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場面緘黙症について伝えたい【エピソード編】


さて前回は、場面緘黙症とは何かをお話ししました。


今回は、僕が発症していた時期の生活や改善に至るまでの過程について、共有します。
特に、場面緘黙症を知らない方には是非とも読んでいただきたく思います。







発症の始まり

幼稚園に入園した、3歳の頃と記憶しています。
言葉を発すること以外は問題なく、外を走り回ったり、時には笑顔になることもできました。

ただ、言葉を一切発さない子供というのは、周囲にとっては奇妙な存在。
クラスの子に近づいただけで逃げられたり、物を取られたり、気の強い子からは顔を引っかかれ、頬に切り傷が付いたこともありました。






幼稚園と並行しながら、親からは定期的に病院へ連れていかれ、何故僕が喋らないのか、どうしたら喋るようになるのかと、色々なカウンセラーに会わせられ、色々な診察を受けました。
カウンセラーは僕とおもちゃや粘土で遊んでくれたり、お絵描きをしてくれました。それ自体はすごく楽しく、定期的にその先生と遊ぶことが日々の楽しみでした。
しかし、言葉を発するには至りませんでした。







苦しかった時期

幼稚園であれば、まだ先生のフォローが大きく、なんとかやっていけました。
しかし本当に大変だったのは、小学校へ入学してからです。


朝の出席確認で名前を呼ばれ、「はい」とだけいうことは辛うじてできました。
しかしそれ以外の言葉は一切発せません。

国語の教科書の音読なんか、できるはずがありません。
それでも、当てられれば読まざるを得ないのです。読むまで先生がいつまでも待つから。

クラスメイトからは「早くしろよ!」と野次が飛んできます。
出そうにない声を振り絞って、かすれた声で音読すれば「聞こえねえよ!」と、また野次が飛びます。

どうしろと言うのです💦







もちろん、いじめの標的にされました。
物を隠される、目の前でも物をひったくられるのは当たり前。
遠足のおやつを取られたこともあります。


クラスに転校生が入ってきたとき、
皆がその転校生に僕をこのように紹介します。

「こいつねえ、喋らないんだよ!」

すごく心苦しかったです。







大人が守ってくれれば、まだうまくやっていけたと思います。
少なくとも周りの大人さえ理解してくれれば、成長してからも自傷行為や他人を強く恨む程の自己肯定感の低さに飲み込まれることはなかったでしょう。







一番傷ついたのは、親 (特に母) からも理解が得られないことでした。
母は僕を病院に連れて行き、「場面緘黙症の疑いがある。」と診断はされたそうなのですが、正式な診断は出してもらわなかったそうです。

母なりに、正式な診断が出てしまったら、僕が一般の小学校に通えなくなると考えたのでしょう。(実際には診断が出ても一般校に通うことは可能なのだが)
あるいは、流産を経験したのち高齢出産でやっと生んだ一人息子が病気だなんて、信じたくなかったのでしょう。







母は、「あんたが喋らないから親である私が恥をかくのよ!」「何でみんな喋れるのに一人だけ喋らないの!」とよく責めてきました。
誰かにいじめられても、「何でいじめられてるのに、やめてって言わないの?黙ってるからやられるんでしょ。」とのことでした。

小さな子供にとって、親は本来安心できる場所であり守ってくれる存在。
そんな親にも受け入れてもらえず、僕は家にも居場所がないのだと感じるようになりました。


※題材とずれてしまうので、親との関係については、いずれ別の記事に書きます。








0から1へ

喋れない+誰にも理解してもらえない僕でしたが、転機が訪れたのは小学2年生の時でした。




周りのクラスメイトに比べ、少しフレンドリーに接してくれる子が現れたんです。

それまで皆から苗字呼び捨てで呼ばれていたのが、彼は苗字をもじったあだ名で呼んでくれました。
それですごく嬉しかったのでしょう。
彼には心を開き始めました。






明確な記憶がなく申し訳ないのですが、たしかその彼にだけ、ぼそっと小声で話せるようになったような記憶があります。

一度小声でも話せるようになったらその勢いで、まだ小さな声でですが、他のクラスメイトとの会話もできるようになりました。




ただ、今まで喋らなかった人間が突然喋るようになったことが、周囲からは奇妙だったのでしょう。

僕が声を発するたびに「こいつ喋った!」と驚いたり笑ったり、大袈裟に反応します。
この反応をされると逆に喋りづらく、きつかったです💦
もっと自然に接してほしかった。。。


それに加え、今まで僕を散々ゴミを扱うような態度で、冷たい目で見てきたクラスメイト達が、
まるで人でも変わったのようにコロッと態度を変え、友好的になったり笑顔で接してくるようになりました。

世界が変わったようで嬉しかった反面、人はこうも簡単に相手によって態度を変えるのかと、
人間の残酷さを心の底から実感しました。

この経験は、後の人格形成に大きな影響を与えます。





現在は?

このように、とある友人との交流をきっかけに
全く話せない0から、少し話せる1へ踏み出すことができました。

そこから、時間はかかりつつも周囲とコミュニケーションを取れるようになり、今は。。


社会人軽音サークルで、ボーカルができるまでに変貌しました🤣

喋るどころか人前で歌ってシャウトしています🤣







最後に伝えさせてほしい

場面緘黙症で悩んでいる方、そうでなくとも人とのコミュニケーションが苦手だったり、自分を抑圧してしまう方

全然苦手なままで大丈夫だと思います!
自分は自分。それで良いです!


ただ、変われる可能性はあります。
可能性だけは自分で閉ざさないでほしいんです。僕の存在が、その証拠です。





そして場面緘黙症をよく知らないという方には、よく知っていただきたい。
この病気の存在を。

彼らは話したいのです。
コミュニケーションを取りたい気持ちはあります。
でもそれができないという病気なのです。

声を出そうとすると、ロックされたように喉にストッパーがかかる感覚になるのです。

声を発するという我々にはなんてことない行動が、
彼らにはとてつもなく高い壁を登るかのような、多大なエネルギーを消費する行動になります。


それを理解していただきたいです。

無理に話させたり、勇気を振り絞って声を発したときに、大袈裟な反応はしないであげてください。
自然に接してください。






この記事が誰かの励みになることを。

そして病気に理解のある世の中になることを祈ります。





ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回の記事でまたお会いしましょう!

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