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信州に行ってみた!



これは10月下旬のこと。私の生活に時々あらわれる、予定がない日。当初予定がなくなった日。どこか行こうかと考えて、信州長野、善光寺としました。

つきふねさんはじめ、多くのnoterさんが推す信州。

わたくし実はいまいちよくわかっていない土地です。

信州プロフェッショナルの記事はこちらです。


北陸新幹線「あさま」を使う。
新幹線と言えば、東海道新幹線という人生なので、「あさま」というのは新鮮な響きです。


長野駅おりたらかわいいのがいる。
でもなんで英語なんだ?



駅の出口も「善光寺口」とあるし、そこここに案内板が出ているので善光寺まで迷いません。

てくてく。


通り道、朝の月。


駅から1.8K 歩いて30分程度。
善光寺まで楽勝。




こんにちは。


目が・・・出そうですが・・・



9:00過ぎの仲見世通り。
まだお店はあまりあいてません。



休憩室の牛さん。
「牛にひかれて善光寺参り」
の牛さんですね。


牛さんについて。
牛鬼として忌避対象にする地域や信仰もあれば、牛頭天王、天神宮での撫で牛ように崇敬の対象となることもある。こうした原始的な何かが、本来のこの寺の立ち位置を伝えている気がする。


私は牛さん信者は蘇我系な気がしてます。実際、善光寺の縁起には(飛鳥の)川原寺、皇極天皇や聖徳太子の名前もちらちら見えるので、草創期の善光寺は蘇我派とその潮流の影響があるように思われます。まあ、私がそう思うだけです。


本堂


本堂で「戒壇めぐり」をやりました。

右手で壁をなぞりながら、真っ暗な、本気で真っ暗な回廊を通り、極楽の錠前を探り当てて秘仏のご本尊と結縁する っていうものです。


私、暗がりでガタガタ何かドアノブみたいなのを鳴らす寺に、小さい時に行ったんだけど、近畿のどこかの寺だったと思い込んでいたけれど、暗闇入った瞬間、ここ善光寺だったかと思い出しました。


パンフより。
階段降りたら、すぐに真っ暗世界。


思い出すのは「dialog in the dark」という六本木とかでやってたイベント。(いや、私はやってないんですが。)完全に光のない部屋で、意図的に段差あり砂利ありとしたようなところを、知らない人たちも含めて数人で手を組みながら、一周するという企画。本当に暗がりで、暗がりナビゲーターを先頭にして、ナビに教わりながら歩くらしい。「段差がありますよ」とか、情報をうまく後方に伝えられないと、グループによってはパニックを起こす人もでてしまう。「手は開くのではなく(パーの形ではなく)、握って(グーの形にして)、回りを確かめてください」手を開いているといけないのは、自分が突き指する危険、そしてその指の先がこどもや段差の下の人の目の高さにある可能性もあるから、だとかを教わるらしい。グループのナビをしているのは盲目の人、つまり暗闇の専門家。


回廊、本気で暗くて、でもそうそう、手はグーの形ねとか思って一人でグーにして、でも手が壁から外れたら本気で怖いし、前方の人にぶつかるのも後方のひとにぶつかられるのも怖いので、慄いて心震わせて歩いていました。まっすぐの壁ではなくって、途中で柱がきたり、曲がったりするんですね、焦りますね。

回廊の最終地点、光に出た時安心したんだけれども、

・・・錠前・・・?ありました?・・・
誰も音を鳴らしてないようですが・・・?

と思ってもう一回、多分誰も入ってないときにもう一度暗闇入って本気で探したら、ちゃんとそれらしいものをガタガタさせられました。あー良かった。

しかし、ほんとはどんな形状のものなのか、というかあのガタガタで良かったのか・・・

まあ多分あれや!
ワタクシ的にはだいたいOKです。


本堂



経堂も入ってみました。誰もいないところをみられるかな?と思ったら数人の男性グループがワイワイ入ってきて内心舌打ちしたのですが(笑)、境内は巨大輪蔵(マニ車)が置いてあって、それを係のかたの合図でみんなで一斉に回すというのをやりました。一人では私は回せそうにないですね、お神輿を担ぐ雰囲気に似ていました。

これもなんか、小さい時にやった気がしてきました。



善光寺は無宗派寺院でその創建経緯も不明点が多いという、その知名度と歴史の長さからは、不自然なところがあります。鎌倉時代には本尊が難波に捨てられたり、戦国時代には武田信玄や豊臣秀吉に奪取されたり、でもなんだかんだで戻ってきたり。なんだかちょっと妙な感じです。

と言いつつ、実際歩いてみてもこれといった感覚もつかめませんでしたが・・


秋のはじめのよう。
10月下旬ですが・・


この後、県立美術館に行きます。つづく🦌







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