はるるんと、きょうだいと、社会
刺激の少ない家生活
はるるんについて書きたいことが、最近、あまりなかった。
ロックダウン開始後、ハルが通っていた特別支援学校でもオンライン授業が始まったけれど、ハルはなかなかセッションの時間に合わわせて生活のリズムを調整できずにいた。先生や級友やネット環境などの様々な都合で予定通りに開始しないオンラインセッションは、むしろハルにとって負担になることも多く、まるまる夏休みだった6月の終わり、休み明けからの退学を決断した。
もちろんオンラインでも、担任の先生やお友達の声が聞けるのは嬉しいことではあったし、担任の先生が、オンライン授業の趣旨について「so that you can feel you're not alone」と説明していたのにもとても勇気づけられたのは事実だ。
それでも、6月以降のロックダウンの緩和でヘルパーさんに復帰してもらって以降は、ヘルパーさんがトレーナー代わりになってリハビリの体操をしてくれたし、他のきょうだいとの触れ合いをそれなりに楽しんでいるのを見て、オンラインで学校を続けることの意味をあまり感じられなくなった。
淡々と過ぎる日々。
朝起きたら痰をとって、おむつをかえて、朝ごはんをたべたらヘルパーさんがきてくれて、体操して、時々きょうだいと遊び、夜は大好きな風呂につかって眠る。そんな毎日。
一日の大半をウトウトと過ごして、ときどきニコニコして、時々泣いた。
病院にはずいぶん長いこと行っていないし、外出することのないハルの毎日は、なんとなく眠い時間が増えたという以外、とりたててコレという出来事がなかった。
「かわいい」といわれたはるるん
6月1日、政府はロックダウンの緩和に舵を取り、7月になると緩和は更に進み、ハルの生活にも少しずつ変化が現れた。
まず、ストレスを溜め込んだ長男長女が、どんどん鋭いナイフのようになっていったなったため、エアビーでプール付きのファームハウスを探して週末ステイしてみた。旅行にも行けない、日本にも帰れない、お友達とも自由に遊べない、ならばせめて、近場で自由に遊べる場所に連れて行ってあげたい、思ったのだ。
はるるんにとっては実に久しぶりの外出だった。もちろん外は暑くてすぐに汗ばんでしまうのだけれど、風がハルの頬をなでるたび、鳥の鳴き声が聞こえるたび、なんともいえない嬉しそうな顔をしてハルは笑った。プールにはいると、極楽の表情で水に身を委ねた。きゃあきゃあとはしゃぐきょうだいたちの声を聞きながら、とんでくる水しぶきをあびて、目をパチクリした。
さらに、インドにきてから一番仲良くしていたファミリーに、先日、用事があって、少しの時間会うことができた。
実に5ヶ月ぶりに会ったそのファミリーの娘ちゃんは、以前から我が家のキッズと本当に仲良くしてくれていて、レンチビは「結婚したい」と常々言っている(結構年上のお姉さんのはずだけれど)し、長女はロックダウンで彼女と遊べなくなったことが一番の悲しみだと毎日のように嘆いていた。
彼女はハルのことも、それはそれは可愛がってくれていた。母である私ですら、彼女の可愛がりっぷりには完敗だ。我が家に遊びに来たときは、必ずハルのほっぺをつんつんして「はるるーん!」と声をかけ、ハルが笑うと、「きゃーかわいい!」と何度でも飛び上がって喜んだ。遊ぶときは、必ずハルをバギーごと連れて移動し、仲間に入れてくれた。ハルが一人になると「はるるん、ひとりじゃん!」とすぐに駆け寄ってくれるので、うちの長女はヤキモチを焼いてしまう。彼女はいつも、我が家のキッズにひっぱりだこだった。
そんな彼女が、5ヶ月ぶりにやってきて、おそるおそるハルに声をかけてくれた。
「はるるーん」
彼女の声を聞いたハルは、しっかりと笑ってみせた。
覚えていたのだ、かわいがってくれる大好きなお姉さんの声を。
嬉しかったのだ。彼女の声を久しぶりに聞けたことが。
「笑った!!はるちゃん、私のこと、覚えててくれたんだね!」
もちろん彼女も、とても喜んでくれた。
*
その日の夜、長女に変化が起きた。
普段は、ハルの世話を鬱陶しそうにすることも多いし、寝るときは普段ハルの世話ばかりしている父と母にここぞとばかりに甘えて思い切りへばりついてくる長女が、「はるるんの隣で寝たい!」と言い出したのだ。「だってはるるんはかわいいから!」長女は堂々と説明する。
就寝時、宣言どおり長女は「はるるん、わわいいね〜」と言いながらとんとんしてハルを寝かしつけ、自分もハルの横ですやすやと寝息を立て始めた。時折夜泣きをし、もはや赤ちゃんとは言えない体重で体を突っ張るハルの夜の世話を、長女に完全に任せるには無理があるけれど、その翌日も、長女はハルの隣で眠ると主張し、ハルにへばりつくように眠った。
そうして私は、この現象が以前もあったことを思い出した。
ロックダウン前、我が家のキッズにひっぱりだこの彼女が泊まりに来て、はるるんを可愛がり尽くして帰って行った後、長女は急に「はるるんにごはんをあげたい」と言い出したのだ。普段私達がハルにご飯をあげる様子を見ている長女は、エプロンを身に着け、ハルをバギーに座らせて、上手におやつをあげてくれた。ハルも心なしか嬉しそうだったし、実際、ロックダウンでヘルパーさんが出勤できず、余裕のなかった私はずいぶん助けられた。
これはいったい、どういうことだろう。
眼の前にいるきょうだいのハルが、大好きなお友達によって高く評価されると、自分(長女)の中での評価も引き上げられるという現象が起きているようだった。
そうして更に思い出した。もともと長女は、ハルのことがかわいくて仕方なかったのだ。はじめての自分の妹、NICUから出てくるのを心待ちにして、ハルが自宅にもどってきたら、毎日のように絵本を読み、座れないハルを座らせては並んでテレビをみたり、おやつをたべたりしていた。
「ハルが病気じゃなかったら、どんなことして遊んだかな?」
「はるるんが、歩いてるところ見てみたいなあ」
「ハルが喋れたら、私のことなんて呼ぶかな?」
「はるるんも一緒の学校いけたらいいのにね!」
そういう長女の言葉には、「こんなにかわいい妹なのに!」という愛のあふれる想いがいつも詰まっていたのだった。
「怖い」と言われたはるるん
ある日、ひょんなことで知り合ったインド在住日本人男子が、ひょんなことで我が家の長男とめちゃくちゃ打ち解けた。ふたりとも、デュエマ、コロコロ、宇宙が好き。すぐ怒る、片付けが苦手、褒められると調子いい、マイペース、という性格もそっくり。
怒りっぽくてすぐに癇癪をおこす長男の扱いについて悩んでいた私にとって、長男と同種の男子の存在に、なんとも救われた。そういう男子、他にもいるんだ。よかった、長男だけじゃなかった。
そんな彼の家族が、我が家に遊びに来てくれたことがあった。長男はたいそう嬉しそうに彼を迎え、しばらく遊んだ頃には、彼もだいぶ家に馴染んできたように見えた。私はお腹が空いたハルに、いつものようにダイニングテーブルでペースト食をあげていた。
彼は、すっかりくつろいでうちのソファに座っているのだと思っていた。だから、ふと立ち上がって、お母さんのもとにいき、困ったように小さな声で「怖い…」と囁いているのが聞こえた時、本当にびっくりした。
―やばい、自宅であることをいいことに、すっぴんでメガネだったのがよくなかったか。あ、いや、キチンとして見えるかと、良かれと思って着たブルーのシャツが、きつく見えてしまったかな。どうしよう、せっかく長男にできた気の合うお友達に、おばさん怖いと思わせてしまった・・・?
心の中であれこれ考えていると、どうやら怖いのは私ではないようだった。彼は、ハルのような障害を持った子を初めて見たらしく、ハルを怖い、と思ったようだった。
なんだ、と私は胸をなでおろした。怖いおばさんだと思われたわけじゃなくてよかった、と。
同時に、はっとした。ハルについて、こういう反応を(心の中で感じてたり思っている人はいたのかもしれないけど)真正面からもらったのは、初めてだった。
インドに来る前、南牧村に住んでいた頃は、ハルのことをみんなが生まれた直後から知っていたし、なんとなく赤ちゃんの延長みたい感じでかわいがってくれた。村の子たちは、「なんで歩けないの?」「なんで目が変なの?」「なんでずっとバギーなの?」と疑問に思ったことをどんどん聞いてくれて、それが心地よかったし、私は当然のように一つ一つ説明して、子どもたちは納得してくれていたような気がしていた。
インドに来てからも、「かわいい」とか「かわいそう」という反応が主流だった。特別支援学校では、いつもマシュマロのようなハルの肌を触りたい子どもや先生たちに、ハルはかわいがってもらっていた。ハルのことを知って、「神に祈るわ」と言ってくれるインド人もいた。アーユルベーダの何かを勧めてくれる人もた。
「かわいそう」とか「気の毒」という反応はあれど、「怖い」と思われることなど、このときまで、ただの一ミリも想像していなかった。それどころか私は、当然ハルは「かわいい」という反応をもらえる存在なのだとすっかり思い込んでいたところがあった。
でも、知らないことを怖いと思うのは当然だ。
ハルはもう、どこからどう見ても赤ちゃんではない。れっきとした女の子に成長し、にもかかわらず、いかつい車椅子に横たわり、意味のない発語をしたり、時折発作で体を緊張させたり、ご飯を食べながらむせ返る様子は、ある人にとっては未知のもので、恐怖を与えてしまうのは、理解できる。
「聞きたいことがったら何でも聞いてね」と、彼に話しかけたけれど、ちょっと硬くなってしまった彼は、お母さんにへばりついていて、私の言葉は耳に届きそうになかった。
ひたすら顔をうずめる彼に、お母さんも次第に困ってしまって、「どうやって説明したらいいかなあ」と言うので、私は長男に説明するように投げかけてみた。彼の心に響かせるためには、彼が気を許したお友達である長男からの説明がいいのではないかと思ったのだ。
「ほら、はるるんのこと、説明してあげて。」
私が言うと、漫画を読んでいた長男は顔をあげたけれど、ちょっと恥ずかしそうにしてから「忘れた」と言ってどこかに言ってしまった。
あ、逃げたな。
そう思った。
でも、ただ説明がめんどくさかったとか、そういうことではないということも、瞬間的に感じた。いつもなら、長男はハルのことを自慢するのだ。ハルのすべすべの肌を。ハルのくるくるの髪の毛を。ハルの小さな手を。可愛いでしょう、と自慢するのだ。僕が名前をつけたんだ、と。
オンラインで初めて先生と懇談したときも、自分から積極的にハルを引っ張ってきて、「ほら、これ、はるるん。病気で目が見えなくて、車椅子に乗ってます。」(かわいいでしょ)と喜々として紹介していた。
でも今、長男は、友達の反応を見て、逃げた。
今の長男にとって、ハルと自分の関係よりも、友達と自分の関係の方が重大事項で、友達との関係がこじれないように、最大限の防御をしたいと思ったのかもしれない。怖かったのだろう。自分の妹が、「かわいい」でも「かわいそう」でもなく、初めて「怖い」と言われて、しかもその相手が自分の気の合う友達で、友達を失ってしまうかもしれない恐怖を、無意識のうちに感じていたのかもしれない。
結果的に、お友達のお母さんと私で説明して、彼は落ち着きを取り戻してくれ、一緒にごはんをもりもり食べ、遊び、「またね」と手を降って帰っていった。「また遊びにきてね」というと、うん、と頷いていたけれど、彼がどのように「怖い」という気持ちに折り合いをつけたのか、あるいはまだつけられていないのか、私には分からない。わかっているのは、彼は我が家の長男にそっくりで、純粋で、とてもいい子だということだ。
この一件は、「かわいい」をくれる周りの一部の人の理解に甘えて、私がハルを理解してもらう努力を怠っていたことを、反省させられる事件だった。
普通と違うハルに、社会の中で暮らしていってほしいと願う以上、私達はちゃんと努力しなくちゃいけないのだ。ハルを知ってもらう努力。何ができて何ができないのか。何が好きで何が嫌いなのか。なぜ車椅子に乗っているのか。これまでどんなふうに生きてきたのか。これからどのように生きていきたいのか。ちゃんと丁寧に説明し、発信し、そして同時に、もっともっとハルは、社会の中に出ていかなくちゃいけないのだ、と思った。
それは私達の責任であり、ハルが社会の中で暮らしていく上での義務かもしれない。
きょうだい児問題の、問題の本質は
「きょうだい児」という言葉がある。障害児のきょうだいを呼ぶ言葉で、両親が障害のある子の介護に時間を取られたり、そのせいで我慢することが多くなってしまうことで、きょうだい児が不満や心の歪みを抱えてしまうことが問題視される。「きょうだい児」で検索すればいろいろなメディアや論文が出てくるので、興味のある人は調べてみてほしい。
「きょうだい児が障害児のことを気にせず楽になるように」とか、「きょうだい児の負担を減らすために」とかいうトーンできょうだい児問題が語られるたび、納得する半面、どこかでチクリと心が痛んだ。うちの場合、そうしないと回らないというのもあって、長男や長女にハルのケアを全面的に手伝わせている。家族が困っている時、助け合うのは当たり前だと思う。長男も長女もレンチビも、ハルのことを好きでいてほしい。そう願う自分が、間違っているしダメな親だと責められているような気になったからだ。
きょうだい児の問題に関心を寄せている方が、障害のあるきょうだいのことを憎いと思って、「死んじゃえばいいと思った」とか「ゴミ箱に捨ててしまえばいいと思った」と正直な気持ちを吐露したことを、称賛している記事を目にしたことがある。自分の素直な気持ちを吐き出すことは大事だ、と。
ーそうなのだろうか。
私は、その記事を読んだ時、ハルを邪魔者みたいに言われているような気がして悲しかった。もちろんハルは、大変なことも手がかかることもたくさんあるけれど、ハルのことを他のきょうだいが「捨ててしまえばいい」と本心で思っていたとしたら、とても切ない。だって、それぞれの子にはそれぞれ別の大変さがちゃんとあって、ハルだけが大変なわけじゃない。少なくとも4人の我が子は、どの子も皆、大変だ。
一般的に、きょうだい児問題を語る場合、きょうだい児同志の交流を促すピアサポートや地域社会の支援といった話もあるが、もっとも多いのは、親の接し方についての議論だと思う。親がいかに障害児以外の子どもに向き合う時間をとったり、孤立感を与えないような努力をしているか、とかいうことだ。そういう意識は実際大切だろうと私も思う。
しかし今回、大好きなお友達に、めちゃくちゃに可愛がられるハルを見て、自分もハルをもっと可愛がりたい、と思った長女や、気の合う新しい友だちに、「怖い」と言われて、ハルを紹介するのを躊躇した長男を見ていて思ったのは、大事なのは、親の接し方よりも(もちろんそれも大事)、大変さを分かち合う相手よりも(たぶんそれも大事)、自分が属する「社会」や「コミュニティ」の中で、障害児のきょうだいがどう受け入れられているか、なのではないかということ。
そもそも我が家の場合、ハルを出産してまもなく、私の不安を消し飛ばしてくれたのは、他でもない、長男と長女が全身で表現してくれた「ハルちゃん、かわいい―!!!」という純粋な気持ちだったし、ハルを心底愛おしそうに抱きしめてくれた夫の大きな温かさだった。
なんだ、そうか、と思った。ハルはかわいいと思った私は、間違ってないんだ。かわいがっていいんだ。夫も、子どもたちも、こんなに純粋に可愛いと思っているなら、ハルは大丈夫だろう、私は大丈夫だろう、私達の家族は大丈夫だろう、と思った。
その純粋な気持ちを、いかに周囲に歪められることなく維持していけるか。危機が訪れるのは、家族の外の、でも家族と地続きの、社会の評価を知った時なのかもしれない。
その時、障害児が社会の中にごく普通に受け入れられていて、きょうだいにとって身近なコミュニティにおいて、ノーマルに、あるいはポジティブに評価されていれば、それだけできょうだい児の心は救われるのではないか。
かわいいと思っていいんだ
一緒にでかけていいんだ
自慢していいんだ
だって、きょうだいだもん。可愛いと思って当然だし、ヤキモチをやいたり喧嘩するのだって当然だ。それは、ハルについても、長男についても、長女についても、レンチビについても、みんな一緒じゃないのか。どんな子どもだってトラブルがないことなんてありえないし、どんなきょうだいだって「きょうだい児」になりうる。
ハルができないことは、他の家族でサポートするし、同じように長男ができないことは、他の家族でサポートする。ハルが必要なことを大事にしてあげるのと同じように、長女がやりたいことを最大限やらせてあげる。
家族でやりたいと思うことは、なんでもトライする。ハルと一緒に飛行機に乗って綺麗な海もいったし、みんなで飯盛山も登ったし、突然思い立って伊豆までドライブもした。我が家で叶えてあげられないことは、誰か別の人を頼ることもできる。長男は大学時代の友人と1年生にしてカンボジアに旅立ったし、長女は友達のご家庭にお世話になって登山やディズニーランドにでかけた。インドに引っ越してきたときは、身内のヘルプに加えて、それまで会ったこともなかった女子大生にヘルプを頼んだ。
そのかわりといってはなんだけれども、ハルが必要に応じて病院に入院するのも許してもらい(ハルと私が入院しているときにパパとキッズでタイに旅立ったこともあった)、ハルが毎日ごはんを食べるのに時間がかかってしまうのも許してもらう。でもそれは、長男が盲腸になって入院した時だって同じことだ。
障害があろうがなかろうが、病気になろうがなるまいが、家族だから。お互いに必要なときに支え合ってほしいと、私はやっぱり願ってしまう。
そして願わくは、社会の中でも、その延長のように理解し合えたらいい。結果的には社会の中で理解されることが、家庭の中での安心した愛情にかえってくるし、社会の中で理解されれば、家族やきょうだいだけではなくて、もっとたくさんの人に、ハルは支えてもらえると思う。
そして逆説的だけれど、ハルの社会の中での理解を形作る上で重要なのは、いかに家族が彼女の存在を、社会の中でプレゼンテーションしているか、なのかもしれない。
ちょっと今回のポストはややこしかったかもしれないけれど、いいたいことは、この3つ。
①ハルのきょうだいたちがハルを愛する気持ちは当たり前で自然なこと。
②ハルが社会の中でも愛されることが、ハルのきょうだいたちの心を救うということ。
③ハルが社会の中で愛されるためには、私達が、どんどんハルを連れ出し、ハルを社会に知ってもらう努力をすること。
だから、はるるん、コロナに甘んじて、家に引きこもって無刺激な生活を送っている場合じゃない、かもしれない。もっといろんな人に出会って、いろんな言葉を聞いて、いろんな場所にでていかなくては。
きょうだい児問題は、障害のある子からきょうだいを遠ざけるのではなくて、障害のある子をもっと社会に近づけることで、ああたかな解決が待っていると、私は思う。