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【オーストラリア・パース生活】お葬式に出席しました/オーストラリアのお葬式について

すでに1か月以上も前の話になるのですが、パースに到着して早々、お葬式がありました。

実はここ最近の3年間、私は毎年のように近い人を亡くしています。2020年には私がパースに来てから約9年間ずっと一緒に住んでいた家のオーナー(享年79歳)が闘病の末亡くなりました。私の努力や成長を一番近くで見て応援してくれていた人であり、家族同然の人でした。

2021年には日本の実父(享年65歳)が癌で余命宣告された後に他界しました。この事がきっかけで私はこちらの大学院を退学し、父の看取りと母のサポートのために日本に帰国しました。

そして今回は義父(享年88歳)です。私とパートナーは法的に結婚はしていないので『義父』と呼ぶ事は正当ではないのですが、他に私たちのリレーションシップを指し示す短い単語が見つからないので、ここでは分かりやすいように『義父』で通しますね。その義父とは約9年前に出会って以来、毎週のように会い、一緒にお茶を飲んだり庭仕事をしたり、カフェに出かけたりビーチを散歩したりしていました。雨が降れば「ちゃんと暖かくしているか」と電話をくれ、忙しい日々が続くと「ちゃんと食べてるか」と気にかけてくれる。私の大学学部の卒業式にも喜び勇んで出席してくれ、私のAchievementをとても喜んでくれました。出会った当初はもちろん『パートナーの父』という間接的な関係だったわけですが、時が経ち親交が深まるにつれ、その関係性は『私の親しい友人』という、より直接的なものに進化していきました。

しかし、年齢が年齢なのでだんだんと体も利かなくなり、痴呆も進み、さらにはステージ4の癌も長らく患っていたので、私が去年帰国する際は、「もう会えないかもしれないな」という覚悟が必要でした。実際、それから半年後くらいには車椅子でも外出が不可能になり、徐々に食事もしなくなり、今回私がパースに到着する10日前にこの世を去ってしまいました。

私としては、直に会って彼の心身の辛さを和らげるお手伝いがしたかったのは言うまでもありません。しかし同時に、逝くべき時に逝かないと、彼が余計な痛みや苦しみに耐えなければならない時間が増えてしまいます。最後に会えなかった事は残念でしたが、お葬式には参列することができましたので、そこで今までの感謝とお別れの意をしっかりと残してきました。

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さて、少し前置きが長くなってしまいましたが、オーストラリアでのお葬式について、少し書いてみようと思います。というのも、3年前にハウスオーナーの葬儀に参加した際、こちらのお葬式の服装やマナーについてよく分からず、調べるのに手間取った経験があるからです。留学生やワーホリの方が現地のお葬式に参列するという機会は少ないと思います。だからこそ情報も不足しているかと思うので、参考になれば幸いです。

故人の宗教的・文化的背景の確認

オーストラリアは他民族国家で、様々な宗教や文化的背景を持つ人々が共存しています。冠婚葬祭ではこれらの背景が多かれ少なかれ影響を与えるかと思いますので、お葬式に参列する際は、まず相手がどのような宗教的・文化的背景を持っているのかを確認する必要があるかと思います。

とは言え、宗教色の濃いお葬式は少な目な印象です。私がパースでお葬式に参加したのは2回だけですが、どちらも宗教的な要素は薄く、葬儀中にキリスト教関連の歌を歌ったり聖書の一部を朗読した程度で、参列者として困るようなことは特にありませんでした(歌の歌詞は事前に渡されます)。私のパートナー(オーストラリア人/63歳)にも聞いてみましたが、彼も宗教色の強いお葬式には今まで参列したことが無いそうです。ちなみに、私が参加したお葬式は、どちらも Cemetery(墓地/霊園)の中にある Chapel(チャペル)で執り行われました。

香典や供花

こちらの一般的なお葬式では、日本のように『香典』を渡したり『供花』を贈ったりする習慣はありません。しかしながら、遺族と親しい間柄の場合は、大切な人を亡くした彼らを思いやる目的で『メッセージカード』や『お花』を贈ったりはします。しかし、それも絶対的なルールではありません。形式的に贈るのではなく、あくまで『気持ちありき』でのアクションです。私のパートナーにも、彼のお友達や知り合いからお悔みのメッセージや花束がいくつか届いていました。※メッセージカード等を贈る際は、葬儀場にではなく、直接その方のお家に送るか持参するのが一般的です。

服装について

日本でいうところの『喪服』はありません。厳格な式場や式の場合は、ダークカラーのフォーマルな服装が好ましいでしょう。しかし、私が参加したようなごく一般的な式においては、服装はかなりカジュアルで自由な印象です。

参列者として出席するのであれば、小綺麗なワンピースやブラウス等で全く問題ないと言えるでしょう。男性もネクタイやジャケットは必須ではなく、アイロンのかかったシャツにスラックスでOKです。色もダークである必要はなく、明るい色や柄物を着る人も沢山います。アクセサリーや靴も、派手過ぎなければ特に制限はありません。とにかく大事なのは清潔感といったところでしょうか。

以前参列者として出席した際、私は安全圏をと思い『黒のパンツスーツにネイビーのインナー』を着用しました。ところが、思いのほか黒い服装の人が少なく、上下黒の私は遺族側よりフォーマルな格好をしていて、何だか気まずく感じてしまいました。なんなら髪の毛も黒いので、上から下まで真っ黒!結果、途中でジャケットを脱いで鞄に押し込んだという経験があります。

遺族側は通常、参列者よりもフォーマルな服装が望まれるとは思います。とは言え、真っ黒である必要は全くありません。ハウスオーナーが亡くなった際、息子の奥さんはクリーム色のワンピースを着ていました。今回の義父の葬儀でも、65歳くらいの娘は柄物のフンワリしたブラウスに黒のスラックスでしたし、30歳くらいの孫娘は黒のクロップドパンツにピンクのジャケットを羽織っていました(インナーは白のベアトップ)。もう一人の孫(35歳)も赤の花柄ロングワンピースに黒のジャケットを羽織り、なかなか目立っていました。

今回私は長男であるパートナーの隣に着席することが予想されたので、彼や彼の家族に恥ずかしい思いをさせてはいけないと思い、少しお堅めの服装にしました。とは言え、前回の教訓から全身黒はやめて、質感のしっかりした明るいグレージュのお洒落ブラウスに黒のパンツとパンプスを合わせました。

当日の流れ

当日の流れに関しては、葬儀会場や埋葬方法(土葬か火葬か等)によって若干異なる部分はあるでしょう。しかし、式そのものの大まかな流れとしては、故人の紹介に始まり、遺族や司会の方からの弔辞と続き、スライドショー等で故人の人生や思い出のシーン等を振り返ります。そして、棺に最後のお別れをして、出棺・埋葬となります。

お葬式が終わった後はちょっとした軽食が用意されるので、そこで故人との思い出を語りあったり、遺族にお悔みの言葉をかけたりします。料理は指でつまめる程度の軽食が主で、雰囲気的には立食パーティーのような感じでしょうか。

私が経験した2つのお葬式では、下記の点で少し違いが見られました。

ハウスオーナーのお葬式では、参列者は墓地公園のメインゲートに集合し、そこから霊柩車の後をゆっくり追うような形でチャペルまで歩きました。また、埋葬方法が土葬だったので、出棺後は埋葬場所に移動し、そこで一人ずつバラの花を手向けながら最後のお別れをしました。埋葬後は解散し、その後に故人の家(私の住んでいた家)で数時間のレセプションが行われました。

一方、今回の義父のお葬式では、チャペル前に直接集合でした。また、棺とのお別れ(出棺)はチャペル室内で完結しました。これは予想外で驚いたのですが、なんとエレベーターのように棺が地下に降りていったのです。それを皆で見送り、葬儀は終了しました。その後は併設されたロビーのような会場に移動し、コーヒーやケーキ等の軽食とともに参列者と僅かな時間を過ごしました。その後は、パートナーの姉家族の家がレセプション会場でしたので、親交が深かった人達が集い、よりリラックスした雰囲気の中、故人との思い出話や各々の近況話に花を咲かせました。

お葬式の在り方

オーストラリアでお葬式に参列する際、お葬式だからと言ってあまり堅く構える必要はありませんし、終始暗い表情でいる必要もありません。もちろん、故人がこの世から去ってしまったことは悲しいことなのですが、死は、この世に生まれた人間ならば誰もが到着するべき人生の終着地点です。私がオーストラリアでのお葬式を経験して強く感じたことは、彼らは『別れの悲しみ』よりも、『故人の人生がどんなに素晴らしいものだったのか』という点に焦点を当てているなということです。故人の人生と私たちの人生は、何かしらの縁で交わり、多かれ少なかれ影響を与え合ってきました。この国のお葬式では、そうやって故人の人生に関わってきた人たち皆で『故人の人生を振り返り、旅立ちを祝おう』という雰囲気があります。ですので、お葬式の最中は涙もあれば笑いもあります。故人が楽しい人だったのであれば面白エピソードも満載でしょうし、むしろ笑いの方が多くなる可能性だってあります。

Celebrate という言葉がよく使われるように
お葬式は故人の人生と旅立ちを祝う場です

義父のお葬式でも沢山の方が弔辞を読んでくれました。とにかく面白エピソードの連発で、沢山の笑いに包まれました。スライドショーの写真のチョイスもなかなか確信犯的で、「なぜこの写真を選んだ!?」「明らかに笑わかそうとしてるでしょ!」というものも多数ありました。スライドショーはとにかく爆笑の嵐でしたね、特に遺族が。ほんとに、今思い出しても笑えてきます(笑)

そう、義父の人生はとても色濃く素敵なものだったと思います。彼は享年88歳だったわけですが、その彼の人生最後の9年間に私が関われたことをとても嬉しく思っています。


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