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夢野久作『少女地獄』よみまして


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地獄少女というアニメシリーズがあります。
大好きな作品なのでいろいろ書きたい気持ちは今回は自重しつつ、しかし地獄少女ファンとして(?)見過ごせずに思ったことをひとつ。
「地獄少女」は「地獄少女の閻魔あい」というキャラクターが主人公のお話なのでつまりそのままのタイトル。
魔法少女みたいなものといえば
たいへんわかりやすいといえばわかりやすい。(かな?)


しかし「少女地獄」と単語を逆にするだけで
連想されるものがまったく異なり
どういうわけか、ひどく鬱々としたものになる。


…少女であることは地獄なのか?


『少女地獄』

夢野久作先生の小説を読んだ感想などを
少しだけ書いてみたいと思います。
ネタバレはややアリよりのアリになると思いますので
ご了承ください。
主観による解釈違いや単なる間違いも多々あるかもです。

こちら短編集となっておりまして
少女地獄のなかに三つのお話と
その他のお話があります。



“何んでも無い”

はじめのお話に出てくる「姫草ユリ子」という少女。

彼女は実際は少女という年齢ではないらしく
この後のお話に出てくる女性もそうなのですが
「少女」とは何歳までか?といった
実年齢を伴った話ではなく
少女という「概念」少女の「感性」が
この「少女地獄」では描かれているのだと思います。

その姫草ユリ子ちゃんですが
物語の始まりにはすでにいなくなっております。
第三者目線で事の顛末が綴られており
彼女自身の本当の言葉は遺書に綴られたもののみ。
本当の?

誰からも好かれるお嬢さんだった彼女は
読み進めていくとわかって…知ってしまうのです。
自分の出自や経歴は嘘だらけで
虚言癖の酷いとんでもない人物だということを。

実際には、そういう振る舞いをできる
巧妙に、自分を良く見せるためなら
どんな嘘も厭わない女性だったのだが…

その嘘があまりにも常軌を逸しているため
一部の人にはアカと疑われたりもしていましたが
彼女のまわりにいた人たちは
虚言ばかりだったとわかった後も
誰も彼女のことを憎んだりはしなかったのだった。

読者である私自身も読みながら
「謎の女」姫草ユリ子にどんどん惹かれていった。
だって可愛いんだもの。

そして、一生懸命に生きていた。

彼女自身が本当はなにを思ってそういう行動に出たのか
描かれてはいないので想像するしかない。

虚言や嘘というのは
要は自分を良く見せるため、そうしてチヤホヤされるためあるいは保身のためだったりすると思うのだが
彼女には「欲」があったようには見えなくて
周りを騙してなにかをしてやろうという動機も見えず
疑われたようなアカのように隠さなければならないなにかがあったわけでもなく。
まさに「何んでも無い」のか?

衝動からくる嘘に必死で嘘を重ねるしかなかったのかもしれない。
自分でもそうした性質が疎ましく辛かったのかもしれない。


必死で取り繕った虚構と嘘が全部バレて
望みをなくしこの世に生き甲斐をなくし
自殺したということになっている(これも嘘かもしれない)けれど
彼女はなにも死ななきゃならないような罪を犯したわけでもない。

でも彼女にとってはそれが命の全てだった。

傍から見たらなんでもないようなことだとしても
「それが全て」になってしまう。
これこそが「少女」の中にある地獄のような概念のひとつなのではないかと思う。

姫草ユリ子ほどの行動はしていなくても
そんな概念に溺れてしまった少女は
長い歴史のなかにはたくさんいて
様々な選択をしてきたんだろう。
きっと今も。

その一方、ハタチまで生きてるわけないや〜と
十代の頃思っていた少女も
こうしてしぶとく現存していたりもします。

故に短命への憧れは捨て切れずに死ぬまで持ち続けるんだろう。




“殺人リレー”

これは単純に復讐のお話かと思いきや
たくさんの女性を殺してきた連続殺人犯(しかし事故として片付けられている)の男に惹かれてしまう少女の話。

途中まで意気揚々と復讐しようとしてたのに
「やっぱり好きになっちった★テヘッ」
という展開に
「ばかやろう引き返せ!」とツッコミながら
読み進めましたw

事故として片付けられてしまっている殺人。
バレずに表沙汰になっていないだけで
現実によくあることだったりしそうで普通に怖い。

殺人に至らないレベルならよくある話ですね。ですか?
相手をモノみたいに扱いつつも
それはそれとして当人にとっては本気で
罪悪感なく純真にひとを弄ぶ輩は男女共にいるように思います。
大なり小なり、男女ってやつは厄介だぜ!

相手が悪いヤツだとわかって…いても
何故か惹かれちゃう女心っていうのも
少女性の地獄ってやつなのかもしれない。

殺人リレー、リレー故にバトンは渡される。
最期は…やり切れない。
個人的にも思うところがかなりあるラストでした。



“火星の女”

宇宙人ではなく人間の話、のハズ。

こちらのお話
火星の女ちゃんの周りの大人たち(両親、校長まわり)がシンプルに屑すぎて胸糞、クソクソの糞です。

親に「アイツ嫁行けねーし行ってくれないと妹たちも嫁行けねーし。死んでくれればいいのに」なんて言われるの
あまりにも酷すぎる。
現代では姉妹どっちが先に嫁ごうが
多くの家ではどっちでもいい話になっているとは思うけど
昔はこんなこと、よくあったのかな…と思うと
胸が痛いです。

善人ヅラした校長の所業(要約すると金と女)はまさに超特級の悪魔でしかないし
謝恩会での演説は例え裏を知らずとも酷い内容ですが
知っているうえであれを聞かされる気持ちを思うと…

その後の「シゴト」をきっちりやり終えるの
火星の女ちゃん強いなぁと感心してしまっていいものかと思うが、感心しました。


ところでこのお話は唐突に
火星の女ちゃんには彼女がいたという突然の百合展開がある。
ええー…
っていうか
それなら校長にあんなことされたことについて
「私には恋人がいるのに!」って部分で
悲しむのが先に来るんじゃ…
と思いもしましたが、
手紙の最後の言葉的には
そういう感情じゃないってこと…なのかな。
女にされてしまったって重要なことにはなってしまうし。
復讐するために復讐相手の女になったまま死ぬなんて言うとか…屈辱すぎてただただ苦しい。
それでもこれは、校長が恋人とその母親にしたことへの
復讐でもあるのだから…愛憎入り交じってとんでもない感情だったことだろう。

彼女は見た目のせいで
周りの人間たちにそうした扱いをされて育つことになってしまったわけだが
運動の才能はずば抜けてあったようだ。
最後の写真撮ってくるくだりの描写でもその超人的な才は見て取れる。
生まれる場所や時代が違えば表舞台で活躍できる場があったに違いなく…

先の姫草ユリ子ちゃん然りですが
「才能の無駄遣い」って言葉がありますよね
そんなことできるなら他に使えば良かったのにって。
でもそういうことじゃないんですよね。
その力が発揮されるのは「できるできない」とはまた別の概念なのだと思う。


どうしようもない運命のようなものに
命を懸けてしまった少女たちのことを
否定できるだろうか?
わたしは否定することができない。
むしろ賞賛すらしたい。


🐰

なおこの少女たちのお話の後に収録されているのは
「童貞」というお話。

ちゃんと主人公は童貞の男なので安心してほしい(?)

主人公は童貞卒業できるのか…!?
という話なのかと思いきや
はじまりから既に肺病で死にそうである。
これは無理そう。

そんなこんなの短い旅路のお話。

とても印象的だったのは
天才ピアニストだった彼が
とある街中の空き地で倒れながら耳にした雑踏を
これが「本物の音楽」と謎の悟りをひらいてしまったところ。
「人間の音楽、自分の音楽はにせものだった」と。

ここが凄く美しい描写なんです。

おそらく音楽そのものの否定ではなく
ひとの営みやその活動の音の重なりが
死に際の心に響いたのだろうと…

ただそこにあるものが本物、当たり前だけど
しみじみと実感する心持ちになるのは
なかなか難しい。

自然の美しさにただただ感嘆することは
ふとした時にもあったりしますね。
生きているだけで享受できるもの。
それを見失ったり、名残惜しさを感じたり。

全てが素晴らしく…
しかし、人間の醜さは底を知らず。


昭和初期の作品でありながら
今でもわかる、今でこそよりわかるものがあるのではないだろうかと感じました。
時を超えてなお強烈な物語。
人間の心は、愛は、業ってやつは変わらないものらしい。

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儚さと美しさは紙一重。
そういうものに惹かれてしまう方には
是非読んでみてほしい作品デス🐰

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