見出し画像

おじさんたちの感情労働

ぼんやりと、することがないので上長さんの電話を聞いている。

そういう座席だったことが何度かあった。
中には、こんなこと私が聞いていていいのか!? と思うような、機密事項も飛び交うような会話である。

だいたいは、すごく偉い部長さんとかGMさんとか、そう言った肩書の人たちで、だいたいは、たぶん父親と同じと言うには幾分気の毒なくらいの年齢のおじさんたちだ。

おじさんたちはお喋りをする。
派遣のおばちゃんたちが、手すきの時間ができた時に、お手洗いでお喋りするように。
いや、あれらよりは幾分に互いを思いやって、毒気の抜けたような穏やかなおしゃべりだ。
彼らは会社の内線を使ってお喋りをする。
だから毒気も抜けるのだろう。その会社では、内線の内容はすべて録音されていた。
そして、そう言った役職につけるような人は、だいたいが善人で、声も穏やかでよく通ることが多かった。
そんな声で、おじさんたちはお喋りをする。何もかも筒抜けなのでは、と思うけれど、会社でそんなことに気を払うほどに暇な人間はそう多くはない。
だから誰も聞いていないと思って、おじさんたちはお喋りをする。
私は黙って叩く必要もないキィを叩きながら、聞くともなしにそれを聞いている。
おじさんは最近の様子はどうかと伺い、先日はうちの誰それが失礼をした、と謝り、今後しばしの忙しさはどうと尋ね、今度飲みにでも行こうとお喋りをする。
最初は緊張していた雰囲気のあったよく通る声も、最後には柔らかく少し枯れて通りの悪い声になる。
電話の向こうから時折聞こえる音も、硬質なそれから、朗らかな笑い声に変わっていく。
そんな風に、おじさんたちはお喋りをする。

男の人、って感情労働は向かないって聞いていたけれど。
男の人の会話って、感情的なケアよりも論理的な解決方法が求められるというけれど。

彼らのこの会話が、感情労働でなかったら、いったいなんだと言うのだろう。

そんな風にお喋りをしながら、偉いおじさんたちは一日を過ごす。
暇なときは、私はそんな声をBGMにやり過ごす。
おじさんたちの感情の揺らぎに気づければ気づけるほど、穏やかでよい一日だと、私は思う。

いいなと思ったら応援しよう!