私は謝辞を「読む」のをやめた 〜小学校卒業式謝辞全文公開〜
長男が小学校を卒業した。
年子の気の強い妹に、重心児で手がかかる下の妹、そして甘えん坊の次男。4きょうだいの一番上として、たくさんの複雑な思いを飲み込んできたであろう長男。
4年前、当時インドで通っていた学校に突如として絶対に行かないと言い出した長男。
その後母と息子の二人旅を経て、自分で自分の進む道を選択し、歩みだしたと思った途端、新型コロナによるロックダウンが始まり、切れるナイフと化した長男。
3年前、半年以上のロックダウン生活から逃げるように帰国した日本で、「ゲーム以外に生きる意味がわからない」と死んだ目をして言い放ち、何度も家出をした長男。
日本に腰を据えて小学校に通うことになり、少しずつ日常を取り戻していった長男は、1年もするとまるで別人のようになった。子供の成長は嬉しいばかりで泣かない方だったのだけれど、真剣な眼差しで組体操をしている姿をみた時、思わず視界がにじんだ。
修学旅行のときなんて、指折り数えて「バイキングで食べ放題の朝食が楽しみだ」と言っているのを笑いつつ、その様子にこっそり感動し、感慨深く見送った。
* * *
長男の卒業式で、謝辞を読むことになっていた。
親とコロナの都合で振り回された長男の学校生活と、26年前小学校を卒業した自分のことを振り返り、3分間で何をお話しようかと、決まった日からゆるゆると考えていた。
先が読めない時代を生きる世代に、何を伝えるのが誠実か。
小学校を卒業した頃の私は、大人に何と声をかけてほしかったか。
考えた結果、私は謝辞を「読む」のをやめた。
もちろん、何を話すかはちゃんと事前に準備していたのだけれど。キング牧師の名演説に憧れる私は、それをしたためた奉書は開かず、相手の顔を見てお話することに全力を注いだ。
卒業式が閉会した後、長男の友達が一人、私のもとにやってきた。
「お母さんのあいさつ、すごくよかったです」
彼がそう言ってくれたから、全てが報われた気がして、だから謝辞のために今週そわそわして仕事が手につかなかったことも含め、もう全部自分を許すことにした。(いや、本当、ごめんなさい。)
* * *
長男は、いつの間にか靴の大きさも身長も母より大きくなり、少しのこだわりを差し色に、穏やかでコミカルな少年に育った。
腐ったっていいし、悩んだっていい。
横道にそれてもいいし、夢が見つからなくてもいい。むしろそういう頭を抱えるような経験こそが、絶対に誰にも奪われることのない、自分だけの資産になる。腐った経験は、腐った経験がある人にしかわからないし、弱さは、弱さを知っている人にしかわからない。
なんだったら私は、腐ったし悩んだし横道にそれまくったし夢も迷子になった、フルコース。それでもこうして生きてきている。生きていることが、そこにいるということが、それだけでなんと大きなことよ。
これから新たな生活を始める全ての卒業生に。その一歩一歩がそのまま、自分の大切な資産になるから。
だから安心して卒業してくれ。そして安心して新しい経験を積んでくれ。知識はいくらあっても腐らない。自分が選び取ったものを信じる権利を大切に行使していってくれ。
ちなみに卒業式のあと、長男は「時限爆弾」と呼ばれてるとか。