魔女。。。
朝日が肌を突き刺す。ぐっすりと寝ていたというのに、ヒリヒリと肌を焼く痛みで目が覚めた。カーテンが風に煽られ、ヒラヒラと舞っている。部屋の窓が開けっ放しで、恐らくメイドたちが開けてくれたのだろう。彼女らは私を起こしてくれたのだろうが、私には起こされた記憶はない。それほど疲れていて、二度寝をかましたに違いなかった。私を起こすように言われたメイドはこっぴどく怒られたであろう。申し訳ない。
身体を起こし、鏡の前にたった。ボサボサの髪の毛が目につく。手で触るとパサついた。こんな髪を毎日綺麗に整えてくれているのだから、メイドたちはすごい技量をもっている。自分でやっても、ただでさえボサボサの髪が水分を失ってバサバサになるだけであった。
「おはようございます。姫さま」
ガチャとドアを開ける音が聞こえ、メイド長が顔を出す。その表情は穏やかそのもので、怒るときのあの鬼の表情は何処にいったのやら。
「ええ、おはよう。起こしてくれたのに悪かったわ。随分眠かったみたいで」
上品さの欠片もない欠伸をしながら話した。メイド長は首を横に振り、愛想のよい笑みを絶やさずに言った。
「いいえ、トンデモございません。昨日は公務を午前中までなさって、午後からは街の視察。御夕食までにお戻りになるはずが、夜遅くまでなさっていたのですから。随分、それも随分お疲れであらせられたようで」
やっぱり訂正する。めちゃくちゃ怒っていた。
昨日。メイド長が言う通り、午前は公務、午後からは視察。その予定で順調に進んでいた。予定の乱れは全くなかった。途中までは。
なんやかんやで色々なことが起き、結局帰ったのは夕食の時間をとっくにすぎた頃。わざわざ城門を開けてもらうのは気が引けたため、こっそり裏口から入ったのだ。裏口を守る衛兵は私を見つけると、こっそりと中に入れてくれている。彼らとは親睦が深く、たまに街に遊びに行ったりしている。遊びに行くときだけは、身分は考えずただの友人として。
こっそり城内に戻ったは良かったが、部屋までは階段と廊下を通る必要があった。一番の難所は廊下。一本道であるから、誰かが来ても避けられない。タイミングと運を推し量らねばならなかった。
見回りのメイド長が通りすぎたのを確認し、階段を一段ずつ登っていく。階段を見張っている兵士は今は交代の時間で、持ち場を離れている。セキュリティの甘さを誰も指摘しないのが有り難かった。絨毯の上を足音をならさないように忍び足で。
半分を切った頃のこと。後ろで話し声がした。低い男性の声が二つ。聞き覚えしかない。父親と執事長であった。心臓がバクバクと音を立てて騒がしい。
「それで警備はどうなっている。皆の安全は保証されているのだろうな」
「勿論でございます。後で丨警察《ヤード》の方にも掛け合い、明日にでも状況を報告するように伝えて参ります」
足早に二人は歩いてくる。執事長は目敏い。どんなことでもきっちりしていないと気が済まない気性らしい。今の庶民と同じような格好を見られれば何を言われるか。想像したぢけでもゾッとする。
階段にいつまでもいるとバレるのは時間の問題であろう。無駄に長い階段を迅速且つ忍び足で登った。
「おや」
執事長がなにかに気付き足を止めた。立ち止まる執事長に父親が首をかしげ、執事長が見ている方を向く。そこにはいつも通りのだだっ広い光景が広がっていた。
「なにかあったか?」
特に異変を見つけられず、父親がまた首をかしげる。執事長はじっと階段を見つめていたものの、視線を書類に戻した。
「失礼しました。気のせいだったようです」
二人はまた足を進め、足音が遠のいていく。
二人が通りすぎた後、一方の階段では踊り場で像の後ろに隠れる姿があったとか。
なんとか二人をやり過ごし、安心して階段を登る。今度は邪魔をされることなく登りきり、廊下までたどり着くことができた。
「次は魔の廊下ね…」
壁にぴったりと引っ付いて、廊下の様子を伺う。見回りの明かりが遠くでユラユラと動いているのが見えた。この廊下のずっと先、突き当たりに部屋があり、見回りを躱すには通りすぎるのを待つしかない。しかし後退しようにも後ろは階段。また階段で通りすぎるのを待つのは目立ちすぎるだろう。
抜き足差し足忍び足。まるで盗っ人のように耳を澄ませ、あらゆる音に耳を傾ける。少しでも物音がたったものならすぐさま近くの扉へ駆け込む予定であった。
「今日は本当に疲れたわ。朝から、パーティーの準備をして昼からは姫さま探し…まあその分、姫探しを言い訳に遊べたんだけど」
「いいな。私も行きたかった!」
メイドたちが雑談をしながら、近くまで歩いてきた。手筈通りに焦ることなく部屋に滑り込み、扉をそっとしめる。物音はほとんどしていなかったと思う。メイドたちも物音について言及しておらず、相変わらず雑談を続けていた。
「それにしてもねぇ…街では宴をしているっていうじゃない。いいなぁ…私たちも参加できないかしら」
「無理よ、無理。姫さまがあの状態なのよ?しかも悪女とか呼ばれてるって聞いたことあるわ…そんな相手に頼めるわけないじゃない」
陰口を叩かれているのは以前から知っていた。恐らく前に売られた喧嘩を買ったのが原因で、嫌がらせはここ最近続いていた。メイド長がなんとかしてくれようとしているが、それも上手くいかない。
以前、気まぐれで参加したパーティーでとある令嬢が見事な喧嘩を売ってきた。彼女には婚約者がいるのだが、惚れっぽく飽きやすいらしい。それで何かにつけて周りに当たっていたそうだ。今回のターゲットとして白羽の矢がたったのが、全く表に出てこない王女だった。ワインをかけてこようとして、自分ですっ転び己の頭にかけたり、ドレスを台無しにしようとしてなぜか自分のドレスを切ったり、ものをぶつけようとして間違えた相手に当てたり。それはそれは見ているこちらが可哀想に思ってしまうほどであった。
だから一回ぐらい受けてあげれば気が済むのではないかと、一度だけわざわざ仕掛けやすいように相手に近づいて尚且つ言い逃れしないようにしてあげた。これで気が済むのだったら、万々歳。暫く平穏が訪れる。そう思っていた。
「わ、私の婚約者を奪っておいて…よくもいけしゃあしゃあと!」
「…え?」
この国では女も男と同じように働きもするし、発言力も持つ。国の中では男女平等。だからだろうか、嘘としか思えない彼女の言葉をなぜか皆信じた。
「ちがうわ。貴女だってご存じでしょう?私は今までパーティーに出て来なかった。つまりそんなきっかけもないのよ」
「いいえ。私の婚約者は貴女に惚れた、婚約破棄をしたいって申し込んできたのよ」
それは私の所為ではない。
すぐに否定しようとしたが、なぜか私が誘惑したのを見たという証言があちらこちらから聞こえ、いくら否定してもだれも聞く耳を持ってくれなかった。言論は令嬢を被害者、私を被疑者と定めてしまった。
それから続く嫌がらせのオンパレード。人と会わなかったパーティー以前よりも、さらに会わなくなってしまった。そのことを人伝に聞いているうちに噂に尾ひれがつき、いつの間にか悪女と言われる程までになった。
「姫さまって意外と優しいなんていう子もいるじゃない?だから、一度だけお願いしてみようかな。お祭りはあと数日は続くんだし」
「止めときなって。殺されるわよ…噂では逆らったヤツの首を城壁に飾って、訪問者に見せつけているんですって」
殺しもしないし、首をインテリアにする趣味もない。メイドたちは噂好きである。実際に見たことがなくとも、面白いと思ったらすぐにコミュニティで広めてしまう。どこが嘘でどこが本当か、話し始めた本人ですら分からなくなってしまうのだ。
ふとメイドたちに大きな影がさす。メイドの一人が顔を上げると鬼がいた。
「貴女たち…よっぽどおしゃべりがしたいみたいね。洗い物と洗濯、どちらでも好きな方に昇格させてあげる」
「い、いえ。こっちで大丈夫です!」
洗い物と洗濯。どちらも汚れが落ちにくく、冷たい水の所為で不人気。地獄とも称される仕事である。よっぽどの物好きでなければ、昇格したがらない。
仕事の鬼もといメイド長は、ため息をつきながら走り去るメイドたちの後ろ姿を見送る。そしてふと視線を此方に向けて、それはそれは静かな声で呼び掛ける。
「姫さま。外出は楽しかったですか?」
黙りを決め込んで、隠れていたが、メイド長は確信しているようで全く視線をずらそうとしない。
「まったく…本当に陛下に似ていますね。見つかっているのにやり過ごせると思っているところが」
メイド長はスタスタと歩いてきて、素早く首根っこをつかみあげた。
「ミコト姫さま。お帰りなさいませ」
その朗らかな声とは裏腹に、顔には青筋が浮かんでいた。オワタ。