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奈良公園の南のほう🦌写真美術館から天神社のほうへ
奈良市写真美術館で、9/1まで
「観仏三昧」
やってるんですよね。
気になっていたものを、先日ようやく行ってきました。
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工藤利三郎(くどうりさぶろう)
入江泰吉(いりえたいきち)
永野太造(ながのたぞう)
という古美術写真や仏像写真を撮り続け、「みほとけの美」を引き出し、広く世に知らしめた人たちの作品展。
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館内は、作品の撮影は禁止ですが、キャプションや全体の展覧会の雰囲気、ロビーなどの撮影は可能。
こちらの記事はポスターとかフライヤーとかから持ってきてます。
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寺院や美術館、博物館によって仏像の撮影の可不可は分かれますし
信仰の対象に軽いノリでカメラを向けてもらいたくない、レンズ越しに拝んでもらいたくない、という気持ちも
広く知られ、近く感じられた方がいい、といいという気持ちも
どちらかだけが正解ということでもないと思います。
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入江泰吉のことばの紹介として
・うまく撮ろうと技を弄するのではなく、在りのままを映像化したい。
・仏像を刻む「仏師」という人たちの心構えは「一刀三礼」という言葉があって、これは祈りを籠めて刻むということ。カメラを向けることもこれに似ているかもしれない。ある時から畏れを覚えるようになった。
というようなことがありました。
そして戒壇院の広目天には
「心の奥底まで見透かされている気がした」と。
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そうそう、大黒天てでっぷりと福々しく、にこやかな印象になっていますけど、本来は戦闘系の厳しい天部。現世利益の需要で、変容したんでしょうか。
展示の出口では入江泰吉の作品とかその背景についてのビデオ上映もやっていて、こちらも美しかった。
写真美術館を後にして西へ、破石(わりいし)町バス停の向こう側の頭塔(ずとう)も、と思ったら、暫く入れないのでした。知らなんだ。複数の層からなる仏塔で、ちょっと珍しい構造だったはずなんだが・・・
ちなみに破石町の地名の由来になった石は、今は一般のおうちの庭の中にあるそうです。
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玄昉さんの首塚を「頭塔」としているというのが一般説。でも本当は違うという説も。
そもそも玄昉さんとは。飛鳥岡宮開山の義淵の弟子で、吉備真備らと唐で仏教勉強して、鎮護国家を献策した人です。義淵の弟子とされてる人はほかに行基、良弁、道鏡など、平城京の有名人が沢山います。
ここをまた西のほうに行くと、天神社があります。
位置的には奈良公園の南、元興寺の東北。元興寺の鎮守社。と私は理解しています。
祭神は菅原道真とスクナビコナ(少彦名命)
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この地区は奈良市内(平城京内)といっても、飛鳥宮の色が濃いところ。元興寺ははっきりと蘇我の寺。
ここに 天神社=菅原系 の神社があるということがやはり面白いですね。
勝手に連想すると
飛鳥 ー蘇我ーソガ
天神社ー菅原ースガ
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スクナビコナも、その性質が多様。国造りに協力してるようでありながら、遠ざけられている印象を受けます。中央から外されるという雰囲気では蘇我や菅原に通じます。
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その西隣に瑜伽神社。
思い切りはっきりと「平城ナラの飛鳥」宣言。
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ウカノミタマ(←スサノオの文脈で登場する)が祭神ですが、由緒は不明点や疑問点もあるようです。
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猿田彦や一言主も同じように祀られているのが興味深いと思ってます。
ちょっと自分の中で考えをまとめたいところ🦌
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まあ、古けりゃいいってもんではないです。
伊勢神宮も常若(とこわか)思想で式年遷宮してるし。
しかし・・・思ったより気温の高い日でした・・・私は日焼けと虫刺されと冷房を避けるために真夏でも長袖派なのですが、なんでわざわざ 長袖ウインドブレーカー選んで風通し悪くしとるんやわからんと気づいて、珍しく半袖になって歩いていました・・・
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この界隈、自分の理解に誤認があれば、どうぞコメント欄などで教えてくださいませ🦌