まずは、あなたがしあわせであること
【まちはひとが作る】
11/17 goodmorning
私は変人ゆえに、大きなもの立派なものにまるで興味がなく、なので貧乏なのだとも思うが、だからまち歩き事業の仕事が続いているんだろうなとも思う。
まち歩きを始めると、必ず「まちづくり」という魔法にかかるひとがいる。市町村との付き合いが深くなるのが原因だ。
誰かのためにお役に立ちたいと思う善い人ほどその魔法にかかりやすい。
がしかし、まちはひとを救いはしないのだ。あなた自身がしあわせだと感じなければ、まちなど作れるはずがない。と、何度も話したけれど、まちづくりにのめり込み潰れたり傷ついて離れたりのひとたちを、たくさん見てきた。
漫遊帖を立ち上げた頃、ボランティアは無料が当然、お金をもらうなんてとんでもないという考えが蔓延していて、観光とは別の世界からやってきた私はびっくりした。
市町村の担当者は、そのぶん「やってやってるひとたち」のサンドバックで、どちらも、あんまりしあわせそうには見えなかった。
第2の人生の生きがい作りというのも失礼な話で、その世代のマンパワーだけに頼る構造は、立派すぎてついていけないという声もたくさんきいた。
まち歩きのガイドは、奇人変人であればあるほど面白い。万民にうけるまち歩きは、市町村が専門家にちゃんとお支払いをし、たくさん集めてやればよいことなのだ。
個人が請け負うものではない。
みんながみんな同じものを目指してはいないし好きなわけでもない。
歴史が好きなひとも、美味しいもの好きも、珍しいところに誘ってくれるのを待っている好奇心で動くひともいて、どこを膨らませるかはガイドの腕次第。
多度津を歩きながら思ったのは、ここは大志をもった男たちの街だが、それだけじゃない。
本音話はおばちゃんたちから聞いたし、おばちゃんたちは別の視点で、このまちに暮らすことに誇りをもっていた。
私のレポートをみて多度津ガールのみどりさんが小ネタを追記してくれ、いっちーやみどりさんが案内するよと言ってくれ、私はますます多度津が好きになる。
まちはひとが作るのだ。まちがひとを救うのではない。まずは、あなたがしあわせであることが大事。
てなことをつぶやきながら、朝の珈琲