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毎日だらだら生きたい vs 生産性・稼げ主義

”稼いでいない” に猛烈に付きまとう謎の罪悪感に向き合った私の備忘録

正社員もフルタイムも無縁の経歴を辿ることになってしまった。
恵まれてるはずなのに、息苦しかった
から解放されるまでの話です。

私の経歴:レールから外れまくってしまった
パンデミック直撃世代の大卒ニート
→週3のバイト限界すぎて
→パートタイム20時間以下に転職


お金と”謎の”罪悪感

お金に罪悪感がない人は、あまりお金に沼っていない気がします。
あなたの沼るポイントはどこですか?
下記の3つはほんの一例です。
沼ってる人は、他の手段を認められないか、知らないから謎の思い込みに囚われてるだけ。


使う時のブレーキが効きすぎる罪悪感

受け取り拒否してる感じはありそう。
自分のお金とか、相手が頑張ったお金とか、
うーん、相手から奪ってる感覚がして息苦しくなる?いい子のふり?

罪悪感があるなあ、と思ったときにお勧めの対処方法は「感謝」を自分に与えてあげることです。
「こんなことに6万も使って申し訳ないなあ」と思ってしまうのは心の反応です。
 
そう罪悪感を感じた後に、「ああ、リトリートだかなんだか訳のわからんものに6万円も投資できる今の生活はありがたいなあ。それだけ稼いでくれる旦那さんにも感謝だなあ。それだけの価値を自分に見ている自分自身もすごいなあ」という風に、感謝や愛を自分に与えていくんですね。
 
「罪悪感を感じる→気付いたら愛と感謝を送る」
 
このパターンを習慣化できたら、罪悪感と感謝・愛が繋がってきますから、ものすごく楽になります。
反応なんで、それを否定したところでしょうがないんですね。

お金を使うときに感じる罪悪感をなくすには?
|根本裕幸オフィシャルブログ より要約引用

たしかに、
感謝目線で探すと世界は結構ハッピーに回ってます。
反応は気分の浮き沈みや天気のようなもの。

世界を悲劇として見ようとしていたのは自分だけなのかも。
親と夫からもらうのに、
ずっこくしんどいこと、申し訳ないことと思いながらも、
パートだけじゃ満足に生きるには足りなくて、
自己肯定感ちょい下げながら恵んでもらってる感覚がずっと真綿のように苦しかった。
 
この自罰感については後半で少し解きほぐしていきます。


儲かることに罪悪感

これは、
適正価格の大切さと、
相手から奪ってるんじゃなく、
大きい循環の中にいる思考があれば大丈夫。
 
自信が少し足りないくらいから背伸びチャレンジしても大丈夫かも
お客さんからもらうこと=奪う だと
そりゃ息苦しいわ。
でも自分が何か推しのものを買う時って奪われたって気持ちあんまりなくないですか?
むしろハッピー増えたことの方が多くなかったですか。
逆に大好きな作家さんとかが自分を安売りしてるのをみるほうが、悲しい気分になっちゃいません?



稼いでいない罪悪感

なぜ稼いでいない”大人”は役立たずと自罰思考になるのか?

有償労働と無償労働の価値

外で働いている男は威張れて、専業主婦は謎遠慮を発動しないといけないみたいな?
でも、女性の社会進出がこんなに増えたのに、家事や育児の皺寄せはなんか女の子たちにやんわり無言でのしかかる。
なぜ稼いでいる方は家事を丸投げしても許されるのに、
育児はキャリア形成の障害物みたいに絶望しちゃうのか。

有償労働の方が価値があるみたいな?
本当にそうだろうか。
たしかに、納税してる方が社会としては潤うけど、
無償労働の価値って当たり前すぎて感謝心すら忘れちゃうよね。

お金稼いでいる=すごい
お金を稼いでない自分=生きてる価値なし

そう思うなら、
稼いでいるを神格化しすぎているかも知れない。
それ以外の人としての魅力とか存在で貢献している部分をはあるはず。
愛玩でもいいじゃない。
かわいいだけでいいの。
生きてるだけで多分誰かの生きる元気になれてると思うな。

「仕事」には価値があり、「趣味」には価値がない、という思い込みがあるんです。
「働いている人」には価値があり、「働いていない人」には価値がない、と言ってもいいです。
 
「お金を稼ぐことに価値があり、稼がない自分には価値ない」という思い込みを捨ててもいいですか?
その思い込みを「お金を稼いでいても、稼いでいなくても価値は変わらない」という風に変えちゃってもいいですか?
「頑張らずに、楽しみながら稼いでも良い!」って変わってもいいですか?

お金を稼いでいない自分に猛烈な焦りを感じ苦しくなります。
|根本裕幸オフィシャルブログ より要約引用



私の稼いでない罪悪感の裏は、
自立してなくてごめんなさい

〇思い込みの手放し方、その4
「なぜ、稼いでいない自分をダメだと思うのか?」という思い込みを掘り下げます。
 
なぜ、そう思うようになったのか?
誰の影響が大きいのか?
同じ考え方の人は周りにいたのか?
そこから浮かんで来た人たちを許し、手放していきます。

お金を稼いでいない自分に猛烈な焦りを感じ苦しくなります。
|根本裕幸オフィシャルブログ より要約引用

私が自分で掘り下げた結果はこんな感じ↓

なぜ?
母の愚痴を聞いたから??
仕事しんどい(稼ぐの大変)なのに、贅沢するお金はないみたいな?父の無駄遣いとか?
→そんなに大変なのに私に使ってもらうの申し訳ないってしんどかった。
だから夫も稼ぐのしんどいことしてるのに、私のせいでお金使ってもらうのもうしわけなくてしんどい。
自立できてなくてごめんって感じ

あと正社員宗教の環境、(大卒の知り合いはみんな当たり前に就職してます)
→なのにそのレールから落ちてるのに比較が止まらない
→でも恋は人それぞれって思うのに、この劣等感は何?
→なんかね、自立できてなくてごめんって感じがすごい。
別に正社員じゃなくても、独立して初任給くれいかせげてたら満足しそうなラインはあるの感じた。
独立して20万くらい稼いだら一人前で安心しそうな気がした。

あと年金とか支払い義務できてなくてダメ人間すぎる感じ、出来損ないでごめんなさい(ニートにはしんどすぎる義務)



自立できなくてごめん。

でも来世はペットに生まれ変わってのんびり可愛がられたい原石を思い出した。
ただ飼い主とのんびり、最大限に甘えて、受け入れてくれる心地よさに魅力を感じてる。

多分この時点で自立とかって言葉にあまり向いてないのは察していただけると思う。
でも、自立を”頑張らなきゃ”と人生の義務目標にしてたから、永遠しんどかったのよな。


多分昔から自立をやりすぎてきたんだ

最近の私の大発見。
恋愛依存の人は、自立してはいけない💜
 
ある特定の対象に、あんなに寄りかかりたくなるのは
そこに至るまでに
『過度に自立』してきたから、なのよ。
自立、やりすぎたの。
 
過自立は、楽しくない。
だし苦しい。
だって、自分のキャパオーバーのこと、やってるから。
 
いいかい?
『はぁー、寂しいな』
『なんか心もとないな』
=過自立である証、
なんですよ。

きっと貴女は本当は彼氏が欲しいわけでもない、
まぁ欲しいは欲しいのだろうけど
そうじゃなくって
『どうせ誰かが助けてくれるから大丈夫💓』
って安心して眠りたいだけ。
その感覚が欲しいだけ、なんだよ。

だから
決して一人で生きるような自立はしちゃ、ダメ。

世界の中心で【コレ(秘)】を叫ぶ!|より要約引用


ニート心地よく過ごせるタイプは自立なんて考えちゃ苦しくなる

エネルギーが枯渇したニートは自立なんて考えちゃダメ。
まずは自分が穏やかに安心の中生活したいのだ、ということに気づくこと。

自立という幻想を達成したら、安心が手に入ると思うから渇望してるのかな?


罪悪感って、本当は愛だったのかも

あなたがそうやって自分を責めてしまうのは
それだけ愛があるから、なのです。
愛がなければ
私たちはそんなふうに自分に問いかけない。
 
『もっと私が相手を喜ばせられたのではないか?』
そうやって自分を責めるのは
愛深い人である、何よりの証拠です。

自己犠牲する必要はないのです。
自己犠牲とかそんなの関係なしに
『みんなの笑顔が見たい』と感じるのです。
それが愛です。それが罪悪感です。

祭りだ祭りだー!!夏の罪悪感祭り❤︎|より要約引用


自立したら、みんな喜んでくれると思ってたから私はみんなの笑顔のために頑張っていたのか?
みんなは、母とか親世代やパートナー?
でも自立できなくて死を選んでも喜んでくれるわけじゃない。はず。

そういえば、
人をこんなに愛する才能が自分にあったんだな。
知らなかった。
優しさは偽善的な自分だと思ってたけど。
多分本当はずっとずっと優しい子だったんだ。
ごめんね意地悪ばっかりずっと言ってて、
ありがとう、ずっと隣にいてくれて、どんな時も
 
人を愛する原石持ってるの知らなかった。
でも確かに、周りには優しい、面白い人がたくさんいて。ずっと優しいって教えてくれてたのにね。
もっと優しいまま生きていいのかな…

何がこんなに不安で安心できないのだろう?

不安があるのは信頼してないから?自分一人で頑張り過ぎようとしてる時かも
自立してないと嫌われる愛されないかもて不安?

過剰に頑張ってきた人ほど辻褄が合うように、逆に親が過保護を発動したりするかも。それも愛だったんだな。

しっかりしてるねって中学生の頃から言われるけど、
それは多分小学生の時、そんくらい必死に先を考えて行動しないと後の自分がこまる環境なせいもあったと思う。

助けてって言っても、自分でやらないとどうしようもなかった。しんどかったな。


優しさで甘々な世界を望みます!!

なんか自立って義務をサボってはいけない思い込みはあったかも。

誰が決めたルールでもないけど、世間から無意識に刷り込まれた物な気がする。

自立したいだとどう?
ニュアンス。
どんな風に自立したいの?

年金とか将来のための準備が余裕でできて、
節約情報を追わなくてものびのびお金を支払えて、
したいこと欲しいものはすぐ手に入れれて、
楽しくのんびり自分の体調を大事にしてても
お金を当たり前に受け取れる感じ?

だからご飯作りたくない時は遠慮なく違う手段を取るし、
洗濯機はもっと楽な乾燥機洗剤要らずを使える環境を作れちゃうし、
エアコンもお風呂も気持ちよく享受できるし、

それをして、それをしてもいいって自分に許しちゃう。
もう責めない。

食器洗いもギトギトは食洗機に任せちゃうか泡スプレーを導入して洗ってもらっちゃうし。
ゲームのデイリー義務感も手放して、欲しくなったら課金しても全然いいよ。

お金のことをそんなに長時間悩まなくていいよー
本当はもっとシンプルで面白い物なんだよー
お金の悩み来年は半分に悩みを減らすを目指そうかなー


以上

毎日だらだら楽しむ日を少し増やそう。
自立したくなったら、また頑張ればいい。

今は、少しだけ、
この瞬間を味わおうかな

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