226 と 血液銀行のことを読みながら
【226 と 血液】
2/26 goodmorning
226だね。
ウクライナの首相が「銃を持て、持てないものは献血をせよ」と叫ぶ姿を見て、人々は何を思ったのだろう。
銃後の守りが献血ならば、すでに無駄な流血をわかっての戦じゃないか…。
#226事件 については、多くの説があり、見る角度によって考えは様々ながら、
ベネッセの解説にあった、この一節は、説教くさいなどと思わず普遍であって欲しい。
「この事件が教えてくれるのは「排除では何も変わらない」ということ、暴力などによる政治の改変はいけないことだということです。
自分の思っていることや考えが伝わらないのは辛いことです。この時代の悲劇もありますが、自分の意見を聞いてくれない相手を排除したとしても、聞いてほしいところにその意見が伝わるわけではありません。一切聞く耳を持たなくなってしまう可能性もあります。」
https://benesse.jp/contents/history/ninirokujiken/
今日は、昭和26年日本に #血液銀行 ができた日でもある。
だが、血液を買い取るという方法は「売血」にも繋がり、売血するひとの多くは所得の低い肉体労働者で、赤血球数が回復しないうちに再び売血するので血液が黄色く見え黄色い血と呼ばれたり、
覚醒剤の注射針の使いまわしよるウイルス性肝炎の感染が広がったり、それが暴力団の資金源になっていたり…。
献血制度がいまのようになるまでは紆余曲折あり、1970年代になってからだと読むと、高度成長する日本の裏側の姿が見えてくる。
何につけても、献血された血液が決して戦のために使われてはいけない。
さて、今日は土曜日。