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「柴又」へのルート

先日、柴又へ行ってきました。

鉄道150年の話題に影響されてか、数日前から旅心がムズムズしていましたので、「せっかくなので、いままでに行ったことのないコースで行こう!」と思い、あれこれ検討して採用したのがこちらのルートです。

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 新橋→上野    JR東京上野ライン
 上野→北千住   JR常磐線(快速)
 北千住→金町   JR常磐線(普通)(=メトロ千代田線)
 京成金町→柴又  京成金町線
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上野から北上するJR常磐線は、日暮里で大きく右折して北東方面へ進みます。そして間もなく短い区間で、隅田川、荒川、中川を渡ります。

そして江戸川の手前が金町です。

JR常磐線と鉄橋で渡る川


ここは、関東平野が窄まって東京湾に向かう場所。
関東平野を取り囲む山々を源流にして、幾筋もの川が集まっています。

西側から順に
【隅田川】元々は入間川の下流 *秩父から流れ出る
【荒川】古くは旧利根川に合流 *甲州と信濃と武蔵の境から流れ出る
【中川】江戸時代に流路を変えられた利根川の元の川筋 *群馬県赤城山の奥から流れ出る
【江戸川】渡良瀬川の下流 *栃木県と群馬県の境(日光のほう)から流れ出る。

現在のJR常磐線の金町駅の開業は1897年。鉄道の開業によって柴又の帝釈天への参詣者が増えたために、1899年には金町と柴又を結ぶ「帝釈人車軌道」という人車鉄道が開業しました。

人車鉄道とは、人が客車や貨車を押す鉄道です。
イギリスでは蒸気機関車が登場する前に、馬車の乗り心地と輸送力を上げるために鉄製のレール(鉄道)が敷かれていました。その後、蒸気が発明されると、馬力ではなく蒸気の力によって鉄道に車を走らせました。

新橋-横浜間の鉄道が開通したのが1872年。日本へは鉄製のレール(鉄道)と蒸気機関車とがセットとなって「鉄道システム」として伝わってきましたので、今となっては、なかなかそれを切り離して考えるのが難しいのですが、当時の人は、「とりあえず鉄の道だけでも作っちゃおう!」だったのですね。

もともと西洋では交通手段として古くから馬車がありましたが、日本では徳川幕府によって「車」の使用が禁止されていましたので、江戸時代を通じて、移動や運搬手段として「人力」が身近だったことも関係しているのかもしれません。

幕府が「車」を禁止していたのは「船」と同じく、一義的には軍事的利用を抑制するためだったのでしょうが、結果的には歩行者が巻き込まれる悲惨な事故を防ぐという面もあったようです。

そして「金町」は、関東平野の川筋が集まる場所だったためか、古代から人の営みが盛んな里だったようです。駅前にスタバがありましたので、そこでちょっとお茶をして、京成線に乗り換えました。

金町と高砂を結ぶ京成金町線は単線で、途中の柴又駅には上りと下りの電車が同時に到着します。そしてすれ違って行きます。

京成・柴又駅 高砂方面
京成電鉄・金町線 柴又駅


柴又駅から帝釈天にお参りし、その後で江戸川の土手へ行きました。

柴又の江戸川の土手。金町の方面

金町から柴又までは1kmぐらい。
今度は寅さんみたいに、金町のほうからプラプラと土手を歩いて来るのも良いかも。

江戸川の向こう岸は千葉県。
柴又側から見る景色が、兵庫県と大阪府の県境を流れる猪名川という川から見る景色にとてもよく似ていました。

柴又の土手からの江戸川の景色。

この景色に再会したら里心がついて、少しきゅんとしました。

柴又は縄文の頃は海の中ですが、江戸川の向こうに見える小高い台地は千葉県の松戸や市川で、地図をみたら貝塚や国分や国府の地名もあります。

国土地理院の地図に印をつけました。 
県境の川は「江戸川」左側に柴又。右側の市川市に国府、国分、貝塚の地名があります。

因みに吉川弘文館の『日本史年表・地図」に「関東地方の貝塚の分布」というのがあって、ほんとうにそのとおり貝塚があります。

吉川弘文館『日本史年表・地図』より
黄色のところは「柴又」と「筑波山神社」


ここは何処へでも行ける場所。
川筋を辿れば関東平野中の何処へでも。

だから寅さんは正真正銘、どこへでも越境する人。
そしてまた、柴又に帰って来る。

柴又駅の看板


映画の『寅さんシリーズ』の冒頭では、

寅さんは、矢切の渡しを渡って帰って来る

というわけで、
寅さんがトランクを持って、川の土手の道をぷらぷらと歩いている場面から始まります。

15年ほど前、初めて柴又を訪れたときは、この<矢切の渡し>を渡って柴又に行きました。

右手の川の上に見えるのが「矢切の渡し船」

矢切の渡しを渡るためには、千葉県松戸市の矢切駅(京成線)から台地を下って渡し舟のあるところまで歩きます。
坂を降りる途中の、少し急な勾配や檳榔の木が雑じる鬱蒼とした竹藪の様子や、坂を下った後に開ける田畠の様子が、幼い頃の記憶と重なって懐かしい感じがしました。

江戸川は武蔵国と下総国の国境。
下総国は千葉県、武蔵国は今の埼玉県と東京都。
千葉県と埼玉県と東京都の県境に近くに柴又はあります。先日TV放送していた『翔んで埼玉』の中で、埼玉と千葉が対峙していた「流山橋」も江戸川にかかる橋です。

国土地理院の地図にプロット

流山には流山鉄道という大正時代から走る鉄道が通っていますので(調べてみたら開業日が私の誕生日と同じ日付でした)、今度乗ってみたいです。

http://ryutetsu.jp/station.html

JR常磐線の「新松戸駅」に流鉄の「幸谷(こうや)駅」が隣接しているようで、終点の流山駅から南へ数百メートルのところに流山橋があるようです。




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