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やりたいことばっかりをやるのは、なんで悪いことなの?

この記事ではやりたいことは、やる方がいいに全面肯定している立場です。

この理論には、やっぱり好きなことをやってる方が幸せの輪が広がる説が有力だと思う。

苦労して重りを背負うのって無意味やん。
私は人よりも力持ちに生まれたんで、他人と平等になるために重りをつけて生活してます。
    思考の参考に→岡田斗司夫さんによるハンディギャップ主義の話_Youtube

例えば天才的な料理人に役所の書類仕事をやらせてても無駄な感じがするように、
好きを極めてこそ多様性がある人間社会は繁栄するのではないだろうか。
そしてその極めた能力を人のために使える応用ができると幸せな人が増えます。
  
 
好きなことやると幸せの輪が広がる説

もしあなたがしんどい我慢ばっかりなことをしている時、疲れたが口癖になり、周りに愚痴ばっかりこぼすかもしれません。
もしあなたが我慢せず好きに楽しく生きてたら、あなたは笑顔で半径5mくらいの人をハッピーにできます。家族や友人、行きつけのカフェの店員さんとかもね!
そしてあなたから笑顔をもらった人は、その人の半径5mくらいの人にハッピーな気分を広げてくれる。
そしたらあなたの7.5mくらいは幸せが広がるという不思議な複利効果が発生してるんです! 
 
みんな暗い顔で過ごすと、それはすなわちゼロで、誰にもプラスにならない。
でももしあなたが好きなことをして笑顔で過ごせるとあなたの半径7.5mくらいは笑顔にできます。
ゼロよりハッピーを生み出す方がいいと思えてきませんか??
ゼロでも生活には問題ないし、現状維持はできる。
どっちを選択するかは、あなた次第です。
好きなことをするのは、無意味なことに思えても、私はやる価値はあると思います。
ゼロで生きてるより、少し幸せを生み出してる方が有意義に感じるからです


私は皿洗いが苦手ですが、洗濯は大好きです。
一方世界には洗濯が苦手で、でも皿洗いが苦ではない人もいます。
個人で頑張ろうとすると全部やるか、家電を買うために稼ぎまくるために頑張る手段を取らないといけなくなります。
でも二人が協力したら、
仕事量は得意なものが2倍作業量がくるけど、
得意だから作業時間は1、5倍くらいで済むかもしれない。
そして人の2倍くらい時間がかかる苦手なことはやらなくて良くなる。
なんていい世界なんだろう!



ちょっとずつ自由に慣れよう

まあ、私も思考の移行途中なので、昔みたいに無価値観で落ち込んだり、
行動に移す腰が重かったりする時もあります。
でも今まで通りより、ちょっとずつ自由に慣れるよう、今は訓練中な感じです。

まあグダグダ言ってますが、要は頭では好きなことに集中する方がいいのはわかってるけど、まだ染み込んでない感じ。

昔からやってきた、マルチに何でもできるように、
全部平均点以上を叩き出そうとしてる感じ。

確かに受験とかだと満遍なく点数を取れていないと不利だったのかもしれない。
いくら英語を極めても100点以上はくれないし、苦手な数学に足を引っ張られるので全体の底上げをする方が強い戦略だったのかもしれない。

でも社会と学校のゲームルールはちょっと違う。
学校だと総合評価
社会だと個別評価

100点以上も評価される世界があります。
英語を200点でも300点でも頑張れば、できるようになればなるほど
社会に貢献できる、評価がされる。
専門性がある仕事人として。
でも学校ルールのままだと器用貧乏のデメリットを食らってしまうかもしれない。
 

今まであなたは、苦手克服にファーカスするのが正解の戦略で戦ってきたのかもしれない。
でもこれからは、得意伸張にフォーカスする方がちょっと生きやすくなるかも。
やりたいことばかりやる奴を批判する人はもう古い人。その人は毎日我慢することばっかりを自分に強要しているから余裕がないのです。

そのジレンマに気づけたあなたから世界を変えてみてほしい。
自分のやりたいことに集中する勇気を持って欲しい。
せっかくやりたいことがあるんだったら、やらなきゃ損よ!
それを思いつけるのはあなただけ、その経験から得られる学びは自分のものだけ。
人生は一度きり、未来なんていつでも変わる。
見えない未来を怖がらないで、
たぶん新しい道を開拓しようとしているだけだから。



やりたいことをせっかく見つけたなら、やらない方が勿体無い!

やりたいことをやるのは悪いことではない!
やりたいことをやっている方がいいこと。
今やりたいことに集中するといろんな経験の点ができていく。
今は点ばっかりで、何も絵が見えないかもしれないけど、
いつか線で繋がることもあるかもしれない。

人生の中で無駄なものは何もない
でもせっかくなら心地いい方の点を増やす方が今はより楽しいんじゃないかな


獣道の開拓は少し怖いかもしれない
楽しいけどいつも楽とは限らない
学ばないといけない時も来ます
それでもその道を開拓し続けた先は、きっとどこかにたどり着けると思うんだ。

その道中で先人の仲間と出会えるかもしれない。
その道の先の景色を観れるのは自分だけ、人の旅の写真をみせてもらうことはできるけれど、実際にその場に行って感じれるのは自分の目だけ。


行きたくない方に片足突っ込む必要もなくて
好きな方に集中してく方が道の開拓はスムーズにいくんじゃないかな〜

▼ところで、「やりたいことやるのはいけないことなのだ」というのは、一体誰の目を気にしているのでしょうか?

 親?世間?友達?パートナー?

 僕が思うに、「やりたいことをやっていない人」の目です。

「やりたいことをやるのはいけないことだ」と思っていませんか?~「本当の仕事」(榎本英剛さん著)を読んで③~より

そういえば、やりたいけど怖い方を選択するのは結構面白いという話がある。
怖い方を選ぶといつも快適なゾーンの外の景色が観れるから。

そうした選択を積み重ねると
世界は広がってくんじゃないかなー!



ちなみに

この記事の考え方、すごく好きでした。

やりたいことをやる=バチが当たるは異常!⚠️
それは思い込みかも

もっと世界を現実を観察してみて
我慢して自分が得することってほぼないんじゃないかな〜

まあ知らん誰かが得してることはあるかもしれないけどね、
あなたが都合の良い奴隷の歯車でもいいなら現状維持をどうぞ


あと
「あなたのため」「あなたの将来を心配して」アドバイスをしてくる奴もいる。
でもそれは相手の勝手な最悪未来予想図の妄想であることが多い。
心配だから無意識にあなたに足枷をはめて、
あなたを自分の不安解消の道具にしている人もいる。

そういう人は親切や優しさからの行動と自分で思ってるからちょっと厄介かも。
そのアドバイスは本当にあなたのためになるのか。
夢に挑戦せずぬくぬく生きる方が本当にいいのか。
一生巣から飛び出さないツバメでもいいのか。



最後まで一緒に考えてくれてありがとう!!
では、今日はここまで!


好きなことをやると初めて感謝という気持ちが湧いてくる。
私は綺麗な絵とか美味しいカクテルを愛してやまないが、
自分の人生はその技術を極めるより、他に使いたい。
時間は有限だから。
そして綺麗な絵が欲しくなったら、絵を極めてる人に頼んだり、マスターにカクテルを任せたりしたい。
その人の技術で私にちょっぴり幸せを分けてもらう。
そして自分は違うもので人のお手伝いができるようになりたいな〜
適材適所、人にお願いできるものは外注化する!

サポートしていただける発信ができるよう、頑張っていきたいと思います。