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「鏡」という書物のジャンル

先月、鎌倉へ行って、鎌倉の空間感覚が身体に入って来たので、『吾妻鏡』を借りることにしました。

鎌倉殿が最終回を迎えた今なら、分け入れそう。

吾妻鏡の和風漢文体の吉川本と、岩波文庫から2008年に再版された訓み仮名振りの本。

『吾妻鏡』岩波文庫 全五巻
『吉川本 吾妻鏡』全三冊 名著刊行会 


古代中世の公の書は漢文で書かれていて、その原文が訓読みされ、さらに現代語に訳されるにつれて、文字数が多くなり、どうしても冗長化してしまいます。

かと言って、バリバリの漢文は、区切りが分からなくて、???。

吾妻鏡の和風漢文体はその間なんです。
そのせいか、記録の構造がとても掴みやすい。
フォーマットが揃っていてビジネスの資料文書と言う感じ。


吾妻鏡と言うタイトルが当初からのものかはわかりませんが、大鏡、水鏡、今鏡と、そして吾妻鏡と、「鏡」がつく古典が幾つかあります。

同じように文字で書かれたものですが「物語」とは別物とはっきりと区別されて、棲み分けされていたような気がします。

記録映像がなかった頃、現実を時系列に記録していて、当時の情景や感覚をそのままに再生できる書物を「鏡」とよんだのかもしれない。

物(霊)が語るコト(想像上:フィクション) ・・●●物語
鏡にうつるコト(事実上:ノンフィクション)・・●●鏡


そして「鏡」そのものは、古代においては「太陽の依代」であったのが、だんだんと「現実をうつす装置」という認識に変化して行ったのでしょう。

八百神が活躍していた世界から抜け出して、生身の人間が主役になってゆく。

その移りゆく過程の最終場面が吾妻鏡の時代だったように思います。



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