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息子と日本旅 : 岩手編 不思議な愛に溢れる賢治の里
東京を夜22:30に出発し、夜行バスにのった私たちが向かったのは、岩手県。
前回の記事でご紹介した今泉さんの故郷に向かい、実に25年ぶりに今泉さんのお父さんとお母さんに会いにいくのが主な目的だ。
花巻と賢治
花巻駅に到着したのは朝、7:15。カーテンを開けて息子は雄叫びを上げた。
やったー雪だ!2年ぶりの雪だ!
・・・しかし、あまりの寒さと空腹にすぐに顔が引きつる息子。
こんな早朝にもかかわらず、暖かい色の灯りが灯ったオシャレなパン屋さんを駅前で発見すると、私も息子もふらふらと吸い寄せられてパンを買い、事前に連絡しておいた近くのゲストハウスmeinn で朝食休憩を取った。パン屋のイケメンおしゃれ店員さんも、meinn のスタッフさんもあたたかく対応してくれ、冷たい雪の中なのにたっぷりの温もりをもらって、今日からの岩手滞在が、もう既にとても素敵なものになる気がした。
10:00に花巻駅で今泉のお母さんと待ち合わせをした。雪が降っていたので無理をしないようにと何度かご自宅に電話したのだけれどつながらず、待ち合わせにはお母さんと、お母さんの弟のじゅんちゃんおじさんが一緒に迎えに来てくれていた。
久しぶりにお会いしたたぬきのお母さんは、相変わらず優しげな目をしていて、でもしゃんと地に足をついて生きている感じがした。なんとも言えないズーズー弁が、お母さんのあったかい心をそのまんま表現しているようで、もうたまらなくて、ほんの数秒で私も息子もリラックスして車の中で眠くなってしまった。
じゅんちゃんおじさんの運転で訪れた賢治記念館では、息子は鉱石の説明にひたすら耳を傾け、童話の朗読をじっと書き、そして意外にも(?)詩を記していた賢治の手帳や原稿用紙に興味津々だった。
宇宙、農業、土壌に鉱石、そして童話や詩、あらゆる分野に興味をもった賢治にも、雪が降る静かな雰囲気のこの街にも、息子はどうやら親しみを覚えたようだ。
記念館をじっくり見て回る息子を、たぬきの母さんも、じゅちゃんおじさんも、「いい子だね〜」「かわいいね〜」「賢い子だね〜」とずっとニコニコと眺めていた。
普段、自宅ではあまり褒められることもなく、両親は下の子たちのお世話にかまけてあまり相手をしないので、息子は頬を赤らめてあからさまに嬉しそうにしていた。
山猫軒でお昼を食べようと向かうと、「わー食べられちゃうかもね!」と興奮気味、この後に寄った童話村でも広い敷地を無邪気に駆け回り、雪の中をはしゃいで回る姿に、たぬき母さんもじゅんちゃんおじさんも大喜び。こんなふうに褒められ、認められ、安心すると、素直にいろんなことを楽しめるのだな、と母は内心ずっと反省していた。
息子に、宜子さんの研究室にもあった賢治こけしをつくるところを見せてあげたいなあ、と思ったけれど、25年前に目の前で黙々と木を削って賢治こけしを作り上げていた煤孫さんは、もうだいぶ高齢で今はお店には出ておらず、後継者もいないのだとか。子供からお年寄りまで、みんなが賢治を愛するこの街の、確固たる道標のようなものが一つ消えてしまうような気がしてなんだか切ない。
江釣子のおうちへ
一通り賢治ゆかりの地を案内してもらうと、江釣子のじゅんちゃんおじさんの家にお邪魔した。居間にあった広いこたつに、嬉しそうにペロンと入り込んだ息子…
こんなことですら、「子供がぺろんとこたつに入ってるのを見るのはなんとも言えない、いいねぇ」と褒められる。
ゆきちゃんおばさん(じゅんちゃんおじさんの奥さん)が、きりせんしょ、というこの地域の手作りのおやつをこしらえて待っていてくれた。私の故郷では、やしょうま、というのを春になると作ったけれど、やしょうまよりもちょっと塩気があって柔らかくて、なんとも言えない滋味あふれる味わい。
いただきながらお話をすると、私も9歳の時にこのお家にお邪魔したこともあるし、今泉のお家でじゅんちゃんおじさんの息子さんや娘さんたちと私は一緒にご飯を食べたのだとか。当時、9歳の女の子が遠くから来たぞ、ということで、いとこや親戚がみんな集まってきたのだそうだ。初耳だけれど、たしかに沢山の人が賑やかに集まる仲良しな家族なんだなあ、と思った記憶がある。
じゅんちゃんおじさんの息子さんは、花巻東高校野球部の監督で、大谷翔平を育てた名監督なんだとか。野球に詳しくない私たちは、へー、と聞いていたけれど、佐々木洋監督、という有名な人らしい。
下の娘さんはデンマークに住んで料理に携わり、旦那さんはnomaという世界的に有名なレストランで、働いているらしい。このあやちゃん、という名前は私、かすかに記憶にあるのだ。宜子さんと、宜子さんの弟さんのせいろうさんと、あやちゃんと、あやちゃんとお兄さんと、とうもろこしを食べて大笑いをしたような。あやちゃんは、キリッとしてて色白で綺麗な人だなあ、と思った。
上の娘さんは、12年前インド人のローハンと結婚して京都に住んでいるのだとか。なんとまあびっくりな国際ファミリー。これはもう、京都にローハンファミリーに会いに行くしかないじゃないか、と思って息子に提案したのだけれど、会計係の息子は「遠いから高いでしょ」渋りぎみ。今回ダメでもきっといつかお会いしたみたい、ローハンファミリー。
じゅんちゃんおじさんとゆきちゃんおばさんが育てた立派な野菜や果物や、手作りの美味しいおかずもたーんといただいて、江釣子のお家を後にすると、たぬきお母さんは、江釣子のおうちのゆきちゃんおばさんもじゅんちゃんおじさんも、心の底から信頼しあっていて、感謝しているのだと、目に涙を浮かべていた。そんなふうに素直に親戚同士で感謝しあえる関係っていいなあ、と思った。
水沢のあざらし父さん
夕方水沢のおうちに着くと、間も無くしてあざらし父さんが透析を終えて病院から戻った。沢山病気もあるし、耳もよく聞こえないし目もよく見えないのよ、とお母さんから聞いていたけれど、久しぶりにお会いしたお父さんはやっぱりあざらしのようで、静かでやさしいお父さんだった。
食事に関してはカリウムも水分も制限があるし、透析にも週に3回通っているけれど、大好きな人だから、ずーっと一緒に楽しく生きたいでしょう、とお母さんはさらりと言って、私は思わず心がギュッとなってしまった。80歳になっても、私は夫を「大好きな人だから」とまっすぐに言えるだろうか…いや、きっと言っていたいな。たぬきお母さんの「大好きな人だから」を今日ここで聞いておいて良かったな。
夕食はみんなで手巻き寿司の準備をして、たぬきお母さん手作りの芋煮汁と、ゆきちゃんおばさんが持たせてくれたおかずをつつきながら久しぶりのお刺身や豚肉にわーきゃー言いながら美味しく食べた。食べた後には息子の提案でトランプゲームをして、たぬきお母さんもあざらしお父さんも、みんなで大笑い。
江釣子のおうちでも水沢のおうちでも、そこら中に、不思議なくらい愛が溢れていて、まるで物語の中にいるようなふわふわした幸せな感覚になった。
水沢の医療
夜、息子もお父さんも寝静まって、たぬきお母さんといろんな話をした。夫が長野県の村の診療所で働いていた話をしたら、水沢の病院の話になった。救急で苦しくて病院に行ったのに、見にも来てくれず、話も聞かずに「診るまでもない」と門前払いされた話、毎回受信の度に、2時間も3時間も待ってようやく受診をしている話、看護師さんやお医者さんが忙しすぎて、なかなか聞きたいことが聞けない話。
私は佐久の地域で、訪問診療をして、看護師さんや基幹病院と連携している地域医療を当たり前のように見ていたから、それがスタンダードなのかなと思っていたけれど、そんなことはないのだ、と思い知った。
「昔は往診をしてくれて、ゆっくり話を聞いてくれるかかりつけのお医者さんがいたっけのにねえ。せめて、話を聞いて、頑張ったねお父さんって声をかけてくれたら、気持ちも違うのにねえ」と残念そうな顔をしていたお母さんの表情が忘れられない。
インドカレーをごちそうする
翌日は一通り雪で遊んだあと、息子がリュックに詰め込んできたインドのダル(小さい豆)とスパイス、アタ(全粒粉)とチャパティを焼く鉄板で、お礼にカレーとチャパティを作ることにした。
江釣子からじゅんちゃんおじちゃんとゆきちゃんおばちゃんもやってきて、みんなで賑やかにカレーを作って食べた。
いい子だねえ、いい手付きだねえ、かわったものを作れるんだねえ、最後まで褒め倒されて、みんなでまたカードゲームをして、息子はすっかり舞い上がった。
「オレの子どもが9歳になったらまた来るからね、おばあちゃんたち元気でいてね」
愛にあふれる岩手は、やっぱり息子の心も掴んだようだ。
ありがとう、たぬきお母さん、アザラシ父さん、じゅんちゃんおじさん、ゆきちゃんおばちゃん。
きっとまた来ます。