【短編小説】無人駅より
──えー、つづきまして、ラジオネーム、モモシキさんからのお便り。最近あった地味にうれしい出来事。ここに来てベタなテーマですね~って、わかってるよこっちも! はは、いきますよ。ええ、でもとても良いテーマだと思います。小さなうれしいことを、定期的に確認しあうことって、幸せへのひとつのルートですよね。確かにね。そんな私の、最近あった、地味にうれしい出来事は、オムライスをふわとろに作れたことです! おお! それはすば……いで……
ざざ、と、ノイズが声を遮った。呼応するように、上空でトンビが鳴き、康介は盛大にくしゃみをする。康介は上空を睨む。そこには電波と、トンビと、花粉があるからだ。康介はスクールバッグを脇に置いて、ラジオを両手で包むようにして持った。
山に囲まれたちいさな町のちいさな駅には、康介のほかに誰もいない。鳥の声と、康介の手元のラジオだけが声を発している。
──どんどんいきましょう。無理筋良品さんからのお便り。無理筋! えー夢内さんこんにちは。最近おどろいたんですが、側溝からあったかい風が吹いてくることがあるんです。え、なにどういうこと?
ちらと時刻表を見る。次の電車が来るまで、まだ三十分もあった。まだ人が来る心配はないだろう。康介は冷たいベンチに座りなおし、ラジオのアンテナを伸ばした。
パーソナリティのおどけた声が、無人駅に響く。
──そういえば、私も以前、そんなことがありましたよ。真冬の……ですけどね、側……ら湯気がのぼっているんです。これ去年の話ですけど、人生ではじめて、気づいたんですよね。湯気に。ははあ、と思って。もしかしたら無理筋良品さんの住む町の側溝と、私の町の側溝だってつ………てい……もしれませんしね。えーつづいて、はやく夏になれさんからのお便り。花粉症かな?
読み上げられた瞬間、康介は立ち上がった。自分の心臓と息がうるさくて、ラジオの音量をあげる。ざ、と砂嵐が割り込んだ後、ラジオはとても流暢にしゃべった。
──はじめまして、夢内さん。はじめまして。最近あったうれしい出来事は、カラスが黄色い花を一輪くわえて飛んでいくところを見たことです。へ~。
体中がゆさぶられるようだった。初めて送った葉書が、いま、読み上げられたのだ。
しかも、誰にも理解されないと思っていた内容を。
ラジオは続く。
──見た瞬間、すごく誰かに話したくなりました。でも、きっと誰にも共感してもらえないと思ったのです。山のそばに住んでいるから、そんなものはめずらしくもないし。でもとてもうれしくて、つい夢内さんに葉書をおくりました。……これね、おどろきですよ。十四歳! 十四歳の少年からの葉書なんです。大人顔負けの感性ですよ。君からしたら、まわりはガキだよな! さわいでばっかで、ささやかなことに気づかないんだからね。
ふ、と、視線を遠くにやると、ベージュ色の中にわずかに新緑や花の色をかくまう山々が、たなびく絨毯のように横たわっていた。いつもの風景だ。いつもの風景に、ほんの少し春がまざっているだけの、うれしくもない風景。その上空を、ラジオの軽薄な声が飛び交っている。
──そういうね、どうでもいいように見えることを大事にできる人が、立派なんだと思いますよ。だからこそ、地味に、うれしい出来事、なんだからね。そうだ、はやく夏になれさん! 俳句とか作ってみたらどう? 俳句にしたら、同じようにうれしく思ってくれる人が大勢、見つけてくれると思うなあ。もちろんここに送ってもらうのも大歓迎! ここのリスナーさんって、そういうの好きだろうから……
康介はラジオを切った。静かになった無人駅に、またトンビの声が響く。なんだか見下されたように思えて、ベンチを思い切り蹴った。くしゃみが出た。マスクの中で、鼻水が口まで伝ってくる。マスクって便利だ。鼻水が垂れていたって、知らん顔して歩いていられる。遠くの方を走る車の音が、かすかに近づいて、遠ざかった。さっきまで全身を揺さぶっていた感動は息をひそめ、他人のようなふりをして康介の傍らにいつづけていた。康介はそちらを睨み、すぐにやめ、ため息をつく。
誰にも共感されないのなら、いっそ、と思ったのだ。雪解けのすすむ通学路で見た、宝石のような一瞬だった。たまたま家で流れていたラジオで、「最近あったうれしい出来事」を募集していたから、慣れない手つきで葉書を買い、文字を書き、切手を貼って送り出した。きっとラジオを聞く人のうちのひとりくらいは、自分の抱いたものに心を寄せてくれるだろうと思った。いや、きっといるだろう、そういう人は。しかし、康介にはどうしようもないことだった。いたとして、何になるのだろう。その相手と知り合うことなどできないのに。この辺境の地といって差し支えない町で、つながりを求めても仕方がないのに。
それに、すごく、馬鹿にされた気がした。
康介が十四歳だから、何だというのか。立派だなんて思われたかったわけじゃない。
康介の胸の内に、黒々とした後悔が渦を巻いた。
葉書なんて、出すんじゃなかった。
ほんとうに、はやく夏になってしまえばいいのに。
時計を見ると、もうそろそろ、電車に乗る人がやってきてもおかしくない時間だった。そろそろ帰らなければ。身体の向きを変えると、ホームを囲むフェンスに、薄い看板がかけられていることに気づいた。白地に黒いゴシック体の字で、こう書かれている。
「霜瓦駅 改修工事のおしらせ」
康介はなんとなく立ち尽くしてしまった。たしかに古い駅舎ではあるが、改修工事をするなんて、まるで知らなかった。工事は一週間後にまでせまっていた。駅舎に特別な思い入れがあるわけでもないのに、町にひとつの駅だからか、康介の胸にちくりと痛みが生まれた。なくなるわけではない。新しく建て直すというだけの話だ。だけど、確実に何かが消えてなくなってしまうことは、直感でわかった。
ぼんやりと看板を眺めているうちに、そのふもとに、花が一輪置かれているのが目に入った。
黄色い菊が、茎の切れ目をさらして、なかば萎れながらそこにあった。
つめたい風がコンクリートをなでていく。菊も少し位置をずらす。飛んでいきそうになる。康介は考えるよりも先に、菊を拾い、もとあった看板の真下へと移動させた。
その数秒間が、不思議と康介の心を満たした。
ふと思いついて、ポケットに入れていたラジオを取り出し、菊が飛ばないように重ねて置いてみた。アンテナを伸ばすと、砂嵐をひとつまみほど拾ったのちに、さっきのラジオが流れ出した。
──最近うれしかったことは、たまたま降りた駅からの景色がとても綺麗だったことです。あと、そこの自動販売機に、見たことのない飲み物ばかりが並んでいて感動でした! あははは、わかるわかる! 絶妙に知らないものばっかりある自動販売機ってあるよね!
「っくしょん」
またくしゃみが出た。鼻水といっしょに、涙もにじんだ。
ほんとうに、はやく夏になってほしいと思う。夏になれば花粉症の症状もなくなり、ここにできる新しい駅舎も山の風景になじんで、見慣れたものになっているだろう。そして秋になり、また冬が来て、さらに何年がたっても、康介は今日のことを誰にも話さず、どこにも書かずに、胸の底に仕舞っているのだろう。
康介は線路の方に向き直る。
遠く、踏切の音が聞こえた。
──えー、時間がたつのはあっという間。ですね。夢内の白昼夢ラジオ、今日はここまでとなります。それではまた、来週! さいなら~!