【短編小説/タイトルは..】
硝子の欠片が手の中で冷たく光る。
それを拾い上げるたび、心のどこかがささくれるように痛む。
「壊れたものに価値なんてない」
誰かの声が耳の奥に響く。いや、それは多分、自分自身の声だった。
手の中の硝子は淡い虹を纏いながら、震える私を映している。
けれど、その破片に触れるたび、かすかな温かさが指先を伝い、何かが私の中で息を吹き返そうとしているような気がした。
1章: 硝子の部屋
硝子を扱う工場の一角は、朝の光が差し込むときだけ、ほんの少しだけ美しく見える。
微かな埃の粒子が光の筋の中で揺れ、硝子の表面がその輝きを跳ね返す。
それでも、私にとってこの場所は、ただの重たい空間だった。
作業台の前に座ると、硝子が静かに私を待っている。
触れれば冷たく、滑らかだが、油断すればすぐに壊れてしまう。
まるで、私自身のようだと感じる瞬間がある。
「また失敗したの？」
背後から上司の声が響く。
その言葉は、小さな針のように私の背中に刺さる。
机に置かれた欠けた硝子の一片をそっと拾い上げる。
形は崩れてしまったけれど、光の角度で見れば小さな虹が生まれる。
私の手の中で、それはかすかに温かいような気がした。
「なぜ、こんなに壊れやすいのに美しいんだろう？」
心の中で呟いたその問いに、答えを見つけることはできなかった。
仕事が終わった後、私はいつものように一人で工場を出る。
夜の街灯が硝子のように冷たく輝いている。
その灯りを見ながら、小さな頃の記憶が胸の奥で疼く。
2章: 硝子の記憶
夜道を歩きながら、私はそっとポケットに手を入れた。
そこには、欠けた硝子の破片が入っている。
捨てることもできずに持ち歩いているそれは、私自身の心を映すようだった。
街灯の光が、昔住んでいた家の温かな灯りを思い出させる。
幼い頃、母がよく言っていた言葉が耳の奥で響いた。
「壊れたものだって、ちゃんと使い道があるのよ」
母はいつも、手が荒れるまで掃除をしたり、捨てられたものを修理していた。
食器棚には、欠けたカップや皿が並んでいて、そのすべてに母の修復の跡があった。
「どうして捨てないの？」と幼い私が尋ねると、母は笑いながら答えた。
「この欠けた部分がね、私にはすごくきれいに見えるの。ほら、光が違う角度で入るから」
その言葉の意味を理解できないまま、大人になってしまった私。
あの頃、母が抱えていた苦労や、欠けたものを大事にしていた理由を知ることもなく。
工場の仕事は、ミスが許されない。私の性格には向いていないと思いながらも、この仕事を辞める勇気もなかった。
誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしいだけなのに、それすらも頼れない。
欠けた硝子をそっと握り締めた。
母が言っていた「光が違う角度で入る」という言葉が、心の奥に少しだけ温かく広がる。
次の朝、工場での作業が始まる。私は昨日と変わらない場所に座り、変わらない硝子を手に取る。
ただ、昨日とは少し違う気持ちが胸の中に芽生えている気がした。
3章: 硝子に宿る光
工場の朝はいつもと同じだった。
冷たい空気が肌を刺し、機械の音が響く中、私の手の中に硝子が置かれる。
けれど、今日は少し違う気がしていた。
昨日、母の言葉を思い出してから、硝子の表面に映る光の揺らめきがいつもより温かく見えたからだ。
作業台に座り、手の中で硝子を回す。
少しの角度の違いで、光が反射して虹色の模様を作り出すのが見える。
「欠けたものの方が、光がたくさん通るのよ」
ふと浮かんだ母の言葉が胸に沁みた。
それは母自身のことを言っていたのだろうか。
それとも、私のことだったのだろうか。
昼休み、工場の裏庭で一人座っていると、小鳥のさえずりが風に混じって聞こえた。
その音が、妙に胸を温かくする。
まるで、その音が硝子の隙間を通り抜けて、心の奥まで届いているようだった。
「これでいいのかな」
小さく呟いた言葉は、自分に向けられたものだった。
午後の作業中、私は不思議な感覚に包まれていた。
これまでただ怖いと思っていた硝子の脆さが、今ではその美しさに思えてきたのだ。
「壊れることは怖くない」
それどころか、壊れた先に何かが残るのではないかと思えるようになっていた。
欠けた硝子が光を通すように、私も自分の欠けた部分を通じて何かを伝えられるのではないか。そんな感覚が胸に芽生えた。
家に帰り、机の上に置いてあった母の修復した硝子のカップをそっと手に取る。
そのカップには、割れた跡が残っているけれど、母が丁寧に金継ぎをした跡が輝いていた。
その金色の線が、私に小さな光を灯してくれる。
翌朝、私は硝子工場に向かう道を歩きながら、手の中で小さな欠けた硝子を握りしめた。
その破片は私自身の心を映すようだったけれど、同時に光を集め、未来を照らす小さな道標のようにも見えた。
空を見上げると、雲の隙間から一筋の光が差し込んでいた。
タイトル:可能性スペクトラム
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