「ご飯が美味しい」という心理的ハードル
人と食事に行った時に一口目を食べて、
「美味しい!」
と言うことが出来ない。
人が言った後に続いて言うのはなんとかできる。
でも自分から言うのはやたら恥ずかしい。
なぜかがようやく言語化できました。
美味しさが予測できているから
「美味しい」と言うことが演技になってしまうからである。
例えば、初めて食べたものとか、
いつも食べているものより美味しいときは
驚きもあるので美味しい!と言える。
というか無意識的に出てる。
あとはめっちゃ食べたい!と思っていたものを食べて
これこれ〜!!美味しい〜!!となったときも出る。
でも「美味しい」という言葉は恥ずかしくて、
「うま!」とかでごまかしてしまう。うま、は短いからな。
で、例えばまぁこれかな、という気持ちでオムライスを注文して、
私が予想できている範囲の味のオムライスが出てきて、
それを一口食べたら脳内では美味しいな〜と思っていても
口には出ないのである。
現代の料理が美味しくなりすぎてるんですよきっと。
あと私の母は料理上手だったので、家の料理と比べて外食が
特別美味しい!というのをあまり感じてこなかったのも原因かと。
そのため美味しいと言おうと思うと意識的に言わないといけなくなり、
どのくらいのテンションで言うかとかを考えないといけない。
そして相手は大体違うものを食べていたりするので
自分にしか分からないはずの感情を伝えないといけない。
この辺が「なぜか恥ずかしい」の原因だったのかと。
今見ていた好きなYouTuberの方の動画で
一緒にご飯を食べて美味しいね、とニコッと言ってくる女の子が可愛い
という話が出ていて、まぁよく言われることですが、
私これ出来ないんだよな〜と思って考えていました。
いい歳で婚期を逃すわけにはいかないので、
何か対策を考えなくては。
やっぱりここはもう演技として割り切るしかない。
全く予想通りの味のものが出てきても「美味しい!」だ。
でも元気な感じで言うのは嘘感が強くなるかもしれないから、
まずは「おいしい〜」からだな。
これはたまに言ってる。人が言った後に同調するシステムで。
モテテク的な使い方をするにはまだぎこちなさすぎるので
まずは友人の前で美味しい〜だ。
次から実践していくぞ。
世の中にもっと恥ずかしいことなんていっぱいある。
勇気を出すんだ。
「美味しい」なんて世の中のほとんどの人間が言っている。
むしろ言わない方が恥ずかしいくらいだ。
美味しいと言えない方がマイノリティであると自覚して
当たり前のように他の人間に擬態して言うんだ。美味しいと。
見てろよ、この世の人間たちよ。俺様の「美味しい」を。
いつか自然にできるようになってやるからな。