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はたはたゆらゆら 當麻寺

 こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。

折口信夫「死者の書」


二上山(ふたかみやま/にじょうさん)に登ったものの違和感を感じ、これは結界張られたかもなと思ったので引き返しました。麓の歩道を、當麻寺(たいまでら)方面へ歩きます。



當麻寺に行く前に、石光寺(せっこうじ)へ。


當麻寺と二上山といえば、當麻曼荼羅の伝説。

その話を題材にした折口信夫の「死者の書


寒い。


両親が長谷寺に神頼みした結果、生まれたのが中将姫。生母が5歳で他界。その後、継母の嫉妬で命を狙われたために、宇陀で隠れて生活。数年後にたまたま実父に見つけられて屋敷に戻るも、継母が罪悪感で自死。その後、姫は當麻寺に出家。日々読経し、蓮の糸で當麻曼荼羅を織り上げました。織り上げた當麻曼荼羅の中に極楽と仏さまと亡き母をみて、自分も浄土へ旅立ちました。・・・というような話。

・・・正直、聞いたことのあるエピソードをつないだような継母と娘の物語。白雪姫やシンデレラもそうだけど、父親の鈍感さと無知は「知らなんだから」とピュアな雰囲気でおろおろしていて済まされるものではなくないですか?こういう話の父親、いつも道義的責任を深刻に感じているように思えないのですけど。


石光寺の中将姫。
石光寺の井戸で糸を染めて、當麻寺で織ったらしい。


石光寺の怪魚。
誰。



では當麻寺に向かいます。



参道。


仁王様はいまは阿形だけ。
吽形は修理中。
一柱でも、やる!!


當麻寺パンフより。






折口信夫の「死者の書」は中心軸が

大津皇子(滋賀津彦)(天武天皇の後継争いで持統天皇に謀殺されてるひと。二上山に墓があると言われている)

南家の中将姫(「はたはたゆらゆら」と當麻寺で曼荼羅を織ったひと)

大伴家持(平城京で万葉集編纂のひと)

と複数人いるうえに、それぞれで文体も変わります。大津皇子は明らかに時代が一つ前(平城遷都前の飛鳥人)。時間軸は直線的ではなくて、多層的なうえに可逆的。現代的なストーリー構成ではなくて、昔話や神話のような整合性のなさで、話の輪郭は曖昧。正直言って、私には「この読み方でいいんか・・・?」と不安になる本です。



ちなみに大津皇子は人気がある↓





この、読み方が不安になる度合いは、自分としては三島由紀夫の遺作「豊饒の海」と同じレベル感です。私にはこの「豊饒の海」、湿度が高い中で執着と覗き見趣味が絡み合ってるストーリー、どうにも好きになれないにもかかわらず、ラストシーンが印象的で、後半だけ何度か読み直しています。 初めて読んだとき、私は途中で三島は精神が錯乱したか破綻したのかと思ったんです。話はどんどん混乱して汚くなっていくし、これ書き終えてすぐに三島は四谷の駐屯地で切腹してるし。でも、ラストシーンを初めに書いてから執筆をしたと聞いてから、なんか自分はひどい読み違いをしていると思ったのです。前提知識がないと読みきれない話だったと痛感したのでした。


死者の書も豊饒の海も、いい解説があったら、教えてください。ほんとに。


めっさ こも がある。


當麻寺奥院の浄土庭園が、牡丹の見頃なので行ってみました。

注・當麻寺は伽藍三堂、中之坊、宝物館、奥院それぞれ料金かかります(苦笑)。  最近どこも値段上がってるな~と思う。














こも こも こも こも こも


山々もまんだ天遠し。大和の国のとり囲む青垣山では、この二上山。空行く雲は天の通ひ路と、昇り立って祈りました。

「死者の書」









こも こも こも こも こも こも




こも




鯉。





牡丹以外もあるに。



松も こも。
こも こも こも こも









そろそろ おとなしく 浄土から現世に帰ろ🦌




もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。独り語りの物語りなどに、信(シン)をうちこんで聴く者のある筈はなかった。

「死者の書」






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