見出し画像

【オーストラリア・パース生活】ロットネスト島:日帰りサイクリングの旅①

少し前の話になりますが、P氏と二人で Rottnest Island(ロットネスト島)に日帰りで行ってきました。そう、あの "世界一幸せな動物" の愛称で有名な
『Quokka(クオッカ)』が生息する島です。

私がロットネスト島を訪れるのは今回で3回目。1回目はP氏と出会ったばかりの頃に1泊で行き、2回目はG氏やJ氏を含めた計6名の大所帯でロッジを一つ貸し切り4泊しました。今回は時間があまり無く、目的も『大自然の中でのサイクリング』『美しいビーチで泳ぐこと』の二つだけだったので、日帰りを選択しました。

※P氏、G氏、J氏が誰なのかご存知ない方は過去の記事でご確認下さい。
 ↓↓↓↓↓↓

ロットネスト島を自転車で回るには、この時がベストシーズンだったのでラッキーでしたね。真夏の炎天下でのサイクリングは暑くて大変ですし、真冬だと寒くて雨も降るので不便です。11月後半は暑過ぎないけれども海で泳げるくらいの気温はあるので、とても良いタイミングでロットネスト島に行くことができました。

というわけで、今日から数回に分けてロットネスト島の旅行記をお届けする予定です。しかしその前に、『ロットネスト島が一体どんな場所なのか』という説明が必要かと思いますので、今回はそこから始めたいと思います。

ロットネスト島とは

ロットネスト島は、インド洋に浮かぶ小さな島で、パースの沖合約19kmのところに位置している人気のホリデイ・デスティネーションです。島の大きさとしては19平方kmほどで、自転車でグルっと一周する場合は22kmほどの走行距離になります。

この島はA級自然保護区に指定されていて、 島内に生息する動物や植物は厳しく保護されています。島のインフラ系開発も最小限に抑えられている印象で、一般車の走行も許可されていません。よって、一般客の島内での移動は自転車か特定の観光バスに頼ることになります。

そんなロットネスト島には、他の地では見られない固有の動植物がたくさん生息しています。先述のクオッカもその一つですが、今やこのクオッカを見るためだけにロットネスト島を訪れる人も少なくないみたいですね。

フェリーの発着する Thomson Bay(トムソン・ベイ)を離れ、西側に行けば行くほど、手つかずの自然の姿に出会うことができます。白い砂浜、様々な青が入り混じった透明度の高い海は息を飲む美しさです。島には63もの個性的なビーチがあるので、海水浴やシュノーケリングを楽しんだり、ビーチで日光浴をしたりと、静かでゆったりした時間を過ごすことができます。また、5つのウォーキングトレイルもあるので、島の自然や文化遺産をゆっくりと見て回るのも良いでしょう。

島移動は自転車が一般的
Little Salmon Bay 付近(多分)
島には63ものビーチがあります
ライトハウスから望む Pinky Beach
Quokka(クオッカ)
これは2016年に携帯で撮った写真なので画像が荒いですね
しかも何だか合成写真に見える…ちゃんと本物ですよ(笑)

ロットネスト島の歴史的背景

ここまでの流れだと、ロットネスト島は『海が綺麗で自然豊かなリゾートアイランド』というイメージに収まるかもしれません。しかし、実際はその限りではありません。ロットネスト島には、実に深い歴史があるのです。

刑務所としてのロットネスト島

現在ロットネスト島として知られている場所は、かつて本土と陸続きであり、先住民族であるアボリジニの人々から『Wadjemup(ワジュマップ)』と呼ばれ、特別な場所として儀式などに利用されていました。しかしその後、海面の上昇により陸路でのアクセスができなくなり、その場所は島と化してしまいました。17世紀に西洋人が初めて島にやって来たわけですが、その時には島に人は住んでいなかったそうです。

現在の『ロットネスト島』という名前は、1696年にオランダの探検家 Willem de Vlamingh(ウィリアム・ブレミング)が島を訪れた際、クオッカを見て、島を『Rats' Nest Island(ネズミの巣の島)』と呼んだことが所以です。

その後、1800年代に西洋人が入植し、先住民から土地を奪います。そして、ロットネスト島を刑務所ならびに強制労働収容所とし、西オーストラリア州全土から何千人もの先住民男性(子供も含む)を島送りにし収容していきました。島内における収容者への迫害はひどく、多くの先住民族の方々が刑務所で病気になったり死亡したりしたそうです。(この刑務所は1902年に廃止になりました)

※ロットネスト島におけるアボリジニの歴史の詳細は、Rottnest Island Authority のウェブサイトで読むことができます。(ウェブサイトはこちら

第二次世界大戦時のロットネスト島

ロットネスト島は第二次世界大戦中、西オーストラリア州の沿岸防衛において、とても重要な役割を果たしていました。敵対船から本土の港を守るため、鉄道、トンネル、兵舎、見張り台、掩体壕、大型の大砲などを含む様々な軍事施設が建設されたわけですが、その跡地が今でも保存されています。(再建されたものもあります)。

ロットネスト島の文化遺産

このように、ロットネスト島はただのリゾート地ではありません。『入植』『迫害』『戦争』などの重い歴史も背負っているのです。島内には数々の文化遺産が残されており、その歴史を肌で感じることができますし、博物館やガイドツアーからその歴史を学ぶこともできます。

正直、ロットネスト島のことをしっかり知ろうと思えば、一回の日帰り旅行だけでは到底時間が足りません。また、多くの観光客は歴史云々よりも、ビーチやクオッカ目当てでこの島を訪れるでしょう。それでも、島を訪れることによって、その歴史に少しでも触れ、何かを後世に伝えていければ、そこに意味はあるのかなと思います。

第二次世界大戦中に使われていた施設
Oliver Hill Train(オリバー・ヒル・トレイン)
第二次世界大戦時に設置された砲台へと向かう観光列車です(有料)
丘の上に立つ Oliver Hill Battery(オリバー・ヒル・バッテリー)
敵国(日本軍)の攻撃から本土を守るために設置されたそうです
Oliver Hill Battery
6年前に一人でこの大砲を見に来たのですが
そこでの静かな空気に身震いすような何かを感じました
1840年代に建てられたコテージ
Superintendent(監督者?管理者?)の家として建てられたそうです
現在では一般客のアコモデーションとして、宿泊することが可能です


以上、今回はロットネスト島がどんな場所かということをお伝えさせていただきました。

次回からは、私たちの日帰りサイクリングの旅をお届けしますね!

ロットネスト島:日帰りサイクリングの旅②へ続く・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?