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「頑張れ」の声が聴こえる -Nコン2012の記憶

6月になった。天気予報では最高気温28度近辺の日が増えてきたし、予報を見ずとも気づいたらTシャツを着て過ごしている。今年も夏来んのかよ、お前が来ても嬉しくねーんだよ、来るならさっさと去って秋呼んで来いよ、と心の中で悪態ついたりもしている。

この“否が応でも夏の到来を予感させる時期”に、ここ数年決まって思い出すのが中学時代の部活動だ。まあまあな地方の、まあまあな田舎にある公立中学校の合唱部。20人もいないコンパクトな態勢でありながら、「県代表、関東大会出場」を本気で掲げていた。県大会本番まで2か月。朝と夕方の涼しさを申し訳程度に残しながらも、じりじりと迫るうっすらとした蒸し暑さと緊張感。スパルタ顧問からの叱責と、その度心に立ち込める暗雲。手元の楽譜は冊子ではなく職員室で印字されたただのコピー用紙だから、手汗を吸って全体がすっかりヨレ始めている。

2012年度、第79回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲はYUIの「fight」だ。合唱部員3か月目。ついこないだまでランドセルを背負っていた12歳。歌詞が理解できなかった。意味が分からないまま歌っていた。

描く夢がすべて叶うわけなどないけど あなただってわかっているはずよ

(12歳私:”出だしAメロからハテナ。叶うわけなどない?わかっているはず?誰が誰に言ってるの?”)

頑張れ 頑張れ 命燃やして
続く現実 生きてゆく
頑張れ 頑張れ 限りある日々に…
花を咲かせる

(12歳私:”大事なサビで「頑張れ」なんてよくある感じのこと言っちゃうの?なんかダサくない?ほかのことばなかったの?”)

散りゆくから美しいという意味がわかってきた
ごめんね もう少し 大人になるから

(12歳私:2番Bメロ。“本当に分からない。桜は散るから美しい、とか思ったことない。てか誰に謝ってるんだろう。たしかに早く大人にはなりたいけどさ…”)

結果は結局銀賞で、県代表は逃した。しかし、その年の全日本合唱コンクールから悉く代表に選出されるようになり、Nコンは第80,81回と県大会金賞。憧れていた大宮ソニックシティ(関東甲信越ブロックの会場)の舞台は2回踏んだ。こんな経験ができて本当に恵まれていたし、顧問にも感謝の念をもっていたが、精神的にもハードな練習のもとで成り立っていただけに反動は大きく“高校はぜったい合唱部がないところに行こう”とひとり誓って引退した。

高校生になり、大学生になった。20歳を過ぎて予備校に通ったりもした。そんな日々のなかで、忘れかけていた当時のことが何気なく思い出された。YouTubeで検索すると、当時の全国大会出場校の演奏が投稿されていた。再生。聴こえてきたのは私と同世代の中学生の演奏であり、中学生だった「私たち」の声だった。

そのとき、降ってくるように閃いた。あのときのあの歌詞は、「いま」を生きる「私」に対する、かつての「私」からのことばだったのだ、と。

改めて聴いてみると歌詞には共感が多い。それなりに挫折を経験して、うまくはいかないこともあるんだなと知ったし、ずっと同じ景色が見られるわけではないからこそ尊く大切なものに思えてくる。
いまはまだ学生だけど親元を離れて生活していて、当時に比べれば知識も経験も増えた。大抵のことはひとりでこなせる。とはいえ、知らないことやできないことの多さ、不甲斐なさ、だらしなさに辟易する日もあるし、“ひとりじゃなんにもできないな”と落ち込む。そんなとき、“頑張れ、頑張れ”と聴こえてくる。目の前のことにがむしゃらにしがみつくだけで精一杯。なんにももっていなかった、だからこそなりふりかまわず必死でいるしかなかった「私」から、時空を超えて贈られた賛歌。

いつか振り返る時 今日の若かりし日が
きっと懐かしくなるから

いまでさえ懐かしんでいるのだから、数年後、数十年後は、これを書いている23歳の自分を思い出して感傷に浸っちゃうのだろう。不可逆な儚さを、時が経っても滲んでくる泥臭さを含めてたまに思い出しながら、あの日の自分の声に奮い立たせられながら、続く日々を生きていくのだろう。

青々しい中学生が歌う曲としてこんな歌詞を書いちゃうYUIは、年を重ねたかつての合唱部員が当時の自分に励まされる構図も予期していたのだろうか。だとしたら天才すぎると思う。そういえばうちの部室には、クーラーついたのかな。