覚えていること
「8月31日」について記憶をたどりながら、他に覚えていることを書く。
小学校1年の8月31日。
俺はイギリス・ロンドンにいた。家族の転勤による転校だ。
夏休みが始まって間もなく、ロンドンへ移った。
ちなみに、転校先はロンドン日本人学校だ。「ロン日」と呼ぶこともある。
2002年8月31日当時の心境は…よくある緊張や不安だった気がする。
小学校1年の2学期を迎えて以降は、ケンカとかいろいろあったが、なんとかなった。
夏休みは家族と海外旅行に行ったこともあった。春休みは日本に一時帰国していたこともあった。
小学校5年。日本ではいじめによる自殺のニュースが多くあった。インターネット越しに知った。当時の伊吹文明文部科学相の名前で児童生徒に向けた文書が出ていた記憶がある。ロン日にも届いて、児童生徒に配られたような記憶がある。しかし、いじめに対する実感は持っていなかった。当時の自分はそれまでいじめを見聞きすることはなかった。
小学校5年。その年の『今年の漢字』は「命」だった。2006年だ。ロン日は創立30周年を迎えた。『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治、集英社)と同い年だ。
2006年の8月31日。逃げ出したいと思うほど学校が嫌になるという思いは持っていなかった。それほど落ち込んだ気分でもなかった。
日本へ本帰国したのは小学校5年の終わり。年度末だ。
小学校6年からはロン日へ転校する前の小学校に戻った。
1学期、同じクラスの人からのいじめにあった。理由は知らない。「帰国子女といじめ」について検索したこともあったが、理由は知らない。
休み時間に担任の先生と話す機会を重ねていたからか、担任の先生に相談して最終的に担任の先生が入って解決した、という記憶がある。
逃げよう、とは考えていなかった。解決しようと向き合っていたように思う。
ロンドンの頃の友人に相談しなかったのかというと、今みたいにメッセージツールで簡単に連絡が取れていたわけではない。本帰国前になんかメールアドレスこそ教えていたような記憶はある。それでも当時は先生への相談が1番だったと思う。
『子どもの人権110番』に電話したような記憶がある。何も掴めなかったけど、話したことが結果として良かったのかもしれない。
いじめを持ち越すことなく迎えた、小学校6年の夏休み。2007年8月31日。逃げ出したいと思うほど学校が嫌になるという思いは持っていなかった。それほど落ち込んだ気分でもなかった。
いじめた人に対して恨みや憎しみは持っていない。そんなものは何も生まないと思っている。許しているかどうかとはまた別だろう。
中学校の3年間も、逃げ出したいと思うほど学校が嫌になるという思いは持っていなかった。高校受験に向けて勉強していた頃も、逃げ出したいという思いはなかった。なんとかなった。疲れた時は机の上のパソコンでインターネットを見ていた。一見するとノートパソコンに見えるというデスクトップパソコンとして家に来た当時は斬新なデザインだったVAIO type Mだ。ロンドンにいた頃は共用パソコンだったが、後にパーソナルに切り替わった。
高校の3年間も、逃げ出したいと思うほど学校が嫌になるという思いは持たなかった。大学受験に向けて勉強していた頃も、逃げ出したいという思いはなかった。なんとかなった。疲れた時はスマホゲームを遊んだり机の上のVAIO type Mでインターネットを見ていた。
ここまで覚えていることを書いた。
ちなみに去年は、「8月31日の夜に」より「夏休み最後の夜に」の方が日付に左右されないか、と言っていた。
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