全国ハンセン氏病患者同盟」、胃を摘出した人の「無為会」、咽頭摘出した人の「銀鈴会」(1954年)といったものがあったようです。
さて、「当事者同士の支え合い」という言葉にみなさまはどのような印象を抱くでしょうか。
お互いに理解しやすそう?
当事者に当事者のサポートをさせるのは不安?
当事者だから普通の専門職より寄り添えそう?
当事者だから説得力がありそう?
などなど色々あると思います。
私と精神保健福祉の話
ちょいと私個人の話をしますが、かく言う私もうつ病歴9年目であります。
短大英文科1年の頃に発症しまして、短大卒業後は社会福祉学部に編入し、ストレートで精神保健福祉士・社会福祉士の国家資格を取得することができました。私の卒業した大学はかなり歴史のある大学なのですが、英文科からわざわざ社会福祉学部に編入して国家資格を2つ取って卒業するような猛者は大学の長い歴史上ほとんどいないのではと思います、
割とよく誤解されるのですが、自分が当事者だからPSWを目指したわけでは全くありません。むしろ無関係(笑)
要因はいくつかありまして、
英文科時代の外部講師(ジャーナリスト)が「アフガニスタン人に『日本って平和じゃないよね。』と言われて『そんなことないよ。戦争もないし。』と答えたら、『何言ってるの。年間3万人以上自殺してるじゃん。戦争が起きてるのと同じだよ。全然平和じゃない。』と返されて何も言えなかった」と話されていたこと。
叔父が数十年間ずっと精神科病院に入院していたこと。いわゆる社会的入院。少なくとも私の記憶の中では地域で生活している姿を見たことがありません。後に死亡退院。
以前お付き合いをしていた方が統合失調症患者だったこと。暴力暴言がとてもひどく、私が何も言っていないのに「お前今俺のこと馬鹿にしただろ!」と言われて殴られたりなどしていました。でも「これは病気のせいなんだ。」と思い、精神保健福祉の分野を学んで加害者も被害者も減らしたいと思ったこと。
大きく分けてこの3つです。
3年次編入でしたので、他の同級生は既に2年間基礎的な知識を学んでいます。ですが、私はまっさらな状態。とにかくついていくことに必死でした。
なぜ今ピアサポートを語るのか?
当事者ならではの支援の効果を見込めるピアサポートですが、どこまでがピアサポーターの活動範囲であるかという役割の線引きが曖昧である点や、相談を受けることが支援者(ピアサポーター)にとって時にストレスとなってしまう可能性がある点、クライエントとの距離感の調節の難しさなどといった問題点も考えられます。
そこで、「ピアサポートって結局何なのか?」ということを気にするようになりました。偶然にも私の周りにはピアサポーターとしての活動経験がある方がちらほらいらっしゃったため、関係者の協力を得て、卒業論文の題材として研究を進める運びとなりました。
大学の規定で精神保健福祉士は社会福祉士の受験資格を得ないと実習に行かせてもらえないという謎の縛りがあったため、2年では卒業することが物理的に難しく、3年かけてじっくり書きました。当然学費も1年分増
昨今では神戸の神出病院、八王子の滝山病院などの不祥事から、「社会的入院」「死亡退院」などといった問題が今まで以上に注目されているように感じます。
そんな今こそピアサポートのメリットやデメリットを知って頂き、専門職のみなさまの日々の支援に役立てて頂ければと思い、卒論の内容を基に書き進めていきたいと思います。
また、ピアサポートに興味のある当事者の方も「ふーん。こんな感じなんだなぁ。」と参考にして頂けると大変嬉しいです。
ピアサポート推進派の文献や論文とはちょっと違う内容になるかと思います。
(かと言ってピアサポートそのものを否定するわけではもちろんないです。)
長くなりますがのんびりお付き合い頂ければと。
よろしくお願いいたします。