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もしや、あなたは ー 『焔』 上村松園
現在、上野の東京国立博物館【国宝室】に、上村松園の『焔』があります。
この絵は国宝だったのですね。
今日ひととき、【国宝室】を独り占めしてしまいました。
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東京国立博物館【国宝室】にて
高く結わえた長い髪を垂らして、それを一筋くわえて、うつむき気味に振り返る女。
白い着物の全面には、紫と金色の藤の花。そして蜘蛛の巣。
足元が霞んでいます。
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この絵は『源氏物語』の六条御息所の生霊と言われています。
ですが、ずっと眺めているうちに、
どうしてもそうじゃない気がしました。
六条御息所と「藤の花」が結びつかないのです。
かつて着物は、現代よりももっと、その人の「なり」を表すものでしたから、「藤原」の藤を、六条御息所が纏うのかなぁ。と。。
正確に言うと、上村松園が六条御息所に藤を纏わせるのかなぁ。と
確かに「蜘蛛の巣」は御息所の、こじれて煮詰まって行き場のない心の様子を表していそうですし、さらに「藤氏の女」である葵の上を搦め捕っていることを表しているのかもしれませんが、そんな「あからさま」な着物をあの誇り高い御息所が着るのかなぁ。と。
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そして『焔』というタイトルも。
この絵には、「口元」にほんの少し以外に「赤」は一切ありません。
焔(ほのお)は、押し殺した「嫉妬」なのか、隠された「情念」なのか。
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表着は白地に藤と蜘蛛の巣ですが、よく見ると中に着ている着物の模様が、「卍崩し」に「梅の花」なのです。
隠れた着物こそが「うら=心=本心」のはず。
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「卍」の文様は太陽を表していて永遠や不滅、恩恵の象徴。そしてその連続文様は無限の吉祥を意味します。
また、「梅」は冬の寒さが残る新春に、どの花よりも先んじて一番に咲く誕生の花。こちらも古来より吉祥の文様。
さらに、左手の動きを見ると、着物をつまんでいる様子。
そして左肩の表着が少しはだけています。
この女は、上の着物を脱ごうとしています。
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そして、足が描かれていない。
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つまり、この女は、すでに「この世の人でない」
ああ、もしかしたら、この人は「葵の上」。
中の着物の緑の地色は、「葵」の緑なのでは。
葵の上は光源氏の正妻で第一子を出産しますが、そのことで六条御息所の嫉妬を受けます。
『源氏物語』には、光源氏と関係するたくさんの女性が登場しますが、その中で唯一「詠歌なし」なのが「葵の上」なのです。
彼女の「歌」が『源氏物語』には出てこないのです。
『源氏物語』は紫式部が書いていますので、会話の「言葉」以外の登場人物の心情は「客観」で書かれています。
なので登場人物自身の心の声は「歌」として、紫式部は表現しています。
その「歌」が葵の上にはないのです。
(一方の六条御息所は11首。ちなみに紫上は23首。女三宮は7首。)
つまり、『源氏物語』の中では、彼女(葵の上)の「本心」は、誰にもわからないようになっている。
そんなことを考えながらこの絵をみると、どうしてもこの女の人は「葵の上」に思えてしまいます。
家のために結婚する「藤氏の女」としての自分も、誰かから怨まれたりする自分も、死んでしまうことでやっと「脱ぎ去る」ことができる。
死んで生まれ変わって、違う花(梅)として咲くことができる。
永遠(卍)に。
その隠されていた葵の上の情念が「焔」なのかもしれない。
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そして、やっぱり彼女の中には光源氏はいないような気がする。
青い梅花は、青い焔。
彼女の焔は赤くはない。
*