嫉妬を通して憧れを知る
嫉妬。妬み、嫉み。
自分にはあまり縁のない感情だと思っていました。
仕事に関して自分の出来の悪さに落ち込むことは日常茶飯事でしたが、誰かの仕事ぶりを尊敬こそすれ、嫉妬したことはありませんでした。
そもそも私は地位や名声や高収入にあまり魅力を感じていないので、そういう面であまり人に対して嫉妬を感じたこともないと思っていました。
でも、そう思えるのは健康で健全な状態だからだったんです。
昨日の『つらくて何もできない時は』という記事でも告白したのですが、今私は絶賛病み期でして、メンブレしているので完全に平常心ではないのです。
何をしても落ち込み、何もしなくても落ち込んでいる状態です。
自分で言うのもなんですが面倒くさいですね…
そんな状態なので、なんとか気分を回復させようとして、大好きなYoutubeの動画を見ていたんです。
なぜYoutubeなのかというと、能動的に何かをする気力はないけど、何もしないと自責の思考に囚われてしまうので受動的な刺激を入れることで、思考をセーブしようと思ったからです。
私は常日頃からYoutubeを嗜んでいるのですが、特にメイクやVlog系の動画が大好きです。
いつもならそんな動画を見て癒されたり、リラックスしたりするのに、最近は全く動画を楽しめませんでした。
楽しめないどころか、動画を見ているうちに涙が出てきて、最後まで動画を見れないのです。
今までは好きでチャンネル登録していていた人たちの動画なので、動画自体が変わったわけではありません。
私の心理状態が変わったのでしょう。
なぜ今まで楽しめていた動画が苦痛になったのか。
それは、動画の中のキラキラして楽しそうに人生を謳歌しているように見える人たちに激しく嫉妬していたからなのだと思います。
私はこんなに好きじゃない仕事をしてつらいのに、世の中には好きなことを仕事にして裕福に、豊かに楽しく暮らしている人がいる。
遊ぶように働いて、それで私の何倍も多い収入を得ている人がいる。
私はこんなに切羽詰まって生きているのに、日々を丁寧に暮らす余裕のある人がたくさんいるんだ…
羨ましい………
と、言うようなことを無意識にうちに考えて、自分と動画内の人たちを比べてつらくなってしまっている自分に気がつきました。
よくInstagramとかのキラキラしている人たちの投稿と自分を比べて落ち込んでしまう人たちの話を聞きますが、自分もまさにそのSNSの罠にハマっていたのです。
こうして客観的に自分の嫉妬の内容を書いているとあまりにも身勝手で恥ずかしくなります。
成功してるように見える人にも悩みはあるでしょう。
そもそもそうして人に羨ましがられるくらいに自分の暮らしを確立している人は、そのために格別な努力をしているのでしょうし、何よりも自分軸をしっかりと持っている証拠です。
さらに、好きなことを仕事にすることは容易ではありません。好きなことを嫌いにならずに仕事にまで昇華するのは並の努力ではないでしょう。
一見華々しく見える人たちは、努力をひけらかさないから楽しているように見えますが、それをただ羨んでいるのは想像力の乏しいことです。
何かしら人から羨まれるようなことがあったなら、それはその人が見えないところで努力した結果なのだろうし、尊敬すべきことです。
自分の現状は、過去の自分が選択してきたことの積み重ねです。
私自身がこの仕事を選び、この生活を築いてきたのです。
それなのに他人に嫉妬して勝手に落ち込むだなんて、なんとも独りよがりな悩みです。
しかし、嫉妬することで、私は改めて自分の理想とする生活や働き方を強く実感することができたのも事実です。
嫉妬するのは憧れがあるからです。
憧れているのは、自分がまさにそうなりたいということを実践している人だからです。
そう言う人の生き方や、考え方はきっと私にとっても参考になります。
自分から見て嫉妬するくらいに理想の生活をしている人を見つけたなら、その人の暮らしのどう言うところに憧れているのかを具に観察すると、自分の理想や大切にしていることが見えてくると思います。
その理想とする要因がわかったなら、日々の生活にその要因を少しずつでも取り込んでいけば、きっと理想の暮らしに近づいていけるのではないかと思います。
誰かに嫉妬したということは、その人の良いところを見つけたということだと思います。
そして、自分の憧れがそこにあるのだということも。
だから、嫉妬したら、もしかするとそれは自分を理想に近づけるためのチャンスかもしれません。
そう捉えると、嫉妬という感情にも使いようはあるのかなと思います。