31w2d 切迫早産安静の退屈
暇である。ただひたすらに、永遠に続くような日々。もう二ヶ月、自宅安静を続けている。切迫早産の自宅安静はとても厳しく、精神的に苦痛のつよいものだ。ひどいときはベッドの上から動いてはいけなかったし、シャワーも3日に一度しか許されなかった。そうなると、日がなスマホをいじるか、テレビを見るか、本を読むことくらいしかできない。(ちなみに「座るとお腹が張るから」と言われて体も起こしてはいけなかった。本当にこのレベルでの安静が必要なのか?ネットにあふれる情報に目を通しつつ、疑問に思いながらも、従うしかなかった)
こんな生活していたら、気が滅入るのも当然だ。産まれるまでずっと、ベッドに無理矢理、身体を鎖で縛り付けられているようなもの。転院し、安静の基準が低くなったおかげで、大分ストレスは軽減されたけれど。元々引きこもるのが苦手で、家に閉じこもっていると弱ってくる質なので、毎日ああ限界だ、外に出して!と叫びたくなる。
スマホでXのタイムラインを眺める。ライフがつきるまで、パズルゲームをする。Tverで更新されたドラマを観る。そんなことを繰り返していると、どんどん沈み、鬱屈としてきてしまう。どの行為も私が積極的にしたくてしているんじゃなく、ただの暇つぶしだ。時間を消費するための受動的なインプットは、何もしてないようなものなのに、楽なはずなのに、なぜか心を疲弊させる。どれも自分で選んでしている行為ではないから。
ドラマに出てくる主人公たちが、恋に仕事に結婚に、夫婦関係に子育てに悩む姿。うまくいかず悩み、バーの店員に本音を吐露する姿、そのすべてが羨ましい。彼女たちはみんな、意味のある時間を過ごしている。
カーテンの外が暗くなる。まだこれだけしか時間が経ってないことに、余計に気力を奪われる。あと何日耐えれば、と指折り数えてはため息をつく、産休になったら、やりたいことがたくさんあった。三ヶ月もの時間。
外に出て、二足歩行で歩いて、11月の風を思い切り吸い込みたい。
お気に入りのカフェで、キャロットケーキとカフェラテを楽しみたい。
本屋に行って、まだ見ぬ新刊を吟味して、新しい作家に出会いたい。
百均をはしごして、かわいい毛糸を買い込みたい。
好きなパン屋でサンドイッチとドーナツを買って、公園で夫とランチしたい。
映画館で大好きな監督の新作を見て、パンフレットを大事にかばんにしまいたい。
去年買って着そこねてしまった、新しいコートに袖を通したい。
行動と食事を制限されて、生活の中の、ささやかで大切な暮らしができない。自分の心が休まるような、気分転換の方法も取れなくなってしまった。どうすれば健康的に心地よく過ごせるのか、まだ探している途中で。よくないと分かっていても、失ったものばかり考えてしまう。
まだ見ぬ存在は私のお腹で急速に大きくなっている。本当につらいし飽き飽きするような日々にめげそうだけど、無事になんとか産まれてきてほしい。別に母性とか、そういうのじゃないけど。できるだけ早く、時間が過ぎてほしい。産まれてくる子に出会うため。希望といえるものはそれだけ。
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